男らしさ vs 可愛さ戦争と幼なじみ参戦
男らしさって、なんだろう。
ここ最近、やたらその言葉を考えるようになった。
スカートをひらひらさせて登校しながら考えるには、だいぶ哲学寄りのテーマだ。
「マコちゃーん、今日も“国のソフトパワー”って感じ〜!」
校門をくぐった途端、背後から星羅の声が飛んできた。
「おはよ。今日のメイクも、昨日より二%くらい盛れてるよ」
「パーセントで管理されてるの俺!?」
「当たり前じゃん。かわいさも成長率大事だから」
星羅は、当然とばかりに俺の頬をつんつんしながら続ける。
「てかさ〜、昨日の配信見た?」
「配信?」
「ほら、例のネット番組。“今バズってるキャンパスボーイズ&ガールズ特集”」
聞きたくない予感しかしない。
「マスラオの『かわいすぎる新入生』として、またマコちゃん出てたよ。ほら」
スマホの画面には、例によって例のワンピース姿の俺と、「#マスラオのマコちゃん」の文字。
「再生数、やば」
「やば、じゃないんだよな……」
ため息をつきながらも、再生ボタンを押してしまう自分がいる。
画面の中の「桐島マコ」は、まだぎこちないながらも、確かに“かわいい”方向に足を踏み出していた。
(……もう、否定しきれないな)
少なくとも今の俺は、この姿を「最悪」とは思っていない。
むしろ、三日前の自分よりちょっと好きだ。
そんなことを考えながら教室に向かうと、黒板の上にでかでかと張り紙が増えていた。
『マスラオ祭 開催決定!!』
その横には、ポップなフォントでこう書かれている。
『今年のテーマ:“マスラオらしさってなんだろう?”』
「……よりによってそのテーマかよ」
思わずつぶやくと、隣の席の小野寺が、「そこ刺さるよね」と苦笑した。
「マスラオ祭って?」
「うん、毎年一回の学園祭みたいなやつ。各科が出し物やったり、発表やったり」
「女装科は?」
「去年は“女装メイドカフェ&ミニライブ”だったらしいよ。文化防衛庁の広報カメラとかも入って、けっこうな騒ぎだったって」
「広報カメラって言い方やめて。俺の父さんとか普通に同僚いるやつだから」
教室の前方では、百合ヶ咲先生が、すでにテンション高くホワイトボードにアイデアを書き出していた。
「女装アイドルステージは外せないとして〜、あとは撮影ブースとグッズと……」
「先生、落ち着いてください。まだ企画会議前じゃないですか」
「推しイベントのときに落ち着いてるオタクなんていません!」
説得力はあるようなないような。
そのときだった。
ガラッ!
教室の扉が、勢いよく開いた。
「おい真ァァァァァ!!」
怒声と共に飛び込んできた影。
短く刈った黒髪、がっしりした体格。
濃いめの眉に、きりっとした目つき。
着ているのは、マスラオ高校の制服――だが、ボタンをきっちり留めた詰襟タイプ。胸には「武道科」のバッジ。
「……隼人?」
「やっぱりお前かあああ!!」
男は、俺を見るなりズカズカと教室の中に入ってきて、机をガンッと叩いた。
「テレビつけたらよ! “かわいすぎる新入生”って出てきてよ! よく見たらお前でよ!! 俺の目と脳みそどうしてくれんだ!!」
「俺に言われても困る」
「お前のせいだろ完全に!!」
クラスメイトが、ざわざわと騒ぎ始める。
「誰?」「知り合い?」「なんか“昭和のライバルキャラ”っぽい」
「誰が昭和だ誰が!」
即座にツッコミが入った。耳、いいな。
「剣崎隼人。武道科一年。真とは、幼なじみだ」
隼人は、ずかっと俺の隣の席に腰を下ろした。
「幼なじみっていうか、同じ道場に通ってて、小学校からずっと一緒で、中学でも一緒で、剣道の試合で何度も決勝戦やって――」
「説明長い!」
「青春を共有した仲だ!!」
それは否定できない。
確かに俺と隼人は、物心ついた頃から一緒に竹刀を振っていた。
汗まみれの道場。
木の床に響く足音。
道着の匂い。
俺にとっての「男らしさ」は、ずっとその風景とセットだった。
「俺と一緒に武道科入るって言ってただろ!!」
「……合格通知は来たよ?」
「“は”じゃねえ、“は”じゃ!!」
隼人は、ぐわっと俺のスカートを見下ろした。
