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初メイク戦線とバズるマコちゃん

 戦いは、顔面から始まった。


 マスラオ高校・女装科一年A組、記念すべきメイク基礎の第一回授業。


「はーい、みんな、鏡と手持ちのコスメを出してねー。今日から君たちの顔面は、国家の文化資源です」


 いつものテンションで、百合ヶ咲先生が宣言する。


「サラッとこわいこと言わないでください」


「いやいや、冗談じゃなくてね? 十年後くらいに、“あの頃の推しのこのメイクが人生変えたんです”って外国人が言ってくるかもしれないから」


 そんな未来、想像の斜め上すぎる。


 とはいえ、目の前の現実も十分カオスだった。


 教室中の机に、色とりどりのコスメが広げられている。


 ファンデーション。下地。コンシーラー。ハイライト。シェーディング。チーク。アイシャドウ。マスカラ。アイライン。リップ。リップグロス。リップオイル。リップティント。リップバーム。


(リップ多くない?)


 一方、俺の机の上にあるのは――


「……これだけ?」


 支給されたばかりの、学校指定の最低限セット。

 BBクリーム、薄めのチーク、無色のリップクリーム。


 その横に、昨夜コンビニで勢いで買った「とりあえずこれ一本!」みたいなパッケージのプチプラファンデが転がっている。


 説明書きには、『男子でも簡単ナチュラル肌!』と書いてあった。信じていいのかどうかは知らない。


「マコちゃん、そのラインナップは“男子ががんばった結果”って感じで可愛いね」


 背後から、星羅が身を乗り出してきた。


「でもねえ、それじゃあ“すっぴん風”っていうか、“すっぴん”なんよ」


「区別すらついてない俺に、その違いを問うな」


「よし、決めた」


 パチン、と星羅が両手を打つ。


「今日から君、星羅プロデュース第一号の“推し”ね」


「ちょっと待ってください。人の人生のプロデュース権、そんなノリで決めないで」


「えー、ギャルには推しを育てる義務があるって、なんかの条約で決まってるから」


「どこの国際条約だよそれ。批准した覚えないぞ俺」


「大丈夫、マスラオ校内限定ローカルルールだから」


 大丈夫じゃない。


「というわけで先生〜!」


 星羅が勢いよく手を挙げる。


「今日のメイク実習、マコちゃん、私が担当していいですかー?」


「いいねいいね! “ギャルに素材を預けてみよう”企画。先生そういうの大好き」


「企画化されてた!?」


 流れるようなコンビプレーで、俺の意思は多数決によって葬られた。


 ◇ ◇ ◇


「じゃ、まずスキンケアからね〜」


「え、メイクじゃなくて?」


「スキンケアはメイクの地ならしよ? ここをサボると、そのうち土砂崩れ起こすから」


 言いながら、星羅は自分のポーチから化粧水のボトルを取り出した。


「手、貸して」


「あ、うん」


 差し出した手のひらに、とぷとぷと冷たい液体が落とされる。


「これをね、ペチペチって」


「ペチ……ペチ……」


 頬に軽く叩き込んでいく。


「強く叩かない。優しく、でもしっかり。好きな人のほっぺ触るくらいの力加減で」


「比較対象がわかりやすいようでわかりにくい」


「じゃ、誰か想像してやってみ?」


 玲央の顔が頭に浮かび、思わず手が止まる。


「……意識すると逆に難しいからやめよう」


「今、確実に誰か浮かべた顔してた」


 星羅がニヤニヤしている。


(こいつ、観察眼が鋭すぎる)


