異世界で、二人乗り 第一部 第22話「立ち止まる」
朝は、静かに始まった。
夜露に濡れた草の匂い。完全に消えきらない焚き火の残り香。
誰かが動くたび、革装備が小さく鳴る。
あおいは、目を開けたまましばらく動かなかった。隣にいる気配が、いつもより近い。
野営の輪がほどけたあと、自然な流れで同じ寝床を使った。
それはもう、驚くようなことではない――はずなのに。
タイラーの寝息は静かで、規則正しい。
戦っていたときの姿からは想像できないほど、無防備だった。
(……この人は、いつも周りを見てる)
場を。人を。空気を。
でも、自分のことは――どうなんだろう。
野営地が本格的に動き始めると、パーティ同士は簡単な挨拶を交わし、それぞれの帰路についた。
ダスティとマリン夫妻は、ひと足先に町へ向かう。
合同討伐の完了報告を、ギルドへ届ける役目だ。
報告が通れば、他の参加者は後から個別に手続きをして報酬を受け取れる。
討伐証明の提出や照合は必要だが、複数パーティでの依頼では珍しい流れではないそうだ。
「じゃ、またどこかで」
リーナが手を振り、ノラが静かに会釈する。
あおいは曖昧に笑って見送った。
昨夜の言葉が、胸の奥にまだ残っている。
信頼。
そして、
――もう、答え出てるんじゃないの?
否定はできない。けれど、どう受け止めればいいのかは、まだわからない。
町へ戻る道は、昨日より静かだった。
ジュリオはいつものエンジン音を響かせ、タイラーとあおいを乗せて走る。
タイラーは、あまり喋らない。
あおいも、聞かない。
その沈黙は、嫌ではなかった。
しばらく走ったところで、タイラーが減速した。
街道から少し外れた木陰。陽射しを避けられる、小さな窪み。
「……少し、休もう」
ジュリオは静かにエンジンを停止した。
タイラーは何もない地面に腰を下ろした。
珍しい。彼が先に座ることは、あまりない。
あおいも少し離れて座る。
触れない距離。けれど、遠くない距離。
しばらく、風だけが通り過ぎた。
タイラーが口を開いた。
「昨日さ……」
言葉が途中で切れる。
タイラーは考えるような表情で固まる。何を言いたいんだ。自分でもまだ形になっていない。
だが、思っていることを口に出す。
「前に出ないって決めたのは、間を取ったつもりだった。……でも、あれで良かったのか、まだよくわからない」
あおいは何も言わない。
聞いている、という気配だけを残す。
「戦いの最中、俺は穴を埋めることが必要だと思っていた。それが正しいかどうか、パーティー討伐のルールは知らない。」
「自分の役割はこれだって決めた。でも、……それって、重要な役割から逃げていただけだったのかもしれない。」
怖い、という言葉は使わなかった。そこまで言葉にしてしまうのは、まだためらいがあった。
「……報酬の話もさ、」
タイラーは視線を落とす。
焚き火の明かりじゃない今、言葉が余計に白く見える。
「オレ、でしゃばったよな」
「場が割れてたのはわかる。でも、ああいうのは本当は、外から来た俺が口を出すことじゃなかったんじゃないかって……。
「余計な火種を、残してしまったんじゃないか」
言い終えると、タイラーは息を吐いた。
風が葉を鳴らし、遠くで鳥が一度鳴く。
あおいは、焚き火を見るときみたいに、少しだけ目を伏せた。
それから、短く言う。
「……残ってない」
タイラーが顔を上げる。
「昨日、あの森で」
あおいは言葉を選ぶ。
励ますための言葉ではない。見たことを、ただ置く。
「誰も、背中を向けなかった」
「みんな、決めて納得した。」
それだけ。
タイラーは、一瞬だけ口を開きかけて、閉じた。
何かがほどける感覚があった。
正しかった、と言われたわけじゃない。
でも、間違えでもない。前に進めるだけの材料はもらえた気がした。
「……そっか」
短く言って、タイラーはジュリオの方へ目をやる。
さきほどより少しだけ、視線が軽い。
再びジュリオで走り始めると、風が頬を撫でた。
あおいの髪が揺れ、頬に触れてすぐに離れる。
ミラー越しに見えるあおい。遠くを見ていた。
その表情は、とても美しかった。
町の門へ差し掛かる。
この一ヶ月ほどで顔見知りになった門番と目が合った。
「よう、無事に戻って来たか。」
声をかけられる。
「ああ、なんとか」
簡単に答えるタイラー。
通行証の銀プレートは求められなかった。
タイラーとあおい、二人乗りのジュリオ。彼らに言わせれば、魔導機械か。
それで顔パスなんだろう。
現代日本のセキュリティチェックとは根本的に違う。
町の門をくぐり、白梟亭の裏庭にジュリオを止める。
いつもの場所。女将さんから許可を得ている場所だ。
二人はそのままギルドへ向かった。
討伐証明を提出し、簡単な確認を受ける。
いつもの受付の男は言葉は少なく、手続きは淡々としていた。
「では、次も何かあったら紹介する」
受付の男がそう言う。一定の信頼と受け止めてもいいのだろうか。
タイラーは頷き、あおいもそれに倣った。
帰りに露店で食料や生活用品を買い足す。
干し肉、硬めのパン、少しだけ甘い菓子。
どれも特別なものじゃない。
食堂はピークを過ぎていたようで、混み合っていなかった。
二人並んでカウンター席に腰を下ろし、同じ皿を分ける。
話題は、料理の味と、生活用品の買い忘れ。それで十分だった。
あおいは、何度かタイラーの横顔を見る。
討伐の話をしているわけでもない。
悩みを口にしているわけでもない。
何かを成し遂げた顔でもなく、
失敗を引きずる顔でもない。
ただ、次に進む準備をしている人の顔だった。
夜の白梟亭。
ベッドは一つ。
それも、もう説明はいらない。
ランプの灯りを落として並んで横になる。
タイラーはいつものように背を向けた。無理に距離を詰めない。
あおいは少し迷ってから、ほんのわずかに近づく。
触れない。けれど、遠くない。
「……ねえ」
小さな声。
「なに」
「悩んでいたこと。」
「うん」
「あれ、……私がいたから?」
あおいにしては意外な言葉だった。
タイラーは少し考えてから答える。
「……ひとりで考えると、変な方向に行きそうだった。」
それは、弱さの言い換えだった。
あおいはそれ以上を言わない。
ただ、胸の奥が静かに熱を持つ。
「……そう」
言葉はそこで終わった。
同じベッド。
この距離で眠る理由は、もう“寒いから”だけではなかった。
------▫️風の兆し▫️------
タイラーは、迷いを口にしていた。
たぶん、強くなりたいのではない。
間違えたくないのだ。
私はただ、見ていたことを言う。
それで、彼が少し前を向けるなら、それでいい。
背中を押す風は、今日も同じ方向に吹いている。




