マスラオ祭前夜と、揺れる“完成された素体”
マスラオ祭まで、あと一週間。
校内は、すでにお祭り前夜テンションに包まれていた。
「マコちゃーん! こっちのフライヤービジュアル、どっちがいいと思う?」
女装科の教室に入るなり、星羅が二枚の紙を突き出してきた。
一枚は、アイドル衣装のシルエットだけが描かれたもの。
もう一枚は、制服姿のシルエットと、ステージ衣装のシルエットが背中合わせになっているもの。
「こっちかな」
迷わず、後者を指さす。
「午前と午後で“二つの顔”って感じ出てるし」
「だよね〜! “桐島真/桐島マコ 二面ポスター”とか作りたい」
「やめて、家に送られたら父さんのライフがゼロになる」
「じゃあ学校限定で」
限定にしていい問題じゃない。
教室のあちこちでは、ダンスのフォーメーション確認や、衣装の仮縫い、物販グッズの準備が進んでいた。
「マコちゃんのアクスタ、何パターン作る?」「“武道ver”と“アイドルver”で最低二種は必要」「等身大パネルは?」「それはもう作る前提なんだ……」
ソフトパワーの具現化が、どんどん進んでいく。
(――ほんとにやるんだな、午前と午後)
午前は、道着姿で竹刀を握る「漢・桐島真」。
午後は、ステージ衣装でマイクを握る「姫・桐島マコ」。
どっちも自分なのに、どっちもまだ「完成形」じゃない気がしている。
「――マコちゃん」
背後から、声がした。
振り向くと、玲央が立っていた。
今日はいつもの制服ではなく、衣装合わせの最中らしく、袖だけ通したステージ衣装を羽織っている。
白と紺を基調にしたジャケット。
金の刺繍が、ライトを浴びたら映えそうな仕立てだ。
「ちょっと、いい?」
「はい」
玲央に呼ばれて、廊下に出る。
休日ではないのに、なんとなく放課後みたいな空気だった。
◇ ◇ ◇
「テレビ、見たよ」
並んで歩きながら、玲央がぽつりと言った。
「お疲れさま」
「ありがとうございます」
「“怖いことから逃げないのが男らしさ”ってやつ。……ずるい」
「ずるい?」
「こっちが“女の子より可愛くなってやるぞ〜!”ってがんばってる間にさ、なんか一人でいい感じの成長フラグ回収してる」
「そんなつもりは……」
「あるでしょ?」
玲央は、じっと俺の横顔を見た。
「いい意味で、ね」
ふっと笑いながら続ける。
「……あれ見てさ。ちょっとホッとしたんだ」
「ホッと?」
「うん。君、“条件クリアしたらすぐ飽きるタイプ”かと思ってたから」
「ひどい偏見だな!?」
「だって、最初の告白、勢いだったでしょ」
「勢い“も”あったけど、本気“でも”ありました」
「そういうとこ、やっぱりずるい」
玲央は、階段の踊り場で足を止める。
窓から差し込む午後の光が、玲央の横顔を照らす。
「……ねえ、マコちゃん」
「はい」
「マスラオ祭、やりたいこと、ある?」
「やりたいこと、ですか?」
「ステージで。ただ歌って踊る以外に」
聞かれて、少し考える。
午前の「真・マスラオコンテスト」は、隼人と相談して、ほぼ構成は固まりつつある。
問題は、午後のアイドルステージだ。
「……“両方見せたい”ですかね」
「両方?」
「“男らしい”ほうも、“可愛い”ほうも。どっちか片方だけ見せるっていうのは、もう違うなって思ってて」
玲央が、じっと俺の目を見つめる。
「だから、なんか一曲の中で、そういうの表現できたら楽しいかなって」
「へえ」
玲央の目の奥が、きらりと光った。
「じゃあさ」
いたずらっぽく笑う。
「“デュエット”しよっか」
「……へ?」
「午前は君と隼人くんで“真・マスラオ”。午後は、僕と君で“真・マスラオの別解”」
「別解って数学みたいに言わないでください」
「似たようなもんだよ。“男らしさ”の解釈問題」
玲央は、指で空中に線を描く。
「君が“怖いけど逃げない強さ”担当で、僕が“弱さを見せる強さ”担当。二人で一つの答えを出す感じ」
「……そんな器用なこと、できるんでしょうか」
