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悪役令嬢の盾として死んだ俺、美少女へ転生して彼女(氷の魔女)と結ばれる 〜世界は彼女を捨てた。だから彼女は世界を捨てた〜』  作者: 抵抗する拳
第1章:氷の城の再会と青い薔薇の幸福論

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第10話 金の檻、または愛の鳥籠


 その夜、シルヴィアはそれ以上、レアを問い詰めることはしなかった。

「も、申し訳ありません⋯⋯その、魔女様に安らいで頂こうと思っただけで」というレアの言い訳ともつかない言葉を最後に、彼女はふっと息を吐き、憑き物が落ちたように力を抜いたのだ。

 それは疑念が晴れたからではない。

 むしろ、確信が深まったがゆえの余裕に見えた。


「⋯⋯そう。あくまでしらを切るというのね」


 シルヴィアは濡れた瞳で妖艶に微笑んだ。その笑みは獲物を袋小路に追い詰めた狩人のそれだった。


「なら、確かめさせてもらうわ。お前の『たまたま』がどこまで続くのかを」


 彼女はレアの頬を手背しゅはいで一度だけ撫で上げると、踵を返して執務室の椅子へ戻っていった。

 残されたレアは、吹き抜ける冷たい空気の中で立ち尽くすことしかできなかった。

 心臓が痛いほど早鐘を打っている。

 バレていないはずがない。だけど彼女はあえて踏み込んでこなかった。

 それは慈悲なのか、それとも――もっと深い沼への入り口なのか。


 その答えは、翌朝すぐに明らかになった。



     * * *



 朝、レアが目覚めたのは埃っぽい使用人部屋の硬いベッドの上⋯⋯ではなかった。


「⋯⋯え?」


 視界に飛び込んできたのは、レースのあしらわれた天蓋だった。

 体を包んでいるのは雲のように柔らかい真綿の布団と滑らかなシルクのシーツ。

 空気は適温に保たれ、ほのかに甘い香油の匂いが漂っている。


 レアは飛び起きた。

 そこは城の最上階に近い「貴賓室」だった。

 かつてレンだった頃、国賓級の来客がある時のために完璧に整備していた部屋に似ている。

 壁には一流の絵画が飾られ、床にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。窓の外には猛吹雪ではなく、魔法で維持された美しい氷花の中庭が見渡せた。


「なぜ、私がこんなところに⋯⋯」


 混乱するレアの耳に、ガチャリと扉が開く音が届いた。

 入ってきたのはドレスアップをした氷のゴーレム⋯⋯ではなくシルヴィア本人だった。

 漆黒のドレスを翻し、その腕には山のような衣装を抱えている。


「おはよう、レア。顔色は良さそうね」


 シルヴィアは上機嫌だった。

 昨夜のやつれた様子が嘘のように、その肌は艶めきアイスブルーの瞳は爛々と輝いている。


「ま、魔女様!? あの、これは一体どういう⋯⋯私は使用人部屋にいたはずですが」

「あんな埃っぽい部屋、人が住む場所じゃないわ。今日からここがお前の部屋よ」

「そ、そんな! 私のような生贄風情が、このような立派な部屋を使うわけにはいきません!」


 レアはベッドから降りて跪こうとした。

 だがシルヴィアの魔法がそれを許さない。見えない風が優しくレアの体を支え、ベッドに押し戻す。


「謙遜は美徳ではないわ。それに生贄というのは訂正しなさい」


 シルヴィアはベッドの端に腰を下ろし、レアの顔を覗き込んだ。


「お前は今日から、私の『特別なお客様』よ。もう掃除も、洗濯も、料理もしなくていい」

「ええ⋯⋯?」

「労働は全て使い魔にやらせるわ。お前はただ、ここで好きな服を着て、好きなものを食べて、私と一緒にお茶を飲んでいればいいの」


 シルヴィアが指を鳴らすと、抱えていた衣装がベッドの上に広げられた。

 どれも最高級の生地を使ったドレスばかりだ。淡いピンク、清楚な白、高貴な紫。宝石が縫い付けられたものもある。

 孤児院で育ったレアには、一生かかっても買えないような代物だ。


「さあ、どれがいい? お前の髪は銀色だから、この深い青も似合うと思うのだけど」


 まるで着せ替え人形を楽しむ少女のように、シルヴィアはドレスをレアの体に当てがう。

 レアは戸惑いを通り越して恐怖を感じていた。

 これは、一体全体どういうことだ?

