男同士の“デート”実習と揺れる心拍数
デートは、授業でするものじゃない。
本来はそうだ。そうであってほしかった。
しかしここは、私立マスラオ高等学校・女装科。
「はい、それじゃあ今日の実技テーマは――“女装ホスピタリティ入門・デート実習編”!」
百合ヶ咲先生の声が、朝の教室に高らかに響いた。
「デート実習って言っちゃったよこの人!!」
「ついに来たか……」「心の準備が……」「相手ガチャ怖すぎ……」
クラス中から悲鳴と歓声が入り混じった声が上がる。
黒板には、でかでかとこう書かれていた。
『本日の目標:
・“相手のことを考えた”ふるまいができる
・男同士でも気まずくならない
・でもちょっとドキドキさせる』
「最後の条件、必要ですか?」
「必要です。ドキドキのないデートは、ただの散歩です」
「名言っぽく言うな」
先生は、机の上にプリントの束を置いた。
「はい、これが今日の“デートコース候補”マップです。校内限定とはいえ、マスラオは広いからね〜」
配られたプリントには、なぜか観光パンフレット並みに作り込まれた「校内デートマップ」が印刷されていた。
・カフェテリア(スイーツ充実/窓際席は夕方ロマンチック)
・図書棟(静かな雰囲気/おすすめ:相手の好きな本をおすすめしてもらう)
・屋上庭園(風が強いのでスカート注意)
・中庭(ベンチ多数/鳩注意)
「“鳩注意”て」
「鳩も空気読まずに乱入してくるからね。恋路もパンくずも容赦なく奪っていく存在、それが鳩」
「鳩と何があったんですか先生」
「昔のトラウマはさておき」
先生は、プリントの右上を指さした。
「ペアの組み合わせは、こちら。公平を期すため、くじ引きで決めました!」
「公平(※逃げ道なし)」
クラス全員分の名前が書かれた一覧表が黒板に貼られる。
桐島真の名前を探す。
「えーっと……俺の相手は……」
視線が、ある名前のところで止まった。
「……朱雀院玲央?」
「はい、桐島くんの相手は、女装科二年代表・朱雀院先輩でーす」
先生が、妙にテンション高くアナウンスする。
教室が、どよめいた。
「マジで!?」「いきなり朱雀院先輩とか、試練がすぎる」「でも優勝候補ペアでは?」
「優勝とかあるんですかこれ!?」
「先生の心の中で採点します」
「主観!!」
自分の鼓動が、さっきからうるさい。
(よりによって、玲央先輩……)
条件を突きつけてきた本人。
学校一の女装美男子候補にして、俺の“最推し”。
その人と、デート実習。
嬉しいとか楽しみとか緊張とか不安とか、いろんな感情が混ざって、胸の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。
◇ ◇ ◇
「じゃ、相手のところに行ってね〜。コースの相談から始めてくださーい」
先生の声を合図に、教室中で椅子がガタガタと動き始める。
俺は、深呼吸を一つしてから、二年生用の見学席のほうへ振り向いた。
そこに、いつものように「完成された素体」たちを従えた玲央がいる。
「マコちゃん」
目が合うと、玲央はふわっと笑った。
「今日、一緒だね」
「……はい」
「そんな顔しないでよ。嬉しくない?」
「う、嬉しいですけど……デートって、授業でやるもんじゃないって昨日まで信じてたので」
「現実はフィクションより軽率だから」
さらっと言い切られた。
「で、どうする? どこ行きたい?」
玲央がプリントを覗き込む。
「カフェテリア、図書棟、中庭、屋上……」
一瞬、視線が屋上で止まる。
「風、強そうですね」
「うん。スカート的にはハードモードだね」
「初心者にいきなりハードは厳しい気が……」
「でも、そういうハプニングも含めて“デート”なんだよ?」
なんでもデート理論で押し通すのやめてほしい。
「じゃ、こうしよ」
玲央は、ペンを取り出すと、プリントにささっと線を引いた。
「“カフェテリアでスイーツ→図書棟で本トーク→屋上で締め”コース」
「締めが風リスク満載なんですが」
「そこは、僕が守ってあげるから」
さらっと、とんでもないことを言う。
心臓が一瞬止まった。
「ほ、他のコース案は……」
「これが“朱雀院玲央プロデュース・初デート王道コース”だよ?」
「なんかブランド付いた!!」