「できるよ」
玲央は、軽く笑った。
「できなかったら、僕が全部持っていくから安心して」
「安心できるか!!」
そのときだった。
「――失礼します」
階段の下から、低い声がした。
見下ろすと、数人の大人が立っていた。
スーツ姿の男たち。
首からスタッフパスを下げている。
「朱雀院玲央様。少々、お時間をよろしいでしょうか」
その中の一人が、一歩前に出る。
「……父さんのところの人?」
玲央の表情が、すっと硬くなった。
「はい。会長からの伝言でして。本日の“企業タイアップ撮影”の件、最終確認を」
「企業タイアップ?」
思わず口を挟む。
「マスラオ祭の女装科ステージと連動して、うちのコスメブランドの新ラインを発表する企画がありましてな」
男は、慇懃な笑みを浮かべる。
「朱雀院様には、そのイメージモデルとして、ステージのトリを飾っていただく予定です」
「……聞いてないんですけど」
玲央の声が、わずかに震えた。
「事務所には通達済みです。学校側とも話は進んでおります」
つまり、本人への説明が最後になっているパターンだ。
「当日は、“男の娘外交の新たな旗印”として、ぜひ華々しく――」
「やめてください」
玲央が、はっきりと言った。
「少なくとも、“旗印”って言葉、今ここで使わないでほしい」
男が、ぽかんとする。
「……と、申されましても」
「僕、個人だから」
玲央は、静かに続けた。
「“朱雀院ブランド”のためだけにステージに立つなら、もうとっくにやめてる。ここは、学校の舞台なんです。僕の人生と、みんなの三年間が詰まってる場所」
その声には、いつもの柔らかいトーンとは違う硬さがあった。
「だから、勝手に“広告枠”増やさないでください」
男たちの表情が、一瞬だけ曇る。
「……会長には、そのままお伝えします」
そう言って、彼らは階段を降りていった。
残された沈黙の中で、玲央は、大きく息を吐いた。
「ごめん。聞かせるつもりじゃなかった」
「いえ、全然」
さっきまでの軽い雰囲気が、少し遠のいていくのがわかる。
「……ああいうの、よくあるんですか?」
「“よくある”って認めたくないけど。まあ、たまに」
玲央は、階段の手すりにもたれかかった。
「僕さ、小さい頃から“素体がいいね”って言われてきたんだよ」
「素体」
「顔も体型も、“映えやすい”って。『君はブランドの顔になれる』って」
笑っているのに、その目は笑っていなかった。
「最初は嬉しかったよ。大人たちが喜んで、周りも褒めてくれて。ステージに出れば、拍手がもらえる」
玲央は、遠くを見るように目を細める。
「でも、そのうち“朱雀院家の顔”としてしか見られなくなってきて。“玲央”って名前より、“朱雀院ブランドのアイコン”として」
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
「だから、マスラオに来た。ここなら、“自分で選んだかわいい”ができると思ったから」
玲央は、俺を見る。
「女装科に入ってから初めて、“自分のためにかわいくなっていいんだ”って思えたんだよ」
「……」
「だから、さっきのみたいに、また全部“仕事”に回されそうになると、ちょっと怖くなる」
そう言って、苦笑した。
「“完成された素体”って呼ばれてるけどさ。中身、そんなに完成してないから」
「それ、俺もですけど」
思わず、口を挟む。
「午前は“真・マスラオコンテスト”、午後は“アイドルステージ”。親にはテレビでデカいこと言っちゃうし。外から見たら、“覚悟決まってるやつ”って思われてるかもしれないですけど」
スカートの裾をきゅっと握る。
「内心、ずっとビビってるし。今だって、“失敗したらどうしよう”って不安でお腹痛いし」
玲央の目が、少しだけ丸くなった。
「……そうなんだ」
「そうですよ。怖いって言うと“らしくない”って思われそうで、あんまり口にしないだけで」