「オッケー。次、下地。これは肌の凹凸をなだらかにして、色ムラを減らすやつ」


 星羅が手際よく俺の顔に下地を塗っていく。


「すげー……なんか、塗り壁工事みたい」


「やめなさい、せっかくの尊い作業を公共工事みたいに言うの」


 続いて、ファンデーション。


「ファンデとファンデーションって、何が違うんだ?」


「略してるか略してないかの違いかな」


「名前問題だった!!」


 そんなくだらない会話をしながらも、星羅の手つきは真剣だ。


 スポンジでぽんぽんと叩かれる感触が、妙に気持ちいい。


「はい、コンシーラー。気になるクマとかニキビ跡とかにちょんちょん」


「俺、そんなにクマある?」


「ある。“大臣の息子”って言われると勝手にストレスたまりそうなタイプのクマ」


「性格診断までされた!?」


「でも、そういうの隠して“何も悩みありません”みたいな顔にしちゃうと、逆に嘘っぽくなるんだよね〜」


 星羅は、目の下を丁寧にトントンと叩きながら言う。


「だからちょっとだけ残す。『ちゃんと悩んで、でも前向きに生きてます』くらいのバランスで」


「そんな哲学的なコンシーラーの使い方、初めて聞いた」


 しかし、どこか納得してしまう自分もいた。


 表面だけつるつるに塗り固めてしまったら、中身まで嘘になりそうで怖い。


 ◇ ◇ ◇


「はい、ベース完了」


 星羅が、鏡を差し出す。


「おお……」


 そこには、見慣れた自分の顔が――


 ……いるはずなのに、何か違って見えた。


 肌が、いつもより均一で。

 頬の赤みや、ちょっとしたニキビ跡が目立たなくなっていて。


 でも、「誰だこれ」レベルではなく、「ちゃんと俺」だ。


「変わりすぎると戸籍変えなきゃいけないレベルになっちゃうからね。今日はまだ序の口」


「序の口でこれなんだ……」


「ここから、色を足していきます!」


 星羅のテンションが再び急上昇する。


「まずはチーク。血色は生命力。政治家でいうと支持率」


「例えがダイレクトすぎる」


「支持率ゼロパーの顔してたら何言っても響かないでしょ? だからほっぺに支持率盛ってこ」


 言いながら、ブラシで頬に柔らかなピンクを乗せていく。


「はい、笑って」


「え、あは」


「……キモかわいい」


「評価どうなってんのそれ!?」


「だいじょぶ、ちゃんと“かわいい”が勝ってる」


 次は目元だ。


「アイシャドウはね〜、今日は初心者らしくブラウン系でいこ。いきなりピンクとかラメ盛るのは、戦場に半袖で突っ込むようなもんだから」


「そんな危険なんだあれ」


「自爆しやすいんだよね」


 ブラシがまぶたの上をすべる。


 くすぐったいような、落ち着かないような。


「目閉じてー。力抜いて」


「こ、こう?」


「そう。はい、次アイライン。これ失敗すると一気に“まだお化粧に慣れてない小学生”みたいになるから、今日は私がやる」


「例えがピンポイントだな!」


 まぶたのキワに、ひやっとした感触が走る。


「はい、まつ毛上げるよー。ビューラー怖かったら目つぶってていいからね」


「目つぶってたら余計怖いんだけど!?」


「信頼関係のテストだから」


「そんな重いテストだったのビューラー……」


 ガシャン、と金属の音が耳元で鳴る。


 まつ毛が持ち上げられる感覚は、妙に非日常的だ。


「マスカラは今日は軽め。……よし、仕上げにリップ」


「それ、さっき机にいっぱい種類あったやつ」


「今日はティントにしよ。色持ちいいし、食べてもそこまで落ちないから」


「そこまで計算されてるんだ、リップ選び」


「キスしても落ちないとかもあるよ?」


「!?!?」


 不意打ちのワードに、心臓が無駄に跳ねた。


「だいじょぶ、今日はそこまで攻めないから。まだ一回戦だから」


「一回戦って言うな」


 星羅が、スティックを唇にそっと滑らせる。


「唇、ぎゅってして〜」


「ん」


「……あ、今のちょっとエロかった」


「実況するな!!」


 笑いながらも、星羅の手つきは相変わらず器用で、あっという間に作業が終わった。


「はい、鏡見て」


「……っ」


 息を呑んだ。


 さっきの“ベースだけの俺”とも、また違う。


 目の周りにほんのりと陰影がついて、目つきが柔らかくなっている。


 チークで頬に血色が足されて、健康的な明るさが出ている。


 リップに乗った色は、派手すぎず、でも確かに「素の俺」より少しだけ甘い。


「……これ、俺?」


「うん。“ちょっとがんばった真”って感じ」


 星羅は、満足げに頷いた。


「ほら、ちゃんと“男の子”っぽさも残してあるでしょ?」


「男の子っぽさ?」


「眼差しとか、輪郭とか。全部消しちゃうと、“女装してる男の子”じゃなくて、“よくできたお人形”になっちゃうから」


 星羅は、少しだけ真面目な顔になった。