「安心して。君はただ“彼氏と初デートに来た彼女”って気持ちでついてきてくれればいいから」
「難易度高い!!」
◇ ◇ ◇
まず向かったのは、校内カフェテリアだった。
マスラオ高校のカフェテリアは、普通の高校のそれとはちょっと違う。
ラーメンやカレーもあるにはあるが、その一角にはやたらおしゃれなスイーツコーナーがある。
ショーケースには、色とりどりのケーキやタルト、プリンにパフェ。
「ここ、女装科と調理部のコラボでメニュー開発してるんだよ」
玲央が、トレーを取りながら説明する。
「“映え”も味も両方大事だからね〜」
「そんなところまでソフトパワー全開なんだ……」
メニューボードには、『期間限定・いちごの姫パフェ』『メンズでも食べやすい!ビターショコラ』『糖質控えめ・罪悪感ゼロスイーツ』など、ツッコミどころ満載の名前が並んでいた。
「マコちゃん、甘いのいける?」
「嫌いじゃないですけど……そんなに種類見たことないかも」
「じゃあ、これとこれ頼もっか」
玲央は、店員さんに手際よく注文していく。
「“姫パフェ”と“ビターショコラ”?」
「うん。見た目は姫パフェのほうが映えるけど、ビターショコラは味がしっかりしてて満足感高い。両方シェアしよ」
数分後、トレーの上には、まさにインスタ映え全力投球みたいなパフェと、黒光りするチョコレートケーキが並んだ。
席は、窓際の二人掛けテーブル。
自然光が差し込む中、向かい合って座る。
……なんだこれ。本格的にデートっぽい。
「はい、あーん」
「ちょっと待ってください」
心の準備もなく、いきなりスプーンを突き出された。
「え、だって“彼女役”でしょ?」
「彼女役だからって、いきなり“あーん”から入るデート、聞いたことない!」
「じゃあ、“半分こね?”って言いながら、さりげなく自分が多めに食べる彼女とかでもいいよ?」
「なにその具体例」
「経験談?」
「誰とのだよ」
嫉妬ともモヤモヤともつかない感情が、胃のあたりでぐるぐるする。
玲央は、それに気付いているのかいないのか、楽しそうに笑っていた。
「冗談だよ。じゃ、自分で食べて」
「……最初からそうして」
スプーンですくって、一口。
「……うま」
いちごの酸味とクリームの甘さが、口の中に広がる。
「でしょ?」
玲央も、ビターショコラを一口食べて、満足げに目を細める。
「こういうの、一人だと頼みにくいんだよね。“男子がパフェ一つだけ”って、まだちょっと視線感じるし」
「……わかります」
「でも、女装して“彼氏と一緒”だと、逆に自然に見える。だから、女装って便利」
「便利って言い方!」
「でも事実。装いって、世界との間にクッション置くみたいなものだから。何もまとってないと、視線が全部素肌に刺さってくる感じがするでしょ?」
その感覚は、何となくわかる。
スーツを着た父さんが、自宅にいるときだけジャージなのも、そういう理由かもしれない。
「だから、今は“マコちゃん”っていう装いが、君を守ってくれてる部分もあると思うよ」
「守ってくれてる……」
「うん。もちろん、そのうち“真”のままでも平気になれたらいいけどね」
玲央は、さらりと言って、残りのケーキを口に運んだ。
そんな話をしながら、パフェとケーキはあっという間になくなっていった。
◇ ◇ ◇
次に向かったのは、図書棟だった。
重厚な木の扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
本の匂いと、静謐な空気。
「ここ、好きなんだよね」
玲央が小声で言う。
「華やかな場所も嫌いじゃないけどさ。たまに、音の少ない場所に逃げたくなる」
「逃げたくなる?」
「うん。アイコンやってると、常に誰かの視線に晒されてるから」
その言葉に、昨日の「完璧なアイコンになって消えた人」の話が重なる。
「で、ここで何するんです?」
「“おすすめ交換”」
玲央は、近くの棚から一冊の文庫本を取り出した。
「これ。僕の好きな本」
タイトルを見る。
ジャンルとしては、小説。青春ものらしい。
「……こういうの読むんですね」
「意外?」
「もっとなんか、ファッション雑誌とか、メイク本とかばっかりかと」