「ふーん」
玲央は、ふっと笑った。
「ちょっと安心した」
「安心?」
「君だけ“勇者モード”で突っ走ってるんじゃないってわかって」
その言い方が、妙に嬉しかった。
「じゃあさ」
玲央が、手を差し出してくる。
「一回だけ、“完成されてないほうの素体同士”で、ちゃんと組もうよ」
「……それが、さっき言ってたデュエットですか?」
「うん。朱雀院ブランドの広告塔としてじゃなくて、桐島真の憧れの人としてでもなくて」
玲央は、まっすぐに言った。
「“同じステージに立つ一人の人間”として」
手を握る。
その感触は、思ったよりも熱かった。
「……やりましょう」
「うん」
二人で、スタジオに戻る。
マスラオ祭のステージ構成表に、「真&玲央デュエット枠」が追加された。
◇ ◇ ◇
――が。
順調に進むかと思われた準備は、意外なところでつまずいた。
「玲央、今日の振り合わせ来てないね」
スタジオの隅で、星羅が腕を組む。
デュエット曲の振り付け練習が始まっているのに、玲央の姿がない。
「さっきまで会議室にいたみたいだけど……」
ミカドがスマホを見ながら言う。
「“スポンサー対応”とかで呼ばれてたっぽい」
嫌な単語だ。
その後も、玲央は遅れてスタジオに飛び込んできては、「ごめん!」と謝りながら練習に混ざる日が続いた。
「また?」
「うん、ちょっと打ち合わせ伸びて……」
疲れた笑顔。
振りを覚えるのは早い。
でも、どこか集中しきれていないように見えた。
放課後、廊下でふと立ち止まる玲央の背中を、何度か見かけた。
(……大丈夫かな)
声をかけようとして、やめる。
“条件を押し付けた相手”として、あまり弱音を聞きに行くのも違う気がした。
そんな日々が続いた、マスラオ祭三日前のことだった。
◇ ◇ ◇
「真」
放課後の教室で、隼人が真顔で言った。
「お前、最近ちょっと浮ついてないか」
「浮ついてないよ」
「午前の“真・マスラオコンテスト”のほう、集中足りてるか?」
図星だった。
「そっちはそっちで、ちゃんと……」
「“ちゃんと”って言葉が出たときは、だいたいちゃんとしてない」
ぐうの音も出ない。
「お前、玲央先輩のほうばっか気にしてんだろ」
「そんなこと……」
ある。
「午前にミスったら、午後の“アイドルステージ”にも響くぞ」
「わかってるよ」
「じゃあ、もう少し“自分の足元”見ろ。恋愛は、試合のあとでいくらでもできる」
「武道科理論だな……」
そのとき。
教室のドアが、勢いよく開いた。
「真!」
玲央だった。
「ちょっと、いい?」
隼人が、じろっと玲央を見る。
玲央も、隼人を見返す。
いつもの目に見えない火花が散る。
「……すみません。借ります」
玲央は、形式的にそう言うと、俺の腕を掴んで廊下に連れ出した。
◇ ◇ ◇
階段の踊り場。
さっきと同じ場所。
「どうしたんですか」
問うと、玲央は珍しく言葉に詰まった。
「……真」
はじめて、名前で呼ばれた。
「え」
「その、さ」
玲央は、視線を泳がせながら続ける。
「マスラオ祭の件なんだけど」
「うん」
「デュエット、さ……」
嫌な予感がした。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
「――ごめん。外すかもしれない」
時間が、一瞬止まった気がした。
「外すって……やめるってことですか?」
「確定じゃない。まだ、“かもしれない”だけ」
玲央は、早口で言葉を重ねる。
「父さんのところの企画で、“マスラオ祭と連動したグローバル配信ライブ”の話が出てて。そっちのスケジュールと被る可能性があって……」
「グローバル配信?」
「うん。海外向けの“男の娘フェス”みたいなやつ。たぶん、“朱雀院玲央”としてそっちに出たほうが、うちの家も、国も喜ぶんだと思う」
乾いた笑いが、喉の奥で引っかかる。
「だから、もしかしたらマスラオ祭の午後ステージ、途中で抜けるか、最初から出られないかもしれない」