「なんでそっちのスカート科にいるんだよ!!」
「スカート科って言うな」
「言いたくもなるわ!! お前の男道どこ行った!!」
「ここにあるよ」
俺は、スカートの裾を摘んでひらりとさせた。
「――最前線でな」
「カッコつけてる場合か!!」
隼人の声が、教室中に響く。
そのやりとりを見ていた百合ヶ咲先生が、ぽんと手を打った。
「はいはーい、ちょっといい? 新キャラ紹介はあとでたっぷりやるとして」
「新キャラ……?」
「今からマスラオ祭の全体企画会議があるの。女装科からは、代表としてマコちゃんと、あと……そうだな、その“男らしさ担当くん”も一緒に行こうか」
「誰が“男らしさ担当くん”だ」
「じゃ、桐島くん&剣崎くん、ついてきて〜」
俺と隼人は、有無を言わさず会議室行きとなった。
◇ ◇ ◇
生徒会室横の大会議室には、すでに各科の代表たちが集まっていた。
武道科の屈強そうな連中。
政治戦略科の、眼鏡率高めの頭良さそうな面々。
防衛工学科の、工具ぶら下げた理系っぽい人たち。
そして――
「女装科代表、朱雀院玲央でーす。よろしく」
玲央が、ひらりと手を振った。
「……また会いましたね」
「さっきぶりだね。マコちゃん」
軽く笑い合ったその瞬間、隼人の視線が俺と玲央の間を行き来した。
「おい真」
「ん?」
「お前、今、完全に“恋するヒロイン”の顔してたぞ」
「実況するな!」
「――ふん」
隼人が、玲央のほうに向き直る。
「剣崎隼人。武道科一年代表だ。桐島は、もともとこっち側の人間だった」
「紹介に悪意あるよね?」
玲央は、穏やかな笑みを崩さずに隼人を見た。
「朱雀院玲央。女装科二年代表。マコちゃんは、こっち側に自分で来た人間だよ」
目に見えない火花が散る音がした気がした。
「じゃ、議題に入りまーす」
その空気を、会議進行役の生徒会長が強引に切り裂いた。
「今年のマスラオ祭のテーマは“マスラオらしさってなんだろう?”。各科から案を出してもらいました。まずは武道科から」
武道科の代表――どう見ても格闘漫画の主人公になれそうな上級生が立ち上がる。
「我々武道科は、“真・マスラオコンテスト”を提案する!」
「しん・ますらお……」
「力、技、心。三つを兼ね備えた“真のマスラオ”を決める全面対決イベントだ。型の演武、組手、精神力テストを通じて、“男らしさ”とは何かを見せる!」
会議室が「おおー」とざわつく。
確かに、マスラオ高校っぽい企画だ。
「続いて、女装科」
「はいはーい」
玲央が、すっと立ち上がる。
「女装科からは、“マスラオ☆ドリームアイドルステージ”を提案しまーす」
「ドリームがついた」
「こちらは、“可愛い”“綺麗”“中性的”など、いろんな“見せ方の自由”をステージで表現するライブイベントです。ダンスも歌もトークも、全部含めて、“マスラオらしさって何?”を観客と一緒に考えたいなって」
またしても「おおー」とざわめきが起きる。
「つまりだ」
隼人が、黙っていられないという顔で立ち上がった。
「武道科は“男らしさ”を見せる。女装科は“可愛さ”を見せる。どっちがマスラオらしいかは、一目瞭然じゃないのか?」
「どういう意味かな?」
玲央の声が、少しだけ低くなった。
「“男らしさ”って言葉に、勝手に“武道科っぽさ”だけ詰め込むの、狭くない?」
「狭くてもいい。男は、強くあるべきだ」
隼人の言葉には、迷いがない。
それは知っている。
道場で、何百回も聞いてきた言葉だ。
「強くあることと、可愛くあることは、両立しないの?」
玲央が、穏やかに聞き返す。
「かわ……」
隼人は、一瞬言葉を失った。
「男が“可愛い”必要、あるか?」
「あるよ?」
玲央は、即答した。
「自分で自分を可愛いと思えない人が、他人の可愛さも尊重できる? 自分の弱さを認められない人が、他人の弱さに寄り添える?」
会議室の空気が、少しだけ変わる。
「俺たちがやってる“可愛い”は、“弱い”の反対側じゃないよ。“自分の弱さごと、見せてもいいって決める強さ”だよ」
その言葉に、隼人の眉がぴくりと動いた。
「強さ、か……」
隼人は、ちらりと俺を見た。
「真。お前は、どっちが“マスラオらしい”と思う?」
