異世界で、二人乗り 第一部 第11話「はじめて、人だった」
上杉が最初に見たのは、戦っている“人”だった。
小川沿いの視界がひらけた先――木々の隙間に、動く影がある。ただの影ではない。ぶつかり合う音。枝の折れる音。短い叫び。そして、狼のような、でかいモンスターが二体。
同時に二体は、きつい。そう判断した瞬間、影が吹き飛んだ。
人影が、弧を描いて転がる。水色が一瞬だけ視界を横切り、地面に叩きつけられた。
上杉の思考は、そこで切れた。
助太刀に入る。言葉は出ない。出すより先に身体が動く。自分が走っていることに気づいたのは、足元の落ち葉が散った時だった。
狼のようなでかいモンスターが、一体こちらを振り向く。その首の角度だけで、危険がわかる。視線が合った瞬間、唸り声が森を裂く。
上杉は距離を詰めた。近づけば危険、という常識が、今は通じない。遠距離で戦える手段がない以上、近づくしかない。
そこで、上杉は気づいた。左手に、剣がある。
――え?
メットインを開けた記憶はない。取り出した動作もない。なのに、左手にしっくり収まっている。あの高そうな剣。
考える暇はなかった。目の前の狼が、跳ぶ。上杉は半歩ずれる。爪が空を切る。風圧が頬を撫でる。
上杉の左手が、勝手に動いた。
振り下ろす。脳天から。
刃が通る感触が、異様に軽い。抵抗がほとんどない。肉と骨の境目が、薄い紙のように裂ける。
狼のようなでかいモンスターの身体が、崩れた。崩れるのに一拍遅れて、血が噴く。上杉は反射で距離を取る。
“殺した”。
現実の重さが一瞬だけ背中に乗る。だが背中に乗った重さは、次の瞬間に押し流された。
二体目が、こちらに向き直ったからだ。
上杉は呼吸を整えようとして、できない。整える時間がない。それでも体は動く。動いてしまう。
蹴りで間合いを作る。狼が踏み込む。上杉はフェイントで重心をずらし、突きを入れる。
浅い。だが怯む。怯んだ瞬間、上杉は“中心”を狙った。
心臓があるとしたら、このあたりだ。
理屈ではなく、目がそう判断する。上杉は剣を突き刺した。
狼が短く吠え、身体が硬直する。上杉は刃を引き抜き、跳び退いた。
狼のようなでかいモンスターは、数歩進んでから、倒れた。
森に、静寂が落ちた。
上杉は剣を握ったまま、立ち尽くした。肩が張る。腕が震えそうになる。だが震えない。
震えないことが、怖い。上杉は振り返った。
吹き飛ばされた少女は、まだ起き上がっていない。だが上体だけを起こし、こちらを見ている。警戒しているのか、呆然としているのか、判断がつかない。それでも、目はまっすぐだった。
水色の髪。赤い瞳。
上杉の思考が、そこで一瞬止まった。
――綺麗だ。
アニメのキャラでも、外国人のモデルでもない。それらがどれだけ整っていても、ここまで“現実の美しさ”として迫ってはこなかった。生身の存在として、圧がある。
一瞬で目を奪われるとは、こういうことか――
上杉は瞬間的にそう思って、すぐに我に返った。
やばい。見すぎだ。
会社だったら即アウト。視線の扱いを間違えた瞬間、セクハラ案件。研修に載る。人事面談コース。その癖が、ここでも上杉を止めた。
上杉は咳払いし、声を出した。
「だ、大丈夫? 怪我はない?」
少女はゆっくりと息を吐き、立ち上がった。動きは鈍いが、致命的な感じではない。肩を一度だけ動かし、顔をしかめたが、すぐに整える。
「……ありがとう」
その瞬間、上杉は目を瞬いた。
――日本語?
通じる。
しかも流暢だ。訛りもない。
上杉の中で、世界が少しだけ繋がった気がした。繋がったことが、逆に怖い。この世界が“完全に別”なら、諦めがついた。だが言葉が通じるなら、どこかに理解の糸口がある気がしてしまう。
沈黙が落ちる。見つめ合う沈黙。
上杉は慌てて視線を逸らし、剣をしまう動きをした。
しまう……しまうって、どこに?
そこで、第二の違和感が襲った。
――あれ?オレ、剣をさっきどこから出した?
