異世界で、二人乗り 第一部 第10話「来た」
歩き出して、しばらくした頃。
気配が変わった。
風が止まり、森が息を潜める。このパターン。
前方から現れたのは、狼のような、でかいモンスターだった。
一体。前に戦ったものと同じ種類。
上杉は、もう逃げなかった。
距離を測る。間合いを取る。
踏み込んでくる。半歩下がり、突きを入れる。
浅いが、怯む。
脚を使う。フェイント。重心がずれた瞬間、間合いを詰める。
二度目の戦闘は、短かった。
モンスターの首を落とし、上杉は息を吐く。慣れたくない。だが、身体は応えてしまう。
ジュリオのエンジンをかけて、その場から足早に移動することにした。
もしここがモンスターの活動圏であったなら、また遭遇する可能性は高い。
ガソリンは気になるが、これは緊急措置だ。
考えうるリスクはあらかじめ回避する。当然のことだ。
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しばらくジュリオを走らせると、周囲の気配が変わる。
風が出て来た。木々が揺れ、葉が音をたてはじめた。
ほのかに、あの、この世界に降り立った時に匂ってきた香りがした。そんな気がする。
小川沿いを進んでいると――
前方に、戦闘の気配が見えた。
人影。そして、狼のような、でかいモンスター。またヤツか。
上杉は足を止めた。
------▫️風の兆し▫️------
「――油断した」
少女は歯を食いしばった。言葉にした瞬間、判断が確定してしまうのがわかっていた。それでも、そう呼ぶしかなかった。
森を進む中で、ずっと妙な気配を感じていた。音ではない。匂いでもない。空気の流れが、ほんのわずかに乱れている。それだけだ。
理由はわからない。だが、無視できなかった。
風が、森の奥から手前へと戻ってくるような感覚があった。普段なら、風は流れる。止まることはあっても、戻ることはない。戻る風は、何かに当たって跳ね返った証だ。
――何かがいる。
そう思った時点で、もう一歩、慎重になるべきだった。それなのに、彼女は進んだ。
出てきたのは、グリムウルフ。一体だけ。そう見えた。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように、呼吸を整えた。一体なら対処できる。風も、まだ乱れていない。判断としては、間違っていない――はずだった。
背後で、空気が裂けた。
理解するより先に、衝撃が来る。爪が肩を裂き、身体が宙に浮いた。地面に叩きつけられ、視界が回る。
「……っ!」
肺の空気が一気に抜け、息が詰まる。土の匂いが鼻に入り、葉擦れの音が遠くなる。
――二体。
遅れて、結論だけが追いついた。
風を、読み違えた。いや、読めていた。信じきれなかった。
起き上がろうとして、力が入らない。身体が言う。今は、動くな。
その時だった。
ポコ……ポコ……。
聞いたことのない音。足音ではない。獣のものでも、人のものでもない。
音より先に、風が来た。
暖かい。森の中では、あり得ない温度。夜露を含んだ冷えではなく、誰かの体温に近い、やわらかさ。
頬を撫でるその風に、彼女は目を見開いた。
グリムウルフ二体が、同時にそちらを見る。唸りが止まり、耳が立つ。獣が警戒する方向――そこに、何かがいる。
見えたのは、人影だった。
魔導機械を従えた、魔術師のような男。
金属の塊が、低い音を立てながら地面を進んでいる。火でも雷でもない。それなのに、異様な存在感。
――遠い。
そう感じた。
距離としては、そう離れていないはずなのに。風を介して伝わってくる気配が、遠い。この森のものではない。森に、馴染みきっていない。
けれど。
風は、確かに彼に向かっていた。そして、その風は――彼女自身の立っている場所へと、繋がっていた。
その瞬間、彼女はわかった。
これは偶然ではない。呼んだ覚えはない。
だが、拒んだ覚えもない。
風は、条件が揃った場所にしか吹かない。
今、この場所に、それが揃った。
――来た。
彼が、この世界に落ちた瞬間と、同じ風だった。
そこには、ジュリオに乗った上杉がいた。




