第21話 騎士団の最期
それは行軍というよりは、死地への葬列に似ていた。
ランベルト王国の精鋭を集めた「聖騎士団」
王太子シリルが結成し、国庫を叩いて揃えた最新鋭の装備に身を包んだ五百の兵たちは白銀の荒野を進んでいた。
彼らが掲げる旗には王国の紋章である黄金の獅子が描かれている。だが吹き荒れる吹雪の中では、その獅子も凍えて身を縮こまらせているように見えた。出立前に付与された支援魔法もすでに効力を失いかけている。
「見えたぞ! 魔女の城だ!」
先頭を行く騎士が声を上げた。
吹雪の切れ間、遥か彼方の丘の上にそれは聳え立っていた。
巨大な氷の結晶で構成された城塞。
陽の光を浴びて青白く輝くその姿は神々しいまでに美しく、同時に生物の生存を許さない絶対的な拒絶のオーラを放っていた。
「⋯⋯ひっ」
列の中ほどで馬の手綱を握りしめていた男が、小さな悲鳴を上げた。
バルダー子爵である。
彼は今回の「視察団」――実質的な討伐部隊に道案内兼、魔女の弱点を知る証人として同行させられていた。
凍えぬように追加で支援魔法をかけてもらい、分厚い毛皮を何枚も重ね着しているが震えが止まらない。
寒さのせいだけではなかった。彼は知っているのだ。あの城の中で自分が味わった恐怖を。あそこで飼われている「少女」が、ただの人質などではないことを。
(お、おかしい⋯⋯! 前回はここまでひどい吹雪ではなかった! 引き返すべきだ、今すぐに!)
「ゲイリー団長! この環境では流石に貴殿の部隊でも危険ではないか」
本能は警鐘を鳴らしている。以前にもまして凄まじい暴風雪が彼の心を完全に凍えさせ、撤退を進言させたが騎士団長であるゲイリーは功名心に目を輝かせていた。
「ハッハッハ、ご安心なされよ。バルダー子爵は少女の発見だけに力を注いでくれればよい! 全軍、停止! これより作戦を開始する!」
ゲイリーが大剣を掲げ、怒声を張り上げた。
「敵は魔女一人! そして我々の目的は、魔女が執着する人質の少女を確保することだ! 少女さえ手に入れれば魔女は無力化できる! この冬を終わらせ英雄となるのは我々だ!」
おおお! と騎士たちが雄叫びを上げる。
彼らは信じていた。王太子とバルダー子爵が語った「魔女の弱点」という甘い蜜を。
正義は我にあり。数でも勝っている。負けるはずがない。
そんな浅はかな楽観が彼らの足を前へと進ませた。
――彼らが、「結界」の内側に踏み込んだ、その瞬間までは。
* * *
ヒュオオオオオオオオッ!!
世界が変わった。
結界を越えた瞬間、風の音が変わったのだ。
それまでの風が「唸り」だとするなら、今の風は「殺意の咆哮」だった。
気温が一瞬にして数十度下がった。
マイナス三〇度、四〇度⋯⋯いいや、生物が活動できる限界を超えた、絶対零度に近い世界。
「な、なんだこれは⋯⋯!?」
「あ、足が⋯⋯動かぬ!」
騎士たちの悲鳴が上がる。
最新鋭の鋼鉄の鎧が仇となった。
極低温に晒された金属は瞬時に冷却され、触れている皮膚や肉を焼き焦がすように凍結させたのだ。
関節部分の油が凍りつき、動こうとすればガキンと嫌な音がして鎧がひしゃげる。
馬たちが狂乱していななきバタバタと倒れていく。
肺が凍りつき、血を吐いて絶命する馬たち。投げ出された騎士たちが雪の中に沈む。
「ひ、ひるむな! 魔女の魔法だ! 防御陣形をとれ! 結果を張れぇ!」
団長のゲイリーが叫ぶものの、その声すらも風にかき消されていく、魔法使い部隊がたまらず防御結界を展開しようと杖を掲げたが、詠唱すらままならない。唇が凍りついて上手く言葉にならないのだ。
かろうじて発動した炎の魔法も蝋燭の火のように一瞬でかき消された。
この空間において、物理法則を支配しているのは「氷の魔女」ただ一人。
彼女の許可なく、火を灯すことすら許されない。
「くそっ、魔女め! 姿を見せろ!」
ゲイリーが凍りつく睫毛をこすりながら、城に向かって叫んだ。
「我々はランベルト王国聖騎士団だ! 貴様の悪行を断罪しに来た! 人質を解放し、大人しく投降しろ!」
返答はない。
ただ、白い風が吹き荒れるだけ。
無視されている。
いや、そもそも「敵」として認識されていない。
ズズズ⋯⋯ズズズ⋯⋯。
地響きと共に吹雪の向こうから巨大な影が現れた。
一つではない。十、二十、三十⋯⋯。
氷のゴーレムたちだ。
身長三メートルを超える巨体。全身が鋭利な氷柱で覆われた、無機質な守護者たち。
「て、敵だ! 構えろ!」
騎士たちが剣を抜く――否、凍りついた手では剣を抜くことはおろか、握ることすら困難だった。
ゴーレムたちは、騎士たちの剣幕など気にも留めない様子で、ただ淡々と「作業」を開始した。
ブンッ。
丸太のような腕が振るわれる。
それは攻撃というにはあまりにも大雑把で無慈悲だった。
掃除。そう、庭に入り込んだ害虫を払うような動き。
ガシャアンッ!!