メットインを開けていない。なのに、剣は手にあった。
上杉は剣を見下ろし、頭の中で仮説を立てかけて、やめた。今はそれを考える場面じゃない。目の前に“人”がいる。生きている人間がいる。
これで、ここでの生活の糸口を掴めるかもしれない。
これは、かなり大きな可能性の一つだ。
少女が先に口を開いた。
「旅の人……ですか?」
上杉は、その一言がなぜか嬉しかった。“敵”ではなく、“旅の人”。状況を問う言葉ではなく、存在を認める言葉だった。
「そう、なのかな。迷ってしまってね」
自分でも曖昧だと思う返答だったが、嘘ではない。
上杉は改めて少女を見た。見すぎないように注意しながら。
「君こそ……怪我、してるよね?」
少女は短く頷く。
「大丈夫」
その回答、だいたい大丈夫じゃない。
少女に近寄る上杉。
あくまで、セクハラにならぬよう適度な距離。
左肩のあたりが少し切れているのを発見する。
少女の目は多少警戒しているように見えるが、おとなしく傷を見せてくれる様子だ。
左手から、先ほど自分の傷も治してくれた不思議な白い光が出ないかと考えた。
手をかざす。
すると、少女の肩の傷が綺麗に消えていく。
触ってない。
触れる寸前のところで白い光が出て、少女に移った。ほんとに触っていない。
少女は最初、目を見開いたが、だまって上杉の謎の治癒の光を受けていた。
「……ありがとう」
本日2回目。そしてまた沈黙。
上杉はここで、いつもの癖が出た。
ビジネスで最初に信用を得る方法。それは、手の内を晒すこと。
だが、ここは異世界。おれは余所者。本名を名乗るのはリスクかもしれない。
上杉信一朗。日本の名前。
この世界でどう響くかわからない。
上杉は一瞬だけ迷い――結局、別の名前を口にした。
「……おれはタイラー」
口に出してから、自分でも驚いた。
昔、流行ったゲームで使っていたプレイヤーネーム。本名ではない。でも、自分の一部だった名前だ。
本当に咄嗟だった。なぜか本当に自分の名のようにすべらかに口から出てしまった。
少女は少しだけ眉を上げたが、すぐに頷いた。
「私は――アオイヴェルナリス」
長い。音が多い。上杉は最後まで聞き取れなかった。
アオイ……その音だけが耳に残る。
上杉は、心の中で何度か繰り返し、結論を出した。結論はいつも通り、仮説として。
――アオイ、という名前なんだろう。
「……あおいさん、ね」
上杉はそう言った。
少女――アオイヴェルナリスは、一瞬だけ目を瞬かせた。否定しない。だが肯定もしない。その微妙な間が、逆に上杉を落ち着かせた。
上杉は慌てて付け足す。
「ごめん、最後まで聞き取れなくて……」
アオイヴェルナリスは小さく息を吐いた。そして、短く言う。
「いい」
短い言葉。
それでも、拒絶ではない。
上杉は胸の奥がわずかに緩むのを感じた。
生き延びるだけじゃない。人と話している。それだけで、世界の形が変わる。
上杉は自分の背後にあるジュリオのことを思い出し、少しだけ体をずらした。少女の視線が、ジュリオに向く。
「……それは」
彼女の言葉が止まる。理解しようとして止まる感じだ。
上杉は言い訳のように言った。
「これ……えっと、乗り物。俺の……相棒というほどじゃないけど、置いていけなくて」
言ってから、違うと思った。置いていけない理由は感情じゃない。メットインが――と頭に浮かびかけて、上杉は飲み込んだ。
信用は得たい。でも手の内は晒しすぎてはいけない。適度に。信用が得られる程度。
核心部分は避けて、ボカす。商談の最初はそう進めて来た。この感覚だけは、異世界でも変わらない。
アオイヴェルナリスはジュリオを見つめたまま、静かに言った。
「魔導機械……?」
上杉は眉をひそめた。魔導機械。言葉の意味はわかるのに、実体が結びつかない。
「……ま、どう、きかい?」
鸚鵡返しになる。それが自分でも情けない。
アオイヴェルナリスは視線を戻し、上杉を見る。赤い瞳が、まっすぐだ。
「普通じゃない」
上杉は苦笑しそうになった。それはこっちの台詞でもある。
「だよね……俺もそう思う」
一拍の沈黙。
その沈黙の中で、上杉は急に「自分が何者なのか」を問われている気がした。
旅の人。迷ってしまった。それは事実だ。だが、この世界でどこに向かうのかは、まだ決めていない。
決めていないのに、目の前に人がいる。しかも、助けた人がいる。
責任が生まれる。
上杉はその責任を、言葉にする前に抱え込んだ。
「……歩ける? どこか、休める場所は」
アオイヴェルナリスは一瞬だけ迷い、頷いた。
「少し、なら」
上杉は頷き返し、ジュリオの方へ一歩戻る。メットインに剣をしまうべきだ――と考えたところで、また違和感。
しまう動作をしようとして、手元を見る。
剣がない。
上杉は目を見開き、すぐにメットインを見る。閉まっている。鍵はかかっている。
――いつの間に?