「マコちゃんの目、真っ直ぐでさ。そこ、消したくないなって」


 胸の奥が、きゅっと熱くなった。


 昨日、玲央にも似たようなことを言われた気がする。


『ちゃんと、“桐島真”のままで、かわいくなれるほうがいい』


 俺の「俺らしさ」を残したまま、かわいくなる。


 そんなこと、考えたこともなかった。


「……ありがと」


 思わず小さく呟くと、星羅は「どいたしまして」とニカッと笑った。


「よっしゃ、じゃあこの顔面で――」


 教室前方から、先生の声が飛ぶ。


「それじゃあここから、恒例の“ペアコーデ対決”入りまーす!」


「出たぁぁぁ!」


 クラス中から悲鳴と歓声が上がった。


 ◇ ◇ ◇


「ペアコーデ対決とは!」


 百合ヶ咲先生が、黒板にどーんとタイトルを書く。


「女装科に入ったからには、自分だけじゃなく、“誰かをかわいく/かっこよくする力”も必要です。そこで――」


 先生は、にやりと笑った。


「二人一組になって、“初デートコーデ”をテーマに、全身コーディネートしてもらいます!」


「デート!?」


「初!?」


「テーマが重い!!」


「審査員は、二年生の代表たちと、先生たちと、あと……」


 先生が意味ありげにドアの方を見た。


「特別ゲスト」


 そう言って、扉を開ける。


「やっほー、一年ちゃんたち。今日もかわいくなってる?」


 ひょいっと顔を出したのは――玲央だった。


 その後ろに、数人の二年生たちもぞろぞろと続く。


「女装科二年、トップクラスの“完成された素体”たちです」


「先生、それやめてって言ってるのに」


 口ではそう言いながらも、玲央は慣れた笑顔で教室の前に立つ。


「というわけで、今日は僕たちが“先輩目線”で審査しまーす。テーマは“初デート”。

 『付き合う前の微妙な距離感で映画館に行くときのコーデ』とか、

 『まだ手も繋いでないのに遊園地に誘っちゃったときのコーデ』とか、想像してみて」


「例えがやたら具体的……」


「リアルだな……」


 クラスのあちこちでざわつきが起きる。


「ペアは隣同士で組んでいいよー。ペアになったら、どっちを“メイン”で仕上げるか決めてね」


 そう言われて、俺は自然と星羅の方を見る。


「ね、マコちゃん」


 星羅は、ニヤッと笑った。


「もちろん、メインはあんたでしょ?」


「ですよね!!」


 逃げ道はなかった。


 ◇ ◇ ◇


 教室の隅に簡易ラックが運び込まれ、そこには学校所有のコーデ用アイテムがずらりと並べられていた。


 カーディガン、ブラウス、スカート、ワンピース、ちょっと大人っぽいジャケット、カジュアルなパーカー。


「マコちゃんは、“等身大感のある清楚系彼女”路線でいきましょう」


「連日新しい自分の属性が追加されていく……」


「清楚系はね〜、盛りすぎると一気に“無理してる感”出るから、その一歩手前で止めるのが大事なの」


 星羅は、真剣な顔でラックを物色する。


「これだ」


 彼女――いや、彼は一着のワンピースを引き抜いた。


「白地に小花柄のワンピに、薄い水色のカーディガン。鉄板だけど、こういうのはあえて王道を外さないほうが強い」


「そんなに戦略的なものなの、デート服って」


「戦略だよ。相手に“かわいい”って思われたいのか、“ドキッとさせたい”のか、“守ってあげたい”と思わせたいのか。全部、装備で変えられるんだから」


 武器選びみたいなこと言ってる。


「ほら、着替えてきて」


 用意された簡易更衣スペースに押し込まれ、俺はワンピースに袖を通した。


 ひやりとした生地が、肌を撫でる。


 膝丈のスカートが、いつもの制服スカートより少しだけ広がる。


「うわ……」


 鏡を見ると、そこには――


 まだぎこちないけれど、確かに「清楚系」っぽい何かが立っていた。


 前髪とウィッグも、星羅が微調整してくれる。


「うん、“地味すぎないけど近寄りがたくもない”ラインに収まった」


「そんな絶妙なラインを狙った覚えはない」


「いいの。こっちで決めるから」


 教室に戻ると、他のペアもそれぞれ作業を進めていた。


 地味男子がメガネを外して前髪を上げ、“垢抜け系優等生”になっているペア。

 ミカドは相棒と揃いの双子コーデで、「アイドルユニットです!」とアピールしていた。


「それじゃあ、発表いきまーす!」


 先生の声で、教室が簡易ステージに変わる。


 一組ずつ前に出て、自分たちのコンセプトを紹介し、軽くウォーキングしてみせる。


 歓声と笑い声と、時々上がる悲鳴。


 あっという間に俺たちの順番になった。


「一年A組、星羅&マコペア。“放課後シネマデート彼女”です!」


「タイトルからしてこっぱずかしい!!」


 背中を押されて、ステージ前方に出る。


 玲央たち二年生が、教室の後方からじっとこちらを見ている。


 足が、少しだけ震えた。


(落ち着け……ただ歩くだけだ……)