頭の中で、ぐちゃぐちゃに積み上がっていたイメージが崩れ落ちていく。
玲央と並んで歌うステージ。
午前と午後を繋ぐ架け橋。
全部、“かもしれない”の一言で不安定になる。
「……最初から、断ればよかったのに」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
「え?」
「最初から、“そんな予定あるかもしれない”ってわかってたなら。デュエットしようなんて言わなきゃよかったのに」
言いながら、「あ、これ言い方悪い」と頭のどこかで警報が鳴る。
でも、止まらなかった。
「真――」
「こっちは、本気で“玲央と一緒のステージ”を軸に練習してきたんです」
胸の中で、悔しさと情けなさがごちゃ混ぜになる。
「父さんにもテレビでデカいこと言って。午前も午後も出て、“両方見せる”って決めて。全部、“朱雀院玲央と一緒にやる”前提で動いてきたのに」
「……ごめん」
玲央の声は、ひどく小さかった。
「そんな顔で謝られると、余計に腹立つんですけど」
自分でも、何を言っているのかわからない。
「“ごめん”って言われたら、“仕方ないね”って言うしかないじゃないですか」
「仕方なくなんて――」
「仕方ないでしょ。家のこととか、ブランドのこととか、国のこととか。その全部背負ってる“完成された素体”様には」
その瞬間、玲央の表情から、すっと色が消えた。
「……そうだね」
乾いた笑みを浮かべる。
「やっぱり、君もそう見るんだ」
「あ」
言ってはいけないラインを超えた気がした。
「違――」
言い繕おうとした言葉を、玲央が遮る。
「ごめん。今日は、これ以上話せないや」
くるりと背を向ける。
「デュエットの件は、ちゃんと決まったら先生経由で伝える。出られないことになったら、そのときは――」
一瞬だけ、振り返る。
「“条件クリア前に逃げた”って思ってくれていいよ」
「そんなこと――」
言い終わる前に、玲央は階段を降りていった。
残されたのは、どうしようもない後味の悪さだけだった。
◇ ◇ ◇
その夜。
家に帰っても、胸のモヤモヤは晴れなかった。
机の上には、午前の「真・マスラオコンテスト」の構成案と、午後のステージの振付メモが並んでいる。
その真ん中に、ぽつんとスマホが置かれていた。
玲央からのメッセージは、来ていない。
(……最悪だ)
デュエットどころか、関係そのものを壊しかねないことを言ってしまった。
わかっているのに、謝りに行く勇気が出ない。
こんなとき、どうするのが“男らしい”んだろう。
怖いことから逃げない?
だったら、真っ先にやるべきことは――
机の端に置いてある一冊の本に、目が留まった。
玲央から借りた、小説。
表紙を撫でる。
(……そうだ)
俺は、スマホを手に取って、メッセージアプリを開いた。
“朱雀院玲央”の名前をタップする。
入力欄に、指を置く。
『ごめん』
最初に打った文字を、消す。
謝るのは簡単だ。
でも、ただ謝るだけじゃ、きっと届かない。
息を吐いて、打ち直す。
『“完成された素体様”は撤回します』
『あれは、俺の嫉妬混じりの八つ当たりです』
『デュエットのこと、本気で楽しみにしてたから、怖くなりました』
『もし出られなくなっても、“逃げた”とは思いません』
『代わりに、俺が午前と午後、できる限り全部背負います』
送信ボタンに指をかけて、しばらく迷う。
――怖い。
でも、それでも。
(逃げないって、言っただろ)
自分に言い聞かせて、送信ボタンを押した。
“既読”がつくまでの時間が、やたら長く感じる。
数分後。
ぽん、と通知音が鳴った。
『……ズルい』
短い返事。
続けて、もう一通。
『明日、ちゃんと話そ』
胸の奥の締め付けが、少しだけ緩んだ。
マスラオ祭まで、あと三日。
俺の男道は、恋とプライドとソフトパワーを全部抱えたまま、ますますややこしいカーブに突っ込んでいくのだった。




