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悪役令嬢の盾として死んだ俺、美少女へ転生して彼女(氷の魔女)と結ばれる 〜世界は彼女を捨てた。だから彼女は世界を捨てた〜』  作者: 抵抗する拳
第1章:氷の城の再会と青い薔薇の幸福論

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第12話 凍てつく夜の温もり


 世界が壊れる音がしていた。

 窓の外では、ここ数年で一番とも思われる猛吹雪が吹き荒れている。

 風が城壁を叩き、窓ガラスを揺らす音はまるで無数の亡霊が「中に入れろ」と爪を立てているかのようだった。


 しかし、その轟音さえもこの部屋の中までは届かない。

 城の最上階にある主寝室。

 分厚い天蓋と何重にも張り巡らされた結界に守られたこの場所は、深海のように静かだった。


 レアは部屋の隅に置かれた豪奢な長椅子カウチの上で天井を見つめていた。

 眠れるはずがなかった。

 あの騒動以来、シルヴィアの警戒心は極限に達していた。


 「私の目の届く範囲にいなさい」

 その言葉通り、レアはシルヴィアの寝室で眠ることを強制された。さすがに同じベッドではないが数メートルしか離れていない場所だ。


(⋯⋯魔女様)


 レアは首を巡らせ、部屋の中央に鎮座する巨大な天蓋付きベッドを見た。

 薄いカーテンの向こうに主の姿がある。


 シルヴィアは疲れ果てて眠りについたはずだった。レアがいなくなるかもしれないという恐怖がストレスになって精神を疲弊させ、魔力の暴走も相まって消耗しているからだ。


 今宵、その安息は長くは続かなかったらしい。


「⋯⋯ぅ⋯⋯、あ⋯⋯」


 苦しげなうめき声が、カーテンの向こうから漏れ聞こえてきた。

 レアは弾かれたように身を起こした。


「⋯⋯いや⋯⋯だめ⋯⋯」

「待って⋯⋯いかないで⋯⋯レン⋯⋯ッ!」


 心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。

 彼女は夢を見ている。

 悪夢だ。それも、ただの悪夢ではない。

 彼女の魂を十五年間縛り続けている、あの日――雪の庭園での別れの記憶だ。


 レアは裸足のまま床に降りた。

 近づいてはいけないのかもしれない。自分は道具であり、今はただの愛玩動物という立場だ。主人の睡眠を妨げることは許されない。

 それでも、そんな理性よりも先に体が動いていた。


 レアは音もなくベッドに歩み寄ると震える手でカーテンを少しだけ開けた。

 

 そこには世界で一番孤独な女性がいた。

 シルクのネグリジェを纏ったシルヴィアはシーツを握りしめ、玉のような汗を浮かべて震えていた。

 整った眉根は苦悶に歪み、唇からは絶え間なく拒絶の言葉が溢れている。


「死なないで⋯⋯お願い⋯⋯私を置いていかないで⋯⋯」


 涙が閉じた瞼の端から溢れ、枕を濡らしている。

 その姿は昼間の妖艶な魔女とも傲慢な主人とも違っていた。

 ただの傷ついた少女。

 雷の夜にベッドの隅で震えていた、あの子のままだった。


(ああ、私は⋯⋯なんてことを)