上杉は背中が冷たくなるのを感じた。自分の理解の外で、現象が起きている。だがそれを今掘ると、崩れる。
上杉は深呼吸し、笑って誤魔化した。
「……大丈夫。俺、ちょっと……慣れてなくて」
アオイヴェルナリスは何も言わない。ただ、上杉を見ている。
上杉はその視線を受け止めながら、思った。
この子は、戦っている。この世界で、当たり前に。
そして俺は――当たり前じゃないものを抱えてここにいる。
その差を埋めるには、時間がかかる。でも、時間は作るしかない。
上杉はジュリオのハンドルを握り、言った。
「……行こう。あおいさん」
アオイヴェルナリスは、一瞬だけ目を細めた。それが笑みなのか、警戒なのかは、まだわからない。
だが、拒否ではない。
そして二人は、同じ小川の流れに沿って歩き出した。
------▫️風の兆し▫️------
視界の先で、男が戦っていた。
私は地面に倒れたまま、身体を起こすこともできず、それを見ているしかなかった。呼吸が浅い。胸の奥が、まだ痛む。
――グリムウルフ。
二体。
しかも距離が近い。
本来なら、あの位置関係で二体同時は厳しい。熟練の戦士でも、油断すれば命を落とす。
一体のグリムウルフが、男に向かって跳んだ。
速い。そう思った瞬間、男はすでに動いていた。
声もなく、気負いもなく、ただ距離を詰める。剣が振り下ろされる。
脳天から。
あまりにも迷いがない。グリムウルフの頭部が割れ、そのまま身体が崩れ落ちた。
私は息を呑んだ。
強い。けれど、それ以上に――静かだ。
誇示も、怒りもない。ただ、生き延びるために必要な動きだけを選んでいる。
二体目のグリムウルフが、男に向き直る。
一瞬、男の動きが止まったように見えた。迷った?そう思ったのは一拍だけ。
フェイント。脚で間合いを外し、次の瞬間、剣が突き出される。
刃は、グリムウルフの体の中心へ。心臓の位置。
短い咆哮。そして、重たい音を立てて倒れる身体。
――終わった。
その瞬間だった。
全身に、電撃が走った。
比喩じゃない。本当に、身体の芯を貫かれるような衝撃。
私は、自分でも驚くほど、その男から目を離せなくなっていた。
なぜ?
理由はわからない。理屈も、説明もつかない。
ただ、胸の奥で、何かがはっきりと反応している。
足りなかったものが、見つかった。そんな感覚。
それが何なのかは、わからない。わからないのに、確信だけがある。
安心する。
戦場のど真ん中なのに、心が静かだった。
恐怖が、すっと引いていく。
おかしい。私はずっと、一人で生きてきた。
成人して家を離れてから、誰にも頼らずに。家族はいる。けれど、もう同じ場所にはいない。それだけのことだ。
今さら、家族が恋しいわけじゃない。誰かに守られたいと願っていたわけでもない。
それなのに。
この男を見ているだけで、穏やかな気持ちになる。理由もなく、「大丈夫だ」と思えてしまう。
理解できない。だからこそ、怖い。
声を出そうとして、できなかった。突然すぎて、感情が追いつかない。
男は戦いを終え、こちらを振り返った。
かけられた声。視線が合う。
お礼の言葉を述べるので、精一杯だった。
胸が、強く鳴る。
男は、従えていた魔導機械の方へ歩いていった。
――行ってしまう?
その考えが浮かんだ瞬間、はっきりとした拒否感が湧いた。
いやだ。
理由はわからない。でも、このまま離れてはいけない気がした。
頭じゃない。もっと深いところが、警告している。
一緒にいた方がいい。
気づいた時には、言葉が口からこぼれていた。
「……旅の人、ですか?」
男がこちらを見る。
それだけで、胸のざわめきが少しだけ落ち着いた。
短い会話が交わされる。互いの無事を確かめる言葉。男は治癒術も使う。魔術師様なのか。
男が名乗った。
「……おれは、タイラー」
不思議な響きの名前。
けれど、なぜか引っかかる。
私も、自分の名前を名乗る。
「私は、アオイヴェルナリス」
いつものように、全部を。
男は、最後まで聞き取れなかったみたいだった。一瞬だけ困った顔をして、それから言う。
「……あおいさん、ね」
あおい。
アオ、なら呼ばれたことはある。家族に。昔の場所で。
でも――あおいと呼ばれたのは、初めてだった。
訂正しようと思った。でも、言葉が出ない。
胸の奥で、何かが静かにほどけていく。
この呼び方は、この男だけの特別。なぜか、そう思った。