 昨日の素体チェックを思い出しながら、一歩を踏み出す。


 ワンピースの裾がふわりと揺れる。


 星羅に言われたとおり、少しだけ内股気味に足を運ぶ。


「おー」


 どこからともなく、そんな声が上がった。


「じゃ、コンセプト説明して〜」


 先生に促され、星羅がマイク(代わりのペン)を持つ。


「えーっとですね〜、“がんばりすぎてない感”を出しつつ、“でもちゃんと彼のこと意識してます感”を、色味とシルエットで表現しました!」


「テーマが情緒的すぎる」


「顔周りは、マコちゃんの素の雰囲気を活かしつつ、アイシャドウとチークで柔らかくして、“近くで見たくなる子”を目指しました!」


「だから俺を商品説明みたいにするな」


 でも、教室からはわりと好意的なざわめきが返ってきていた。


「かわいい……」「普通に彼女にしたい」「清楚系っぽいのに、なんか芯強そう」


「芯、強そう?」


 自分ではよくわからない感想だ。


 審査員席――という名の後方の先輩ゾーンから、拍手が起こる。


「はいはーい、二年代表からコメント入りまーす」


 玲央が、すっと前に出た。


「まず、全体のバランスいいね。色味が春っぽくて、初デート感ある」


「ありがとうございます〜」


「で、マコちゃん」


 名前を呼ばれて、思わずびくっとする。


「昨日よりも、“見られること”をちゃんと意識して歩けてた。顔の向きと、顎の角度。そこだけで印象変わるんだよ?」


「は、はい」


「あと――」


 玲央は、一瞬だけ目を細めた。


「自分がかわいくなってることに、まだ慣れてない感じが、逆に良かった」


「え」


「“私かわいいでしょ?”って思ってない子のほうが、守りたくなるでしょ?」


 その言葉に、教室のあちこちから「わかる」「それな」と同意の声が上がる。


「……本人、いちばん理解追いついてないんですけど」


「そのうち追いつくよ」


 玲央は、意味ありげに笑った。


「総合評価。そうだな――」


 一拍置いて。


「八十五点」


「おおー」


 教室から拍手が起きた。


「ただし、“まだ伸びしろがたくさんある子”の八十五点ね」


「ど、どういう……」


「完璧に決めちゃうと、今日がピークになっちゃうじゃん? 高校生活三年間あるんだから、最初から百点狙う必要ないよ」


 それは、妙に救いのある言葉だった。


「……はい」


 自然と、笑顔がこぼれる。


 八十五点。


 そこそこ高い点数をもらったことよりも、「伸びしろ」という言葉が嬉しかった。


(まだ、ここから変われるんだ)


