異世界で、二人乗り 第一部 第18話「声を荒げない強さ」
リューネルの町で生活を始めて、数日が経った。
今日もギルドで仕事を探す。
その日暮らし、と言ってしまえば簡単だが、現実世界の常識に縛られていたオレには、どうしても不安がつきまとう。
正社員であれば、給与や賞与、社会保険や所得税――
そういったものは、意識しなくてもどこかで勝手に回っていた。
働いていれば、将来のことも含めて「仕組み」が守ってくれていた。
だが、この世界にはそれがない。
今必要なのは、今日の宿代と食事代。それに、少しの生活用品。
年金もない。医療保険もない。将来を見据えて積み立てる、という発想自体が存在しない。
不安はある。
けれど、いざ全部が無い状態に放り出されてみると、「そういうものか」と受け入れている自分もいる。
白梟亭を出ると、朝の空気が頬に触れた。
森の朝は湿っていて、冷たく、重い。
音が少ない代わりに、気配が濃い。
町の朝は違う。乾いていて、音が多い。
石畳を叩く靴音。
露店の準備を始める布の擦れる音。
湯気の立つ匂い。
遠くで鳴る金属音。
それを聞いて、ふと現実世界の朝を思い出した。
マンションの玄関を出た瞬間に流れ込んでくる街の音。
近くを走る環七の車の音。
どこかの部屋で朝食を作る音。
換気扇の低い唸り。
小学生の登校する声と、会社員の足音。
東京の音とは確かに違う。
でも――
人の営みが作る音そのものは、それほど変わらない。
異世界に来ても、人は生きて、働いて、朝を迎える。その事実が、タイラーの中の緊張を少しだけ緩めてくれた。
タイラーはその音を聞きながら歩いた。まだこの町に馴染んだとは言えない。
それでも昨日より、「ここにいる」という感覚が確かに増している。
隣を歩くあおいは、相変わらず静かだった。
余計なことは言わない。けれど、よく見ている。
通りの端に置かれた水桶。
露店に吊るされた干し肉。
軒先に干された薬草。
興味はある。けど興味を示さない。
そして立ち止まらない。
――森の人、なんだな。必要最小限。ミニマリスト?違うか。
そう思いかけて、すぐに自分を戒める。勝手に自分の価値観で決めつけるのは違う。
この世界のことは、まだ何もわからない。それでも、はっきりしていることがある。
金は減る。
宿代も、食事も、道具も、すべて金が要る。
初めてギルドの仕事を終えた日、銀貨一枚が手のひらに落ちた重みが、妙に現実的だった。
――働いた。
その感覚が、この世界で生きる支えになっている。
だから今日も、ギルドへ向かう。
「今日はどうする?」
タイラーが聞くと、あおいは短く答えた。
「依頼」
迷いがない。
「危ないのは避けよう。今日も」
「うん」
短い返事だが、否定も躊躇もなかった。
冒険者ギルドの掲示板は、今日も紙で埋まっている。
字の荒いもの。丁寧なもの。絵のような記号で書かれたもの。
討伐。
護衛。
採取。
……違う。
今のオレに必要なのは冒険じゃない。
生活だ。
視線を下げる。
・倉庫の荷の整理
・水路の掃除
・街道倉庫での受け渡し補助
ここ数日、あおいと一緒にやってきた仕事だ。
タイラーの目が止まった。
「受け渡し補助……これなら」
危険は少ない。
報酬は銀貨一枚、追加で銅貨数枚。
単純な仕事ほど、段取りと確認がものを言う。管理職としての癖が、無意識に顔を出す。
依頼書を手に取る。
数量。
内容。
注意事項。
「現場で揉めたら、面倒だな……」
同時に、結論も出る。
――だから、揉めないように進めればいい。
受付で依頼書を渡すと、職員の男が顔を上げた。
「ああ、あんたか。登録はいらない。現場に行け。終わったら戻れ」
「はい」
それだけ。
数日のうちに顔を覚えられたらしい。
年齢はオレと同じくらいだろう。口数は少ないが、説明は的確。余計なことを言わない。
取引先の窓口としては、信頼できるタイプだ。
そういう人間を、オレは何人も見てきた。
町の外れへ向かう。
石畳が土に変わり、空気が少しだけ変わる。
あおいはこの辺りには来たことが無いようだった。二人で地図を確認しながら進む。
倉庫は思ったより大きかった。
石造りの建物が二つ、その脇に木造の小屋。
荷車が二台停まり、男たちが木箱を運んでいる。
腕組みをした責任者らしき男がこちらを見る。
目つきは鋭いが、怒っているわけじゃない。
ただ、忙しい顔だ。
「ギルドから?」
腕組みをした男が、こちらを見下ろすように言った。
声は低く、短い。
忙しさと苛立ちが、そのまま形になったような口調だ。
「はい。受け渡し補助です」
男は短く頷き、倉庫の中へ顎をしゃくる。
「箱は三十だ。向こうの荷車に積み替えろ。壊すな」
指示はそれだけ。
説明も、確認もない。
だが、この場ではそれが“普通”なのだと、すぐにわかった。
「中身は?」
オレが聞くと、男は一瞬だけこちらを見る。
「乾物と薬草だ。湿らせるな」
それだけ言って、忙しそうに背を向けた。
仕事が始まる。
箱は重い。
だが、体はついてくる。
