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異世界で、二人乗り  作者: そよかぜ
25/28

異世界で、二人乗り 第一部 第25話 「決断」

あおいは眠っている。

少なくとも、そう見えた。


呼吸は一定で、深い。

けれど、完全に力が抜けた眠りではないことを、タイラーは隣で分かっていた。

ときどき、わずかに眉が動く。

指先が、シーツを探るように揺れる。

夢を見ているのか、それとも、まだ意識の端がこの部屋に残っているのか。


——起きているわけじゃない。

——でも、何も考えていないわけでもない。


自分と同じだ、とタイラーは思う。

眠っているふりをして、頭の中だけが止まらない。

言葉を交わさないまま、同じ天井を見て、同じ夜を過ごしている。

その距離が、今夜はやけに重い。


タイラーは、ゆっくりと体を起こした。

軋まないように、音を殺して。

あおいの呼吸が乱れないのを確かめてから、そっとベッドを降りる。

上着を羽織る。

靴を履く。


ドアを開ける前に、一度だけ振り返った。

あおいは、目を閉じたままだ。

けれど、ほんの少しだけ、眉間に力が入っているように見えた。


——起こすな。

——今は、俺が外に出る番だ。


廊下は静かだった。

夜の宿屋特有の、木と埃と、わずかな湿気の匂い。

外に出ると、空気が冷たい。

夜はまだ深い。

星は少なく、雲が低い。

それでも、月明かりは強く感じられた。


裏庭の軒下に、ジュリオが停めてある。

見慣れた車体が、静かにそこにある。

月明かりを受けて、ホンダのエンブレムが淡く光っていた。


異世界に迷い込んできて、ジュリオは不思議な力を身につけた。

欲しいと思ったときに、欲しいと思ったものをメットインから取り出せる力。

何度も助けられた。

けれど、いつしかそれは、ズルをしているような気がして、使わなくなった。


横に立つ。

乗らない。

エンジンもかけない。

ただ、近づく。


タイラーは、昔のことを思い出していた。


現実社会にいた頃。

仕事が煮詰まった夜。

管理職になってから、特に増えた。

部下の評価。

板挟みの判断。

失敗できない決断。

そういうものが頭に溜まりすぎると、ふらりと家を出た。

ジュリオに跨り、何も考えずに走る。

行き先は決まっていない。

コンビニでも、夜の自販機でもよかった。

必要だったのは、「動く」という行為そのものだった。


あの頃の自分は、いつも正解を選んでいた。

挑戦しない正解。

失敗しない正解。

責任の所在が明確な正解。

それが仕事では評価され、管理職としては正しかった。

だが同時に、それ以外の選択肢を、自分から削っていく行為でもあった。


タイラーは、ジュリオを見つめながら、小さく息を吐いた。


「……なあ」


誰に聞かせるでもなく、声を出す。


「もしさ」


自嘲気味に、続けた。


「もしお前に、オレが必要なものを与えてくれる能力があるなら……」


一瞬、間を置く。


「答え、欲しいんだけど」


沈黙。


もちろん、返事なんてあるはずがない。


……はずだった。


カチャ。

乾いた、小さな音。

鍵を差していないはずのメットインから、確かに音がした。


「……は?」


思わず、声が漏れる。


ゆっくりと、

信じられないものを見るように、

メットインを開ける。


その瞬間——

匂いが、広がった。


油でも、ガソリンでもない。

甘いわけでもない。

言葉にしづらい。

けれど、はっきりと覚えている匂い。


——あの時の。


この世界に飛ばされてきた、あの瞬間の空気。

世界が切り替わったとき、理屈より先に感じた、あの匂い。


「……」


胸の奥が、強く締め付けられる。

——俺は、この匂いに呼ばれて来た。


理由じゃない。

理屈でもない。

選択ですらなかった。

ただ、ここに来た。

そして、あおいに出会った。

好きになった。

離れられなくなった。


タイラーは、メットインの中を見つめたまま、小さく笑う。


「……なにやってんだよ」


自分に向かって、吐き捨てる。


「いい歳こいたおっさんが」