 自分でもよく知らない自分に向かって、扉が開き始めている気がした。


 ◇ ◇ ◇


 全ペアの発表が終わり、結果発表が行われた。


「それでは、“初デートコーデ対決”の優勝は――」


 百合ヶ咲先生が、黒板消しをマイク代わりに持って、もったいぶる。


「一年A組、御子柴&相田ペア!」


「よっしゃあああ!」


 ミカドが、相棒とハイタッチしている。


「やっぱり双子コーデは強いね〜。“カジュアルに見えて実は計算されてます”感がよかったです」


 俺たち星羅&マコペアは、結果としては準優勝だった。


「悔しい〜!」


 星羅が机に突っ伏す。


「いや、十分すごいだろ」


「まあね。でも、マコちゃんのポテンシャルなら、まだまだいけると思ってたから」


 そう言って、星羅はにっと笑った。


「次の機会には、絶対ぶっちぎりで優勝しよ」


「……うん」


 そのときは、俺ももっとちゃんと「かわいくなりたい」って気持ちを自覚していたい。


 そんなことを考えながら、教室の外に出たときだった。


「マコちゃーん!」


 廊下から、ミカドがスマホ片手に駆け寄ってきた。


「なに?」


「これ見て!」


 画面を見せられる。


 そこには、さっきの対決中に誰かが撮ったらしい写真が表示されていた。


 ワンピース姿で歩いている俺の横顔。


「……これ」


「それ、今SNSでバズりかけてる」


 ミカドが、にやにやしながら言う。


「『マスラオの新星かわい子ちゃん誰!?』『男子校なのにこの美少女何事?』『#マスラオのマコちゃん』とかで、じわじわ拡散中」


「タグついてるぅぅ!?」


「ほら、見て。もう“いいね”1000超えそう」


「ちょ、ちょっと待って待って待って」


 目が回りそうになる。


 昨日の入学式も地方ニュースの端っこで流れたらしいが、今日は完全にネットの餌食だ。


「これ、父さんとかにも見られるやつ?」


「大臣って、エゴサとかするタイプ?」


「しててほしくないけど、してそうなのがまた厄介なんだよな……」


 頭を抱える俺の後ろから、ひょいっとスマホが覗き込まれた。


「ふーん。いいじゃん」


「うわっ」


 振り返ると、玲央がいた。


「“マスラオのマコちゃん”か。愛称、定着早いね」


「定着してほしくないんだけどなぁ……」


「でもさ」


 玲央は、画面に映った俺の写真をじっと見つめる。


「これ、自分で見てどう思う?」


「どう、って……」


 正直、混乱していた。


 だってそこにいるのは、俺が知っている「桐島真」とは、少し違う。


 でも、「誰だお前」ってほど別人でもない。


 いつもの自分より、少しだけ、柔らかくて。


 少しだけ、楽しそうで。


 ……少しだけ、自分で「かわいいかも」と思ってしまった。


「……悔しいけど」


 ぽつりと言葉が漏れる。


「嫌な感じは、しない」


 玲央が、ふっと目を細めた。


「そっか」


 軽く笑って、スマホをミカドに返す。


「だったら、いいんじゃない?」


「え?」


「人にどう見られてるかも大事だけどさ。いちばん大事なのは、自分で自分をどう見てるかでしょ」


 玲央は、俺の顔をまじまじと見る。


「“かわいい”って思ってくれる人が千人いても、自分が“キモい”って思ってたら、たぶん幸せになれない」


 その言葉は、やけに胸に刺さった。


 父さんにとっての「立派な男」像。

 世間にとっての「政治家の息子」像。


