異世界で、二人乗り 第一部 第2話「帰り道」
翌朝も、特別な違いはなかった。
アラームが鳴り、止め、起きる。身支度を整え、玄関を出る。前日の疲れは消えていないが、残っているからといって休めるわけでもない。体は、そういう前提で動く。
駐輪場でジュリオに跨る。キーを回す。エンジンがかかる。変わらない音だ。それを確かめるように、軽くアクセルを開ける。
住宅街を抜け、駅へ向かう。朝の道は短い。信号で止まり、進み、また止まる。その繰り返しが、考え事を許さない速度で続く。
駅に着き、駐輪場に停める。電車に乗り、会社へ向かう。
午前は流れ、昼を過ぎ、午後になる。
会議と確認、修正と調整。誰かが悪いわけではない。誰もが、自分の持ち場で最善を尽くしている。その結果として、時間だけが削れていく。
ふと、同僚のデスクに置かれた写真が目に入る。家族写真だ。特別に見るつもりはなかった。ただ、視界に入っただけだ。
同年代の多くは、結婚している。それはもう、珍しいことではない。話題にすらならない。自然な流れとして、そこにある。
付き合っていた彼女もいた。ひとりではない。何人か、ちゃんと向き合った相手がいた。
彼女たちは、みんな結婚を意識していた。将来の話をした。住む場所や、仕事のこと、まだ見ぬ生活の輪郭についても。
踏み切れなかったのは、自分だ。理由はいくつも挙げられる。仕事が忙しいとか、タイミングが悪いとか。
どれも嘘ではない。でも、どれも決定打ではなかった。
結局のところ、悪いのは自分だ、と上杉は思う。選ばなかった。違うな、逃げた。その事実だけが残った。
だからといって、後悔が激しく胸を打つわけでもない。ただ、そういう人生を選んできたのだ、という静かな実感がある。
定時を過ぎた頃、業務を切り上げる。パソコンを閉じ、席を立つ。今日も一日が終わった。終わったというより、次へ渡された。
ビルを出ると、空はすでに夜の色を帯びている。駅へ向かい、電車に乗る。降車駅で降り、改札を抜ける。
駐輪場でジュリオの鍵を開ける。シートに跨り、エンジンをかける。いつもの変わらない作業。
でも帰り道は少し救われた気分になる。
走り出した瞬間、風が頬を撫でた。
夜の風にしては、少し暖かい。不思議に思うほどではない。ただ、違和感として引っかかる。
走っているうちに、匂いに気づいた。嗅いだことがない。けれど、不快ではない。むしろ、胸の奥がゆるむような、落ち着く匂いだった。
どこから来るのかはわからない。排気ガスでも、街路樹でもない。説明できる要素が、どれも当てはまらない。
アクセルを緩める。辺りを見回す。
道幅は、いつもの帰り道と同じはずだった。けれど、街灯の位置が違う。看板がない。あるはずの建物が、見当たらない。
空が広い。都市の夜空より、ずっと。
心拍が少しだけ速くなる。冗談だろ、と思う。疲れているだけだ、とも。
ジュリオは、変わらず走っている。エンジン音も、振動も、いつも通りだ。
角が見えてくる。ここを曲がれば、自宅のマンションが見える。
——はずだった。
ハンドルを切った先に広がっていたのは、見たことのない景色だった。舗装されていない道。遠くまで続く闇。そして、どこか懐かしさを含んだ、あの匂い。
上杉は、無意識にブレーキをかけていた。
――なんだ、ここは。