「え、俺?」
一気に注目が集まる。
「桐島くんは、武道科にも受かってるしね。両方の“素養”があるってことで、意見聞きたいな」
生徒会長までそんなことを言う。
勘弁してほしい。
(……でも)
ここで黙ってるほうが、よっぽど“男らしくない”気がした。
「俺は――」
いったん息を吸い込み、言葉を選ぶ。
「武道科の“男らしさ”も、女装科の“可愛さ”も、どっちもマスラオらしいと思います」
ざわっ、と小さなどよめき。
「どっちも、“自分の信じる格好よさ”を見せようとしてるから」
俺は、隼人と玲央、両方を見た。
「だから、どっちが正しいとか決めるんじゃなくて――」
自分でも、何を言おうとしているのか半分わからないまま、口が勝手に続けた。
「両方見せればいいんじゃないですか」
「両方?」
「“真・マスラオコンテスト”も、“ドリームアイドルステージ”もやる。
“強さ”も“可愛さ”も、“マスラオらしさ”の中に一緒に置いてみる」
生徒会長が、面白そうに目を細めた。
「欲張り案だね」
「ただの欲張りじゃありません」
自分で言いながら、うっすら笑ってしまう。
「世の中、どっちかしか選べないことなんて、そんなにないと思うので。男か女か、強いか弱いか、かわいいかかっこいいか。全部、“どっちもあり”で生きてる人、いっぱいいると思うから」
玲央が、じっと俺を見ていた。
視線が、少しだけ柔らかくなっている気がする。
「いいね」
生徒会長が、手を叩いた。
「じゃ、その方向で調整しましょう。“マスラオ祭・二本立て”。午前が“真・マスラオコンテスト”、午後が“ドリームアイドルステージ”」
「え、マジで?」
「マジで」
場がざわつく中、さらに追い打ちのように手が上がった。
「校長です」
いつの間にか後ろにいた、スーツ姿の校長先生が立ち上がった。
「本校としても、その案を推したい。“男らしさ”と“可愛さ”の両方を掲げることで、本校の“多様なマスラオ像”を世に示せるでしょう」
さすがは校長、言い方がうまい。
「つきましては――」
嫌な予感がする。
「この二つを繋ぐ“象徴”として、両方のステージに出てもらう生徒が必要だと思います」
的中した。
「武道科の素養もあり、女装科の特待生でもある生徒――そう、桐島くん」
ですよねええええ!!!
机に突っ伏したくなる気持ちを必死で堪える。
「午前中は“漢・桐島真”として真・マスラオコンテストに出場。午後は“姫・桐島マコ”としてアイドルステージに立つ。どうですかこのブリッジ力」
「ブリッジ力って言い方やめて!? 俺の腰が心配になる!」
会議室のあちこちから笑いが起きた。
「……真」
隼人が、半分呆れたような顔で俺を見る。
「お前、度胸あるのかないのかわかんねえな」
「俺だって出たくて両方出るわけじゃないからな!?」
「でも、悪くないと思う」
ぽつりと、玲央が言った。
「“男らしさ”と“可愛さ”を同じ人が体現するって、けっこう象徴的じゃない?」
「象徴にされる側の身にもなってほしい」
「なればいいじゃん、“象徴”に」
玲央は、ふっと笑った。
「君ならできるよ」
その一言で、逃げ道がまた一つ塞がれた。
でも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
(――やるしか、ないか)
男らしさと可愛さ。
どっちも自分の中にあるなら、見せてしまえばいい。
そう思えたのは、きっとこの数日間のせいだ。
◇ ◇ ◇
会議が終わると、俺はさっそく、武道科の道場に連行された。
「とりあえず午前中の“真・マスラオコンテスト”に向けて、体を叩き直す!」
隼人が、竹刀を二本持って立っている。
「叩き直すって言い方怖いな!?」
「お前の足さばき、まだ覚えてるからな。スカートで鈍ってないか確認する」
「スカートで鈍るって言い方やめて」
道場に足を踏み入れると、懐かしい匂いがした。
汗と木と、少しだけ畳の匂い。
「面!」
「どりゃあああ!」
上級生たちの声が響く中、俺は久しぶりに竹刀を握った。
柄に手をかけた瞬間、体が思い出す。
構え方。
踏み込みの感覚。
「……いけるか?」
隼人が、じっと俺を見る。