 いろんな「らしさ」が、俺の周りにはぶら下がっている。


 でも、鏡の中の自分を見て、「悪くない」と思えたなら。


 そこには、誰のものでもない「俺の基準」がある。


「……ちょっとだけ、嬉しいです」


 正直にそう言うと、玲央は満足げに頷いた。


「なら、その“ちょっと”を、少しずつ増やしていけばいいよ」


「“ちょっとかわいい”を?」


「うん。“ちょっと好き”も」


 玲央は、いたずらっぽく笑った。


「ほら、条件のスタートラインには立てたってことじゃん。学校一の女装美男子への道、初日としては上出来」


「……そうですかね」


「そうだよ。だって――」


 玲央は、廊下の窓の外を指さした。


 そこには、校門前でスマホを構える生徒たちと、遠巻きに様子を窺う記者らしき人影が見える。


「もう“マコちゃん”目当てで学校の門前張ってるやつらいるし」


「早すぎるわ世間の反応!!」


「ソフトパワーって、そういうもんだよ」


 玲央は、肩をすくめた。


「君がどう思ってても、君の存在は勝手に誰かの視界に入って、勝手に意味を持つ。だったらせめて、自分で選んだ意味を乗せたいじゃん?」


 その考え方は、政治家の息子としても、ちょっとわかる気がした。


 父さんも、いろんな意味付けをされながら、それでも自分の信じる政策を押し出し続けている。


(……俺も)


 マスラオの「マコちゃん」として、どんな意味を背負うか。


 その答えは、まだわからない。


 けれど。


「――まあ、とりあえず」


 俺は、ちらっと玲央を見る。


「“朱雀院玲央にもう一回告白するための下準備”だと思えば、がんばれそうです」


「お」


 玲央が、少しだけ目を丸くする。


「最初の告白、“勢い”で言ったわけじゃないですから」


 思い切って言い切ってみた。


 顔が熱い。耳まで熱い。でも、目は逸らさない。


 玲央は、一瞬黙って俺を見つめた。


 やがて、ふっと口元をゆるめる。


「……そういうの、嫌いじゃないよ」


 ぽつりと、それだけ言った。


 それ以上、踏み込んだことは言わない。


 でもそれで十分だった。


 心臓の鼓動が、さっきよりもずっと軽やかに跳ねている。


 ◇ ◇ ◇


 その日の夜。


 家に帰ると、リビングのテレビから自分の名前が聞こえてきた。


『――さて、続いてはネットで話題のこちらの写真です。男子校・私立マスラオ高等学校から、“かわいすぎる新入生”として、こちらの画像が――』


「ぎゃあああああ!!」


 画面には、さっき見たばかりの「マスラオのマコちゃん」の写真が、ドーンと映し出されていた。


 父さんが、湯呑みを持ったまま固まる。


「…………真?」


「ち、違います。きっと似てる他人です」


「テロップに“内務戦略大臣・桐島剛政氏のご子息”と書いてあるが」


「誰だよ喋ったやつぅぅぅ!!」


 俺の悲鳴と、父さんのため息と、テレビのアナウンサーのテンション高い声が、リビングに響き渡った。


 ソフトパワー、恐るべし。


 こうして俺の顔面は、想定よりだいぶ早く「公共性」を帯びていくのだった。


 ――でもまあ。


 鏡の中の自分を見て、「悪くない」と思えた今日なら。


 その「公共性」も、ちょっとだけ誇らしく思えたりして。


 俺の男道は、また一歩、スカートとメイクの方向に前進したのだった。

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