「それも読むけどね。でも、小説も好き。特に“自分の居場所に違和感覚えてる子”が出てくるやつ」
玲央は、少しだけ笑った。
「たぶん、勝手に同族認定してるんだと思う」
「……俺も、今度読んでみます」
「うん。で、君のおすすめは?」
「俺の?」
考えたことがなかった。
“自分の好きな本”を、人にすすめる。
俺は、少しだけ迷ってから、棚の別の列に向かった。
政治関係の本でも、歴史書でもない。
手を伸ばしたのは、高校生向けのライトなノンフィクションだった。
「これです」
「どれどれ……『はじめてのスピーチ術』?」
「はい」
玲央が、ぱらぱらとページをめくる。
「政治家の息子っぽい」
「ですよね」
「でも、こういうの好きなんだ」
「……人前で喋るの苦手で。昔から」
小さい頃から、父さんの選挙演説に連れられて、人前に立つ機会は多かった。
でも、それは「父さんの息子」としてであって、「桐島真」としてではなかった。
「だから、せめて“話す技術”くらいは身につけておこうかなって。誰かの期待に潰されないために」
玲央は、しばらく黙って本を眺めていた。
やがて、静かに本を閉じる。
「いいね」
「え」
「“誰かの期待に潰されないための技術”として、本を読むの」
玲央は、目を細めて微笑んだ。
「じゃあ交換ね。その本、借りていい?」
「もちろん」
「代わりに、さっきの小説、マコちゃんに貸す」
俺たちは、それぞれの本を持ち替えた。
たったそれだけのことなのに、不思議と距離が縮まった気がした。
◇ ◇ ◇
最後に向かったのは、屋上庭園だった。
扉を開けると、案の定、風が強かった。
「うわっ」
スカートの裾が、ふわっと持ち上がる。
慌てて両手で押さえた。
「だから言ったのに……」
玲央が苦笑しながら、そっと俺の横に立つ。
「ほら、手、こう」
玲央が、自分の手でスカートの押さえ方を実演してくれる。
「風上に向かって、前側を軽く押さえる。あんまりぎゅっとすると、“見せたくないのに見えちゃいました”感が過剰になるから、さりげなく」
「さりげなくって難しいな……」
「それができるようになったら、一人前」
屋上から見下ろす校庭は、思ったよりも高く感じた。
校舎の向こうに、町並みが広がっている。
そのもっと向こうには、きっと父さんのいる国会議事堂もある。
「ねえ、真」
突然、名前で呼ばれて、びくりとした。
いつもは“マコちゃん”なのに。
「……はい?」
「昨日のテレビ、見たよ」
「あ」
昨夜、全国ネット(というか情報番組)で流れた「マスラオのマコちゃん」特集。
「ちゃんと、“真”って名前出てた」
「出てましたね……出なくていいところまで出てましたね……」
「お父さん、怒ってた?」
「……まだ“説明しなさい”フェーズです」
昨夜の父さんとの会話を思い出す。
『真。これはどういうことだ』
『ソフトパワーです』
『逃げずにちゃんと説明しなさい』
あのあと、女装科のこと、父さんのソフトパワー政策との関係、自分がどうしたいか、とりあえず全部話した。
父さんは、難しい顔で黙って聞いていた。
『……すぐには納得できん』
最後にそう言ったきり、それ以上は何も言わなかった。
「だから、まだ“賛成”ではないですね。“却下”でもないですけど」
「ふーん」
玲央は、風に髪を揺らしながら空を見上げた。
「いいな」
「え」
「ちゃんと“説明しろ”って言ってくれる親」
その言い方が、少しだけ寂しそうだった。
「君のお父さん、最初から“桐島真”を見てるわけじゃないかもしれない。でも、“桐島真”の言葉を聞こうとはしてる」
玲央は、ゆっくりとこちらを向く。
「それって、けっこう贅沢なことだよ」
「朱雀院先輩は……」
言いかけて、口をつぐむ。
踏み込みすぎるかもしれないと、一瞬迷う。
でも。
「……朱雀院家は、ちゃんと話聞いてくれないんですか?」
玲央は、少しだけ目を見開いた。
そして、苦笑する。
「聞いてくれるよ、“朱雀院玲央”としてはね」
「“としては”?」
「跡継ぎ候補として。家のブランドを背負う“アイコン”として。どの立ち位置が得になるかって観点なら、ちゃんと話は聞いてくれる」
風が、一瞬だけ強く吹いた。
スカートを押さえながら、玲央は続ける。
「でも、“玲央個人のわがまま”に対しては、あんまり耳を貸してくれないかな」