 レアの胸が痛む。

 彼女を助けるために死んだつもりだった。

 彼女の未来を守るために、自分の命を代償にした。

 けれどその結果がこれだ。

 彼女は十五年間、毎夜の如くこうして私の死に顔を夢に見て、孤独な夜に怯え続けてきたのだ。

 私が彼女を「過去」という名の牢獄に閉じ込めてしまったのだ。


「⋯⋯シルヴィア様」


 レアは躊躇わなかった。

 ベッドに上がり込み、悪夢にうなされる彼女の隣に滑り込む。

 不敬だとか、身分差だとか、そんなものはどうでもよかった。

 今はただ、この震えをなんとしてでも止めなければならない。


 レアはシルヴィアの背中に手を回し抱き寄せた。

 そして、その背中を一定のリズムで叩き始めた。


 トン、トン、トン。


 優しく。ゆっくりと。

 母親が赤子をあやすように。

 あるいは、心臓の鼓動を教えるように。


 それは、かつて「レン」だった頃の癖だった。

 まだシルヴィアが幼く、誰も味方がいない中で雷に怯える彼女に、レンはいつもこうして背中を叩いてやった。


 『大丈夫ですよ。私はここにいます』という言葉の代わりに。


 トン、トン、トン。


 レアの手のひらから伝わる温もりが、シルヴィアの硬直した体を少しずつ解いていく。

 呼吸が整い、うめき声が小さくなり――やがてシルヴィアの瞼が震え、ゆっくりと開かれた。


 薄暗い部屋の中。

 ぼんやりとした視界に映ったのは、すぐ近くにある銀色の髪と心配そうに自分を見つめる琥珀色の瞳。


「⋯⋯あ⋯⋯」


 シルヴィアの瞳孔が開き、夢とうつつの境界が曖昧に溶け合う。

 目の前にいるのは少女だ。分かっている。

 だけどその手が刻むリズムは、その瞳の温度は間違いなく「彼」のものだった。


「⋯⋯レン?」


 掠れた声で彼女は呼んだ。

 レアという少女の名前ではなく、魂に刻まれた愛しい人の名前を。


 レアは息を呑んだ。

 もうレンじゃない、否定するべきだ――「いいえ、レアです」と。

 あるいは「違います、夢を見ておられるのです」と。

 だが今のシルヴィアに現実を突きつけることは、あまりにも残酷に思えた。

 彼女は今、凍える吹雪の中でたった一つの火種を見つけた旅人のような目をしている。

 それを吹き消すことなど、レアには到底できなかった。


「⋯⋯はい」


 レアは肯定とも否定とも取れる曖昧な返事をした。

 ただ「私はここにいますよ」という意味を込めて。


 その一言でシルヴィアの理性の堤防が決壊した。


「レン⋯⋯ッ! レン、レン、レン⋯⋯!」


 シルヴィアはレアの体に腕を回してしがみつく、溺れる者が流木にすがるような、必死で痛いほどの抱擁。そしてレアの胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。


「会いたかった⋯⋯ずっと、ずっと会いたかった⋯⋯! なんで死んだの、なんで私を置いていったのよぉ⋯⋯!」

「ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」


 レアもまた、彼女を抱き締め返した。

 華奢な少女の腕では、大人の女性である彼女の体を包み込むには足りない。

 それでもその魂の大きさで包み込むようにレアは彼女の頭を優しく撫で続ける。


「もうどこにも行きません。あなたの傍にいます」

「嘘よ⋯⋯また私を置いていくのでしょう⋯⋯?」

「いいえ。誓います。私はあなたのものです」


 それは道具としての誓いではなかった。

 もっと重く、逃げ場のない「共有者」としての誓い。

 あなたの狂気を、孤独を、罪悪感を、すべて私が受け止めますという契約。


「⋯⋯暖かい」


 シルヴィアがレアの首筋に顔を擦り付けながら呟いた。

 涙で濡れた頬の感触が生々しい。


「レンの匂いがする⋯⋯懐かしい、陽だまりの匂い⋯⋯」


 彼女の指先がレアの背中を這う。

 確かめるように。所有印を押すように。

 そこには、かつての主従の節度など微塵もなかった。

 あるのは飢えた獣が獲物を捕らえたような、あるいは半身を失った人間がそれを取り戻したような、切実な愛着だけ。


 レアは抵抗しなかった。されるがままに彼女の温もりをただ受け入れる。


(もし、私がレンの代わりになることで彼女が救われるなら)


 それは歪んでいる。

 私はレアであり、レンではない。

 彼女が見ているのは私の背後にある幻影に過ぎないだろう。

 しかし、それでもいい。

 この冷たい氷の城で、彼女が安眠できる唯一の方法が「私という抱き枕」であるなら、私は喜んでその役目を果たそう。


「⋯⋯もう離さないわ」


 シルヴィアが顔を上げ、至近距離からレアを見つめた。

 その瞳は熱に浮かされたように潤み、そして妖しく輝いていた。

 彼女はレアの頬に手を添え、親指で唇をなぞる。


「たとえ神様が許しても、私は許さない。お前は私のものよ。魂の最後の一欠片まで、私が縛り付けておくわ。分かったわね?」

「⋯⋯はい、魔女様」


 レアは目を細め、その呪いのような愛の言葉を受け入れた。

 シルヴィアの顔がそっと近づき⋯⋯触れるだけの、口づけ。

 それは性的な意味合いよりも契約の印に近い、神聖で冒涜的な儀式だった。


 唇が離れるとシルヴィアはようやく安堵したように微笑んだ。

 その笑顔は、かつてレンが守りたかった、あどけない少女の笑顔に少しだけ似ていた。


「⋯⋯一緒に寝て。朝まで私の鼓動を聞いていて」

「承知いたしました」


 シルヴィアはレアを抱き枕のように手足で絡め取り、再び深い眠りへと落ちていった。

 今度は、うなされることはなかった。

 レアの体温とその匂いに包まれて、十五年ぶりに本当の安らぎを得たかのように、穏やかな寝息を立て始めた。


 レアは眠る彼女の顔を至近距離で見つめ続けた。

 窓の外では、相変わらず猛吹雪が世界を凍らせていて、でもこの布団の中だけは世界で一番暖かかった。


 レアは悟った。もう後戻りはできないことを。

 主従関係という一線はこの夜、完全に消滅したのだ。

 これからは「依存する者」と「依存される者」あるいは互いの傷を舐め合う「共依存」。


 金の檻の鍵をかけたのはシルヴィアだが、その鍵を飲み込んだのはレア自身だったのかもしれない。


 レアはシルヴィアの背中に回した腕に力を込め、そっと目を閉じた。

 その顔には諦めと、そして深い充足感が浮かんでいた。

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