 昨夜の紅茶の件で彼女の逆鱗に触れたのだろうか。これは処刑前の最後の晩餐のようなものなのか?


「魔女様、困ります。私は働くために来たのです。皆の役に立ってこそ、私が生きている意味が⋯⋯」

「黙りなさい」


 シルヴィアの声が、一瞬だけ鋭くなった。

 彼女はドレスを置き、レアの両手を強く握りしめた。


「見て、この手を」


 シルヴィアはレアの手のひらを広げ、愛おしそうに親指で撫でた。

 冬の水仕事で荒れ、あかぎれができた手。

 前世の剣ダコとは違うが、苦労が滲んだ手だ。


「こんなに荒れて⋯⋯可哀想に。痛かったでしょう? 寒かったでしょう?」

「い、いいえ、これくらい平気です。私は道具ですから、使い潰されてなんぼで⋯⋯」

「二度と! その言葉を口にするなと言っているの!」


 シルヴィアが声を荒らげた。

 その瞳には、激情が渦巻いていた。


「お前の手は雑巾を絞るためのものじゃない。床を這いつくばるためのものじゃないわ。⋯⋯私のために紅茶を淹れ、私の髪を梳き、私に触れるためだけにあるのよ」


 彼女はレアの荒れた指先に、一つ一つ口づけを落としていく。

 熱い唇の感触に、レアの背筋が震えた。

 それは崇拝に近い行為であり、同時に逃げ場のない呪縛のようでもあった。


「治れ。綺麗になれ」


 シルヴィアが囁くと、その唇から淡い光が溢れた。

 最高位の治癒魔法だ。

 レアの手のあかぎれが、ささくれが、みるみるうちに消えていく。

 数秒後には白魚のように滑らかな、傷一つない少女の手になっていた。


「⋯⋯あ」


 レアは自分の手を見つめた。

 綺麗だ。けれど、これは「働くための手」ではない。

 何も生み出さない、ただ愛でられるためだけの手。


「これでいいわ。⋯⋯さあ、着替えて。朝食はテラスでとりましょう。お前が淹れてくれた紅茶ほど美味しくはないけれど、最高級の茶葉を用意させたから」


 シルヴィアは満足げに微笑み、レアの頬を撫でた。

 その瞳の奥には、底なしの暗い情熱が揺らめいていた。

 

