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悪役令嬢の盾として死んだ俺、美少女へ転生して彼女(氷の魔女)と結ばれる 〜世界は彼女を捨てた。だから彼女は世界を捨てた〜』  作者: 抵抗する拳
第1章:氷の城の再会と青い薔薇の幸福論

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第7話 動き出す運命


 車輪が凍ったわだちを噛む音が、断続的に響いていた。

 護送用の馬車は、まるで巨大な棺桶のように冷たく、陰鬱な空気に満ちている。

 鉄格子の嵌まった窓の向こうには、果てしない白銀の世界が広がっていた。

 街を出てから数日。北へ進めば進むほど世界からは色が失われ、代わりに死の匂いが濃くなっていく。


 同乗しているのは監視役の兵士が二人。

 彼らは分厚い毛皮のコートを着込み、携帯コンロの微かな火に手をかざして震えていた。

 対するレアは孤児院から支給された薄手の外套一枚だ。普通なら凍死しかねない環境だが、不思議と寒さは我慢できた。

 前世の最期、雪の中で失血死した時の寒さに比べれば、まだ呼吸ができるだけマシだという感覚があるからかもしれない。


「⋯⋯おい、聞いたか。前回の使者の話」


 沈黙に耐えかねたのか、若い方の兵士が口を開いた。声が恐怖で強張っている。


「ああ。交渉が決裂して、生きて帰れなかったってやつだろ?」

「違うんだよ。ただ殺されただけじゃない。⋯⋯『彫像』にされたって」

「彫像?」

「氷漬けだよ。生きたまま、一瞬でカチコチに凍らされて⋯⋯今も魔女の城の庭に飾られてるって噂だ。永遠に溶けない氷の中で、死に顔を晒し続けてるんだと」


 年嵩の兵士が、ヒッと喉を鳴らして身を縮こまらせた。


「よせよ、気味の悪い。やっぱり、あの噂は本当なのか? 魔女は人の血肉を喰らう化け物だって」

「ああ、間違いない。気に入らない人間は指先ひとつで粉々に砕かれるし、少しでも不敬を働けば魔獣の餌だ。⋯⋯俺たちが送っていくこの娘も、きっと三日と保たんだろうさ」


 兵士たちの視線が、憐れみと蔑みの混じった色でレアに向けられる。

 レアは膝の上で組んだ手をじっと見つめ、聞こえないふりを続けたがその胸の内は、寒さとは別の痛みで軋んでいた。


(⋯⋯気に入らない者を、粉々に?)


 兵士たちの語る「氷の魔女」の姿は暴虐で、残忍で、人の心を持たない怪物のようだ。

 王国の人々にとって、北の主は恐怖の象徴でしかない。


 だがレアの記憶の中にある「北の領主」は違った。

 エルンスト公爵令嬢、シルヴィア。

 一五年前、この地を治めていた公爵家の彼女は、確かに冷徹で近寄りがたい雰囲気を持っていた。しかし、それは弱さを見せることを許されなかった少女の鎧であり、その内側には誰よりも高潔な魂があったはずだ。


 領民が飢えれば自らのドレスや宝石を売ってでも食料を手配し、不正を行う代官には毅然と立ち向かう。

 そんな誇り高い彼女が、人をなぶり殺しにして楽しむような真似をするだろうか。


(いいえ。あの方が、そんな怪物に成り下がるはずがない)


 レアは心の中で強く否定する。

 きっとシルヴィアは亡命に成功して、どこか遠い国で静かに暮らしているはずだ。

 今の「氷の魔女」は、エルンスト家が去った後の空白地に住み着いた、別の強力な魔法使いに違いない。

 そう信じたかった。そうであってほしかった。


 けれど――。

 ふと、胸の奥に黒い不安が頭をもたげる。


『もし私に何かが起きても、お前だけは生きろ』


 あの日、彼女はそう命じた。

 それなのにレンは命令に背いた。

 彼女の意思を無視し勝手に死を選び、彼女を一人ぼっちにして逃がした。


 それは従者としての心からの忠義だったが、彼女にとっては「裏切り」だったのではないか。

 最も信頼していた人間に一人、取り残され強制的に生かされた絶望。その傷が高潔だった彼女の心を壊してしまったとしたら?


(⋯⋯もし、まかり間違って私の死が彼女を狂わせてしまったのだとしたら)


 想像するだけで、呼吸ができなくなるほどの罪悪感がレアを襲う。

 道具として使い潰されて死ぬことは本望だった。

 だが、その結果として主人の魂まで汚してしまったのなら、それは万死に値する罪だ。


「⋯⋯ッ」


 レアは強く唇を噛み締めた。鉄の味が口の中に広がる。

 確かめなければならない。

 その魔女が何者なのか。

 そして、もし万が一、その正体が彼女だったとしたら――。


(その時、私は一体どうすればいいのだろうか⋯⋯)


 もし彼女が狂気に蝕まれているのならその怒りも、憎しみも、苦しみも、すべてこの身でもってどうにかしなければならない。それが約束を破って先に逝った従者のせめてもの罪滅ぼしだ。