森で彷徨っていたときから感じていた違和感――
疲れにくさ、回復の早さが、ここ数日の肉体労働ではっきりしていた。
持ち上げる。
運ぶ。
積む。
あおいは、言葉少なに補助に回る。
箱の角を支え、荷車の上で積み方を整え、傾きそうになると短く声をかける。
「そこ、湿っている」
責任者の男が言っていたことをよく理解している証拠だ。
余計な動きが減る。作業が、途切れない。
――仕事として、噛み合っている。
だが、終盤になって空気が変わった。
責任者の男が、倉庫の札と手元の記録を見比べて、動きを止めた。
「……おい」
低い声。
「三十のはずだ。二十九しかねえ」
一瞬、誰も動かなくなる。
荷車の軋む音が、やけに大きく聞こえた。
「そんなはずねえだろ」
「俺たちは全部運んだぞ」
作業員たちの声が重なる。
責任者の男の眉が、ぴくりと動いた。
「昨日の時点で、確かに三十あった」
声が、強くなる。
「今日になって足りねえってことはだ。どっかで抜かれたってことだろうが」
腰の剣の柄に、手がかかる。
「抜かれたって……誰がだよ」
「俺たちを疑ってんのか」
空気が、刺々しくなる。理屈じゃない。この場は今、力で決まろうとしている。
責任者の男は、一歩前に出た。
「言い訳してる暇があるなら、名乗り出ろ」
剣が、鞘から抜かれる。
金属音が、はっきりと鳴った。
あおいがすぐに動いた。ワンドを握り、静かに構える。
先端がわずかに揺れる。
魔法を放つ気配はない。だが、いつでも動ける。
それだけで十分な圧だった。この空気はよくない。
オレは、息を吸ってから口を開いた。
「すみません。少しだけ、いいですか」
責任者の男が睨みつける。
「なんだ。おまえか?盗んだのは!」
「違います。少し聞いてください!」
オレは一歩も引かず、続けた。
「ここで揉めたら、もっと時間を失います。まずは探すべきです!」
「……オレに逆らう気か?」
剣が、こちらに向く。
あおいの目つきが変わったのがはっきりと分かった。手を向けて静止する。
理不尽だが、
でも、ここで声を荒げたら終わる。
「逆らってません」
オレは、できる限り静かな声で言った。
「まず“誰が悪いか”を決める前に、“何が起きたか”を確認した方がいいだけです」
一瞬、沈黙が落ちる。
責任者の男は、オレを睨み続けた。
だが、その目には――
完全な怒りだけじゃない。焦りが、混じっている。
「……昨日の時点で三十。今日入ったのは誰ですか?」
「おまえと、そこの二人。それと、朝の確認でオレが一回」
「あなた以外に単独で入った人は?」
「……いねえ」
剣が、止まる。
タイラーは続けた。
「可能性は三つです。数え間違い、別の荷と混ざった、それか、まだ倉庫内にある」
「盗まれたかも知れねぇだろ!」
「それは証拠が出てからでいいです。いまは可能性が高いことから始めましょう。」
責任者の男は、歯噛みした。
剣を振りかざすような動き――
だが、それを戻した。
「……チッ」
短い舌打ち。
「荷馬車が出るまでだ。それまでに見つからなきゃ、おまえら全員で弁償だ!」
「わかりました」
役割を分ける。
奥。
棚の陰。
荷車。
あおいは、言われなくても動いていた。
誰も見ようとしない場所へ、まっすぐ向かう。
そして――
別の荷の陰から、三十箱目が見つかった。
「……あった」
空気が、一気に緩む。
責任者の男は、その箱を見つめてから、深く息を吸って次の指示をする。
「……すぐに積み込め!遅れているぞ!」
先ほどの重たい空気が嘘のように、積み込み作業が再開される。
ひと段落した頃、責任者の男がタイラーに近寄って来た。
「さっきは、悪かった。」
責任者としての言葉だった。
「いえ。見つかって良かったです」
ギルドの依頼表に印が押され、仕事は終わる。
男は、依頼書を返しながら言った。
「……また、来れるか?」
一瞬の沈黙。
「依頼があれば」
「そうか」
それだけ言って、男は背を向けた。
帰り道、町外れは少し静かだった。
「……争わなかった」
あおいが言う。
「うん」
「でも、解決した」
「争う必要がなかった」
あおいは少し考え、
「強い人が、決めなかった」
と、言った。
オレは笑った。
「みんな仕事しに来てる。争うためじゃないだろ?」
ギルドで報酬を受け取る。
銀貨一枚と銅貨数枚。金属音が、手のひらで鳴る。
「今日も、働いたな」
その言葉が、少しずつ現実になっていく。
------▫️風の兆し▫️------
あの場で、タイラーも剣は抜けた。
力で押し通して、誰かを黙らせることもできた。
でもタイラーは、しなかった。
声を荒げず、誰かを責めず、順番に考えただけ。
そんな考えをする人は、里の大人達にもいなかった。
私は思う。 強さには種類がある。
壊す強さ。押し通す強さ。守る強さ。
風に呼ばれて、タイラーと一緒にいることにした。
最初は私らしくないと思った。
一緒にいる理由は、まだわからない。
ただ――この人のそばにいると、世界が少しだけ、穏やかになる。