 拒否権はない。

 レアは悟った。

 ここは貴賓室ではない。

 ここは金と宝石で飾られた、美しくも強固な「檻」なのだと。



     * * *



 それからの日々は、レアにとって夢と悪夢が混ざり合ったような時間だった。

 シルヴィアの溺愛は、常軌を逸していた。

 朝から晩までレアを傍に置き、片時も離そうとしない。


 食事はシルヴィアが自ら切り分け、時には口まで運ぼうとする。

 風呂上がりの髪を乾かすのも、着替えを手伝うのも、すべてシルヴィアが行った。

 本来なら従者が主人に行うべき奉仕を、主人が――世界最強の魔女が、一介の孤児に行っているのだ。


 城の使い魔たちは遠巻きにその異様な光景を眺めていた。あの氷の魔女が人間を膝に乗せて甘やかしている。誰もが恐怖し同時に理解不能だと首をかしげているように思えた。


 しかしレアには分かっていた。

 これは贖罪であり代償行為なのだと。

 ある午後のことだ。サンルームのような温かな部屋でレアはシルヴィアに膝枕をされていた。

 窓の外は猛吹雪でも結界の中は春のように暖かい。

 シルヴィアは長椅子に優雅に腰掛け、その腿の上にレアの頭を乗せている。


「じっとしていて。動くと痛いわよ」

 シルヴィアの手には銀製の櫛が握られている。彼女はレアの銀髪を一房ずつ丁寧に梳かしていた。

 シャリ、シャリ、という心地よい音。

 時折、彼女の指先がレアの耳や首筋に触れる。そのたびにレアの体は強張った。


「⋯⋯魔女様。こんなことはしていただくわけには⋯⋯、私が自分でやります」

「いいえ。私がやりたいの。⋯⋯綺麗な髪。月の光を集めたみたい」

 シルヴィアはうっとりとした声で囁き、レアの髪に頬ずりをした。

 その瞳はレアを見ているようでレアを見ていない。


 彼女が見ているのは一五年前の幻影だ。

 あるいは、二度と失いたくないと願う「何か」だ。

 レアは天井を見上げながら、胸の奥に広がる空虚さと戦っていた。


 心地よい。

 愛する人の体温を感じられる、この距離が嬉しくないはずがない。

 前世の自分なら、こんな状況は天国だと思っただろう。

 けれど今のレアの心にあるのは、深い諦念だった。


 そう。これは愛ではない。

 執着だ。依存だ。

 彼女は、あの紅茶の味で「レンの気配」を感じ取り、私を身代わりにしているだけなのだ。

 死んだ飼い犬に似た野良犬を拾って、首輪をつけて可愛がっているようなもの。

 あるいは珍しい玩具を手に入れた子供の残酷な無邪気さ。


「⋯⋯ねえ、レア」

 シルヴィアが手を止め、レアの顔を覗き込んだ。

 逆光の中で彼女の美貌が神々しく輝く。


「お前はずっとここにいるのよ。外の世界なんて寒くて辛いだけだわ。ここで私と一緒にいれば何も怖いことはない」

「⋯⋯はい」

「約束して。私を置いていかないと」


 その声は震えていた。

 魔女の仮面の下にある、傷ついた少女の素顔。

 一五年前、雪の庭で置き去りにされたトラウマが彼女を今も苛んでいる。

 レアは彼女の瞳の奥にある怯えを見てとった。きっと否定すれば彼女は壊れてしまうだろう。

 逃げようとすれば、この金色の檻は本当の牢獄に変わるだろう。

 ならば、答えは一つだ。


 私は道具――主人の望む形に収まるのが道具の務め。

 もし彼女が「レンの代用品」を求めているなら、それに徹しよう。

 もし彼女が「愛玩動物ペット」を求めているなら、尻尾を振って甘えてみせよう。


「約束します、魔女様」

 レアはシルヴィアの手を取り、その掌に頬を寄せた。

 従順に。健気に。


「私はどこへも行きません。あなたの許しがある限り、この檻の中で⋯⋯いいえ、お側で暮らします」

 それが自分の意志を殺すになっても構わない。

 彼女が安らぐなら。彼女がこれ以上、孤独に震えなくて済むなら。


「⋯⋯いい子」

 シルヴィアは安堵の息を漏らし、レアをきつく抱きしめた。

 豊満な胸に顔が埋まる。甘い香りが鼻腔を満たし思考を麻痺させていく。

 

 そこは温かく、柔らかく、そして恐ろしい場所だった。

 一度入ったら二度と出られない、底なしの沼。

 それでも寒空の下で凍えるよりはずっといい。


(これでいいんだ)

 レアは目を閉じた。

 かつて命を懸けて守った主人が、今は自分を「自由」から守ろうとして閉じ込めている。


 なんて皮肉で、なんて幸福な地獄だろう。

 シルヴィアの指がレアの首筋を愛おしげになぞる。

 まるで目に見えない首輪の感触を確かめるかのように。


 外では吹雪が唸りを上げているがこの部屋の中だけは、狂気的なまでに穏やかな時間が流れていた。

 こうして元従者と魔女の、歪で甘美な同居生活が幕を開けたのだった。

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