金属が砕ける音が響く。
騎士たちは紙屑のように吹き飛ばされた。
鎧ごと粉砕される者。雪山に叩きつけられ、埋もれる者。
剣で応戦しようとした者の刃は、ゴーレムの体に触れた瞬間に飴細工のように砕け散った。
「ば、化け物⋯⋯!」
「魔法が効かないぞ!?」
「無理だ! 勝ってこない!」
阿鼻叫喚の地獄絵図、そこに戦場特有の熱気は存在しなかった。
一方的な蹂躙によって熱い血さえも、空中に撒かれた瞬間に赤い氷の粒となって地面に落ちる。
城のバルコニーには人の影すらなく、魔女は姿を見せない。
彼女は今頃、暖かい部屋で愛する少女と体を温め合って楽しんでいるのだろうか。
外で数百の人間が死に絶えようとしていることなど、窓の外の悪天候の一部として処理されているのだ。
その圧倒的な「格差」に、ゲイリーは今更ながら絶望した。
戦いにすらなっていない。
我々は何に挑もうとしていたのだ?
弱点? 人質?
そんな小手先の策が通じる相手ではなかった。
ここは人が立ち入ってはならない神域、自然災害そのものに剣を向けるような愚行だったのだ。
「撤退だ!! 全軍、撤退ぃぃぃ!!」
誰かが叫んだ。
もはや指揮系統など機能していなかった。
生き残った者たちは我先にと背を向け、雪の中を這いずり回り始めた。
プライドも、騎士道も、すべて凍りついた雪原に捨てて。
* * *
敗走する集団の最後尾にてバルダー子爵は、雪に足を取られて転倒した。
「あ、あぐっ⋯⋯!」
なんとか起き上がろうともがくが、体が言うことを聞かない。
厚着をした毛皮が水分を含んで凍りつき、鉛のように重くなっていた。
感覚のない指先で雪をかこうとするが、すべて無駄だった。
「ま、待て⋯⋯待ってくれぇ!」
前を行く騎士の背中に向かって、声を絞り出す。
「私を置いていくな! 私は子爵だぞ! 王太子殿下の側近だぞ!」
騎士の一人が振り返った。しかしその目は虚ろで恐怖に染まっていた。
彼はバルダーを一瞥すると助け起こすどころか、自分の荷物を軽くするために盾を投げ捨て、そのまま走り去っていった。
「あ⋯⋯」
見捨てられた。
当然だ。この地獄において身分など何の意味も持たない。
あるのは生への執着だけ。足手まといを抱えれば自分も死ぬ。
「う、嘘だ⋯⋯こんなの、嘘だ⋯⋯」
バルダーは涙を流した。その涙が頬を伝う前に凍りつき皮膚を裂く。
なぜこうなった。
自分はただ、保身のために少し嘘をついただけだ。
魔女には弱点がある。少女を狙えば勝てる。
王太子が喜ぶような報告をして、地位を守りたかっただけなのだ。
その嘘が五百人の精鋭を死に追いやり、自分自身をも殺そうとしている。
だんだんと視界が白く霞んでいく、遠ざかる足音も風の音に消されて聞こえなくなった。
ふと顔を上げると吹雪の向こうに氷の城が見えた。
相変わらず、美しく、静かに佇んでいる。
何の揺らぎもない。何の傷もない。
こちらの騒ぎなど、気づいてすらいないかのように。
(ああ、いいなぁ⋯⋯)
バルダーは朦朧とする意識の中で思った。
あの中は、きっと暖かいのだろう。
あの時、自分をねじ伏せた銀髪の少女と魔女は今も幸せそうに笑っているのだろうか。
自分が引きずり下ろそうとした者たちは遥か高みにいた。
地上を這いずり回る虫けらの声など、届くはずもなかったのだ。
手足の感覚が消える。
寒さが不思議な熱さに変わっていく。
眠気が優しく意識を覆っていく。
バルダー子爵の体はやがて降り積もる雪に覆われ、ただの白い膨らみへと変わっていった。
ランベルト王国聖騎士団。
その壊滅は誰一人として魔女の顔を見ることすらなく、何に負けたのかさえ理解できぬまま、静かに完了した。
風だけが、墓標のない雪原を吹き抜けていく。
氷の城は、沈黙を守り続けていた。