「やってみなきゃわかんねえけど」
竹刀を構える。
頭の中で、「マコちゃん」が少しだけ後ろに下がる。
代わりに、「真」が前に出る。
「はっ!」
一歩踏み込んで、面を打つ。
竹刀が、隼人の面に当たる寸前で止められた。
「まだ甘い」
隼人が、軽く竹刀を払いのける。
「でも――」
隼人は、ニヤッと笑った。
「“男らしさ”の勘は、まだ死んでねえな」
「あたり前だ。俺の中から簡単に消えると思うなよ」
そう口にした瞬間、自分でも気付いた。
――あ、今のちょっとカッコよかったかも。
「調子に乗るなよ」
隼人が容赦なく打ち込んでくる。
「うおっ!」
防ぐ。避ける。打ち返す。
気付けば、息が切れるほど動いていた。
「……はぁ、はぁ」
「やっぱりスカートで体力落ちてるな」
「スカート関係ないだろ!」
道場の隅で水を飲みながら、隼人がふと呟いた。
「なあ真」
「ん」
「お前、そのスカート姿でさ」
視線が、俺の膝あたりをうろうろする。
「恥ずかしくねえの?」
真っ直ぐな目で聞かれて、少しだけ考える。
「……前よりは、恥ずかしくなくなったかな」
「前よりは?」
「最初は、“俺なんかがこんな格好してすみません”って気持ちが強かったけど」
スカートの裾を指でつまむ。
「最近は、ちょっとだけ“悪くないかも”って思える瞬間がある」
「ふーん」
隼人は、よくわからない顔をした。
「よくわかんねえけどさ」
竹刀の先で、軽く俺の額をつつく。
「お前がその格好で笑ってるなら、それはそれで“男らしい”のかもしれねえな」
「……ありがとう」
素直にそう言えた。
◇ ◇ ◇
午後は午後で、女装科のスタジオに連行される。
「マスラオ祭午後の部、“ドリームアイドルステージ”練習入りまーす!」
玲央が、マイク(偽物)を片手に叫ぶ。
「マコちゃんはセンター候補だからね〜。覚悟して」
「午前中センターで竹刀振って、午後センターでマイク振るの!? 手首死ぬわ」
「国のソフト&ハード両方担当だから、がんばって」
「役割重すぎる」
星羅、ミカド、小野寺たちが、それぞれのポジションで動き始める。
「マコちゃんは、笑顔ね〜。さっき道場で“キリッ顔”やってきたんでしょ? あれを“キラッ顔”に変換して」
「掛け声みたいに言うな!」
「剣道の『メン!』を、『ファンのみんな〜!』に変えるイメージで」
「無茶振り!!」
でも、不思議なことに。
午前中に体を使い切ったはずなのに、音楽が鳴ると、また違うスイッチが入った。
足さばきは、剣道で身についたもの。
体幹の使い方も、声の出し方も、全部どこかで繋がっている。
「そうそう、今のターン、剣道の体のキレが出てて良かった!」
「どんな褒め言葉だよそれ」
笑いながらも、心のどこかで納得している自分がいる。
午前と午後。
どっちも、俺だ。
竹刀を振る俺も。
マイクスタンドを握る俺も。
それに気付いたとき、胸の奥で何かがカチリと噛み合った気がした。
◇ ◇ ◇
その日の帰り道。
夕焼け空の下、校門の前で、隼人が待っていた。
「よ」
「よ」
「なんだ。メイク落としてないんだな」
「このあと、星羅たちと資料まとめるから」
「忙しいな、“国のソフトパワー担当”」
隼人は、ぼりぼりと頭をかきながら言った。
「なあ真」
「ん」
「お前、“男らしさ”とか“可愛さ”とか、いろいろ考えてんだろうけどさ」
俺の顔を見て、少しだけ笑う。
「正直、よくわかんねえわ」
「それはそうだ」
「でもまあ」
空を見上げて、ぽつりと言った。
「俺の知ってる“桐島真”が、どっかで泣いてたりしなきゃ、それでいい」
「……泣いてないよ」
即答できた。
「たぶん、前よりは笑ってる」
「ならいい」
隼人は、それ以上何も言わず、手をひらひらと振って帰っていった。
その背中を見送りながら、俺はふと、スカートの裾を見下ろす。
男らしさと、可愛さ。
どっちもまだ、ちゃんとはわかってない。
でも、少なくとも一つだけ言えることがある。
――どっちかを捨てるために、ここにいるわけじゃない。
両方抱えて、両方で走るために。
俺は今日も、スカートをひらひらさせながら、マスラオ高校の坂道を駆け下りていった。