 

 しかし、今更どの面下げて会いに行けばいい? 一五年間も主を放置した道具に再び仕える資格があるものだろうか? 第一、この身は少女だ。かつての従者をこんなチンチクリンが名乗るはどう考えてもおかしい――延々と自問するレアはついぞ答えに辿り着けなかった。



     * * *



 馬車は数日かけて雪山を越え、ついに「北の果て」と呼ばれる領域へと足を踏み入れた。

 そこは世界そのものが凍りついたような場所だった。

 空は重く垂れ込め、太陽の光すらも凍らせるような吹雪が吹き荒れている。

 気温は明らかに異常だった。通常の冬の寒さではない。大気そのものが拒絶の意思を持っているかのような、魔力を帯びた冷気。


「こ、ここらで限界だ! これ以上進んだら戻れなくなっちまう!」


 御者台から悲鳴のような声が上がった。

 馬車が軋んだ音を立てて停止する。

 兵士が乱暴に扉を開けた。猛烈な寒風が一気に車内へとなだれ込み、レアの銀髪を無遠慮にかき乱す。


「降りろ! ここからは歩いて行け!」

「⋯⋯ここからですか?」


 レアが外を覗くと道などどこにもなかった。あるのは膝まで埋まる雪原と、視界を遮るホワイトアウトだけ。


「魔女の城はこの丘を越えた先だ。俺たちはこれ以上近づけねえ。結界を超えたら命が危ないからな」


 兵士はレアの荷物――わずかな着替えが入った粗末な袋――を雪の上に放り投げた。

 完全に厄介払いの言い訳なのはあきらかで、彼らは一刻も早くこの死の領域から逃げ出したいのだ。


 黙って馬車を降りたレアは雪を踏みしめる。

 ズブ、と足が沈む。冷たさが靴底を貫通して肌を刺す。


「じゃあな、生贄の嬢ちゃん。運が良ければ、綺麗な氷像になれるかもしれないな!」


 捨て台詞を残し、馬車は慌ただしく方向転換すると脱兎のごとく走り去っていった。

 取り残されたのは一五歳の少女一人。

 周囲は白一色の絶望的な光景だがレアは震える足を叱咤し、顔を上げた。


 見覚えがあった。

 一五年という月日が地形を変え、雪が全てを覆い隠していても魂が覚えている。

 この冷たい風の匂いを。この張り詰めた空気の味を。


(ここは⋯⋯お嬢様が逃げ延びた場所だ)


 かつて王宮の庭園から転移魔法で逃げ延びた先。

 そして、シルヴィアを逃がすために送り出した座標。

 腹部の古傷――今世の体には存在しないはずの傷痕――が、幻痛として疼く。


 レアは荷物を背負い、身体強化を使って雪の丘を一歩ずつ登り始めた。

 風が「帰れ」と叫ぶように吹き付ける。

 体感温度は氷点下を優に超えているだろう。この防寒の備えでは身体強化の心得がなければ、数分で意識を失っているはずだ。

 レアは無意識に魔力を練り、体温の低下を防ぎながら進んだ。前世で鍛え上げた技術は、少女の華奢な体でも錆びついてはいなかった。


 やがて丘の頂上にたどり着いた時。

 吹き荒れる雪のカーテンが一瞬だけ晴れ、その全貌が姿を現した。


「――あぁ」


 レアの口から感嘆とも悲鳴ともつかない吐息が漏れた。


 そこには城があった。

 かつてレンが知っていた古びた離宮ではない。

 それは巨大な氷の結晶そのものだった。


 尖塔は天を突き刺すように高く聳え、城壁は透き通るような青白い氷で構成されている。

 陽の光がないのに、城そのものが内側から幽玄な光を放ち、周囲の吹雪さえも従えているかのような威容。


 美しい。

 この世のものとは思えないほど残酷で、孤独で、美しい城。

 その美しさは拒絶の美しさだった。

 何者も寄せ付けず、何者も愛さず、ただ孤高に君臨するためだけの要塞。


 ドクン、とレアの心臓が早鐘を打った。

 激しい動悸。

 懐かしさと、恐怖と、そしてどうしようもない切なさが胸を締め付ける。


 この城の主が誰であれ、その心は凍りついている。

 この城壁と同じくらい分厚い氷で、世界との繋がりを断ち切っている。


「シルヴィア様⋯⋯」


 口に出した名前は、風にかき消された。

 レアは一度だけ深呼吸をすると、氷の城へと続く道を歩き出した。

 小さな足跡が、雪の上に続いていく。

 それは自ら虎の尾を踏みにいくような、あるいは蜘蛛の巣へ飛び込む蝶のような、無謀な歩みだった。


 城門が近づくにつれ、空気中の魔力濃度が濃くなっていく。

 肌を刺すようなプレッシャー。

 普通の少女なら気絶してしまうほどの威圧感の中で、レアはただ一途に門を見据えていた。


 その門の向こうに待つのが断罪か、それとも救済か。

 どちらにせよ、レアの二度目の運命はこの氷の城で再び動き出そうとしていた。

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