深く息を吸い、もう一度、吐く。


「しっかりしろよ」


誰もいない夜に、声を強める。


「腹、決めろよ!」


答えは、最初から分かっている。

失敗するかもしれない。

壊れるかもしれない。

この世界での立場も、未来も、まだ何も整っていない。

それでも。


「……好きなんだろ」


声が、わずかに震える。


「好きなんだろ、あおいのこと」


ジュリオは何も言わない。

匂いも、ゆっくりと消えていく。

それでいい。

答えを出すのは、

物でも、匂いでもない。

自分だ。


タイラーはメットインを閉じ、踵を返す。

部屋に戻る。

廊下を歩きながら、

もう迷わない。

逃げない。

無難な選択に戻らない。


ベッドに戻ると、あおいはまだ眠っている。

けれど、まぶたが、わずかに動いた。

完全には眠っていなかったのかもしれない。

タイラーは、そっと横になる。

何も言わない。

触れない。

ただ、朝を待つ。



朝は、静かに来た。

光が、カーテンの隙間から差し込む。

あおいが、ゆっくりと目を開ける。

一瞬、状況を確認するように瞬きをして、

タイラーを見る。


「……おはよう」


「おはよう」

タイラーの声は、落ち着いている。

迷っている気配はない。


タイラーは身体を起こし、ちゃんとあおいの方を見る。

目を逸らさない。


「昨日のこと」


あおいの肩が、少しだけ強張る。


「……うん」


「オレが先に言うべきだった」


否定もしない。

確認もしない。

タイラーは続ける。


「俺は、ずっと無難な方を選んできた」


短く、でも、はっきりと。

「失敗しない方。責任を先延ばしにできる方」


一呼吸。


「でも、それを君にやるのは違う」

あおいの目が、揺れる。


タイラーは、言い切った。


「好きだ」


短い言葉。

逃げ道も、言い換えもない。


「一緒にいたい。これからもずっと」


あおいは、すぐに何も言えなかった。

目を伏せて、呼吸を整える。


「……わたしね」


声が、少しだけ揺れる。


「昨日、あまり眠れなかった」


タイラーは黙って頷いた。


「でも、今朝の風は……いい風だった」


それだけ言って、あおいは顔を上げる。


「それで、いい」

タイラーは、ほんの一瞬、息を止める。


ここで何もしなければ、

また昔の自分に戻る気がした。

無難な距離。

触れない選択。

安全なまま終わらせる癖。

彼は、一歩、近づく。

迷いはあった。

でも、もう引かなかった。

そっと、あおいを抱きしめる。

強くはしない。

逃げ場を奪わない。

ただ、腕を回す。

一瞬、あおいの身体がこわばる。

けれど、すぐに力が抜けた。

胸元に、温度が伝わる。


そのとき——


匂いがした。

服の匂いでも、宿の匂いでもない。

朝の空気とも違う。

あおいから、確かに立ち上がる匂い。

甘いとも、懐かしいとも言い切れない。

けれど、間違いなく「これだ」と分かる匂い。


——ああ。


胸の奥で、何かが静かに繋がる。


——この匂いだ。

——メットインから溢れた、あの匂い。

——この世界に来た、あの瞬間の感覚。


タイラーは、言葉にしないまま、深く息を吸う。


——間違ってなかった。

——俺の選択は、間違いじゃなかった。


腕の中にいるのは、

ただの偶然で出会った誰かじゃない。


——これは、あおいの匂いだ。

——俺は、この匂いに呼ばれてきた。

——この世界に。

——あおいのところに。


胸の奥に、迷いはもうない。

不安が消えたわけじゃない。

未来が見えたわけでもない。

それでも、「選んだ」という感覚だけが、確かに残る。


あおいは、何も言わず、

タイラーの服を、そっと掴んでいた。

朝の光が、部屋を満たしていく。


その中で、タイラーは初めて、自分がここに来た理由を、

理屈じゃなく理解していた。



------▫️風の兆し▫️------

私たちエルフは、風の吹く方向へ生きる。


今日も風が吹いた。

でも、私は、


私の感じた人を選んだ。

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