それが寂しいとか、辛いとか。
そういう言葉は一つも使っていないのに、その声のトーンだけで伝わってくるものがあった。
「だからさ」
玲央は、わざと明るく笑った。
「条件を出したんだよ、君にも」
「……学校一の女装美男子になれたら、ってやつですか」
「うん。そんな無茶ブリされたら、普通は逃げるでしょ?」
「逃げませんけど」
「それが普通じゃないところなんだよね、君」
玲央は、肩をすくめた。
「でも、条件を出したら、その人の“本気度”がわかるから。家も、友達も、恋人も、だいたいそう」
その言い方は、どこか悟っているようだった。
「今まで、“条件付き”で近づいてきた人、いっぱい見たよ。“朱雀院家と繋がりたい”“有名人と仲良くなりたい”“アイコンと付き合ってみたい”」
「……」
「でもさ、条件が崩れた瞬間、だいたい離れていくんだよね。家がお金持ちじゃなくなったらとか。人気が落ちたらとか。女装やめたらとか」
風の音が、急に寒く感じた。
「だから、条件出した。『学校一の女装美男子になれたら』って」
玲央は、少しだけ笑ってみせる。
「そこまでやって、それでも“好き”って言うなら、本物かなーって」
冗談めかしているけれど、その目は真剣だった。
「本物かどうか、まだわかんないけどさ」
俺は、スカートを押さえながら、玲央を見た。
「“もの”じゃなくて、“人”として、ちゃんと好きですよ」
自分でも驚くくらい、すっと言葉が出てきた。
「朱雀院家の跡継ぎとしてじゃなくて、学校一の女装美男子としてでもなくて。……朱雀院玲央って人が、好きです」
玲央の目が、わずかに揺れた。
風が、ふっと弱まる。
「……そういう直球、ずるいんだよなあ」
玲央は、照れ隠しのように空を見上げた。
「今ここで“じゃあオッケーです”って言ったら、君、絶対手を抜くでしょ?」
「手は抜きません」
「抜くよ。“もう落としたし”って安心して、努力サボるタイプの顔してる」
「ひどい言いがかりだ!?」
「だからやっぱり、条件は維持で」
玲央は、くるっとこちらを向いた。
「学校一の女装美男子になって。それでもまだ同じこと言えるかどうか、試させて?」
その表情は、どこか不安そうで、どこか期待しているようだった。
「……わかりました」
俺は、深く息を吸い込んだ。
「何回でも言いますよ」
「え」
「何回フラれても、何回でも言います。学校一になろうが、なれなかろうが、たぶん俺の気持ち、勝手に続くので」
玲央が、ぽかんと口を開ける。
「そ、それはそれで怖いんだけど」
「一種のストーカーみたいになっちゃうのは避けたいので、距離感はちゃんと保ちますけど」
「ならいいけど」
ならいいのか。
玲央は、ふっと笑って、屋上のフェンスに寄りかかった。
「……ねえ真」
「はい」
「もし君が本当に学校一の女装美男子になったらさ」
玲央は、少し遠くを見ながら言った。
「そのときは、君の隣に立てるように、僕もちゃんと“朱雀院玲央”として格好つけていたいな」
「今でも十分かっこいいですけど」
「お世辞は合格した後に聞く」
「じゃあ、今のは前払いで」
「前払いされても困る」
そんなふうに軽口を叩き合いながら。
風の中で、俺たちの間に流れる空気は、昨日までより少しだけ柔らかくなっていた。
◇ ◇ ◇
「はい、そこまで〜! 時間でーす!」
先生の声が、屋上にまで届いた。
「各ペア、教室に戻って、本日の“デートレポート”を書いてくださーい。相手のよかったところ三つと、反省点二つね〜」
「レポート!?」
「デートにもアフターケアが大事なの」
教育的なんだかなんなんだかよくわからない。
階段を降りながら、玲央がふと呟いた。
「ま、今日のは“お試し版”みたいなもんだし」
「お試し版?」
「うん。本番は、条件クリアしてからかな」
その一言で、心臓がまた忙しくなる。
(……本番のデート)
その言葉を、頭の中で何度も反芻する。
学校一の女装美男子になって、もう一度告白して。
そのとき、隣で笑っている玲央を想像してみる。
少し先の未来に、ぼんやりとした光が灯った気がした。
――俺の男道は、今日もスカートを翻しながら、予定よりだいぶ恋愛寄りにカーブを切っていくのだった。




