女装科オリエンテーションと“素材”査定会
翌日。
マスラオ高校・女装科一年A組の教室は、朝からすでにカオスだった。
「ねえ見て見て、この新作チーク! “血色感・恋してます風”って書いてあるんだけど、恋してなくても塗っていいのかな?」
「いいんだよ。チークで盛れば恋愛フラグも後から盛れるって、うちの推し配信者が言ってた」
「お前の推し、人生アグレッシブだな」
ここは本当に男子校か?
教室の空気は、一般的な男子校イメージ――汗と部活臭と謎の騒音――とは、だいぶベクトルが違っていた。
パウダーファンデのふわっとした匂いと、ヘアスプレーの甘い香り。
机の上には教科書と並んで、ポーチ、コーム、アイパレット。
なんだこの「ホームルーム兼楽屋」みたいな光景。
(落ち着け……ここが今日から俺の戦場だ……)
俺――桐島真は、まだ新品の制服のスカートを気にしながら、自分の席に座っていた。
一応これでも、昨日から少しだけ成長している。
スカートをはいて校門をくぐるとき、いちいち挙動不審にならなくなった。
廊下ですれ違う男子たちの視線も、「見られた!?」から「まあ、そりゃ見るよな」くらいにはメンタルが慣れてきた。
なにより――
(条件、出されちゃったしな)
昨日の玲央の言葉が、頭の中で何度もリピートされる。
『学校一の女装美男子になれたら、その時は改めて考えてあげる』
あれ、つまり俺の三年間のミッションステートメントだ。
企業理念だったら額に入れて応接間に飾るレベルの大事なやつだ。
(……やるって言っちゃったし)
言った以上、後戻りはしない。
男は一度出した公約を簡単に引っ込めない。
たとえそれが「女装で学校一になる」という、国会で読み上げたら委員会がザワつく内容でも。
「よーっし! おはよ、マコちゃん!」
背後から、元気いっぱいの声が飛んできた。
マコちゃん。
早速、昨日付与された新名称が教室内に浸透している。情報伝達速度、SNSか。
振り返ると、派手めのカラコンにふわふわの金髪、制服のスカートをギリギリまで短くしている男子――
「……星羅」
「そう! ギャル代表、星羅ちゃんでーす☆」
自分で名乗るな。
星羅は、昨日の入学式のあと、なぜか当然のようなテンションで話しかけてきて、そのままLINE交換まで済ませたクラスメイトだ。
初対面からテンションが高すぎて、台風か何かの擬人化かと思った。
「ねえねえ、今日のマコちゃん、ベースメイク薄いね?」
「べ、ベース? メイク?」
「やだぁ、用語も基礎からか〜! 可愛い〜!」
「褒められてる気がしない!」
「安心して、全部教えてあげるから。推し素材を育てるのはギャルの義務だから」
星羅は当然の義務感で俺の頬をむにむにしながら、肌のコンディションチェックを始める。
「うん、毛穴もそこまで開いてないし、肌も荒れてない。男子にしては優等生肌かな〜。これは磨きがいあるね!」
「人の顔を磨き石扱いするな」
その隣では、眼鏡をかけた地味系男子が、教科書に細かく線を引きながら話しかけてきた。
「桐島くん、だっけ?」
「あ、うん。桐島真」
「僕、小野寺。よろしく。昨日のスピーチ、姿勢のよさが印象的だったよ」
「姿勢?」
「うん。首から肩のラインがきれいでさ。あれ、結構大事なんだ。女装って、骨格と姿勢が八割だから」
「割合の内訳、そんな感じなの」
「残り二割がメイクと服。で、その二割で人類は永遠に戦い続ける」
壮大な話になってきた。
さらに前の席から、ひょこっと振り返った少年がいる。
「やっほー! 俺、御子柴ミカド! 将来の全国区“男の娘アイドル”だから、今のうちにサインあげよっか?」
「いらねえよ」
「辛辣〜! でもそういうのもスパイスになるからOK☆」
ミカドは、やたら歯の白い笑顔をキラッとさせながら、スマホで自撮りを始めた。
「入学初日から同級生に“マコちゃん”って可愛い子いるんだよ〜って、フォロワーに報告しとくね!」
「勝手に広報すんな!」
入学二日目にして、俺のあだ名は完全に「マコちゃん」で定着しつつあった。
クラスの端っこでは、別のグループがわいわいと喋っている。
「今年の一年、レベル高くね?」
「だよな〜。なんか、“国の息子”までいるし」
「ソフトパワーの戦力増強ってやつ?」
(……聞こえてるからな)
父さんが大臣だから、「国の息子」扱いされているらしい。
国を背負う前に、まずクラスメイトの視線を背負っている。
そんな騒がしさの中。
「はーい、みんな、席に着いてー。先生、そろそろ尊死しそうだからー」
教室後方から聞こえた声に、ざわついていた教室が一気に静まり返った。
……“尊死”?
振り向くと、そこには一人の教師が立っていた。
淡い色のスーツに、緩くまとめた髪。
ぱっと見は普通の若い女教師――いや、男子校だから女教師はレアキャラだ。
教壇に立ったその人は、にこやかに手を振った。
「おはようございます。今日から君たちの担任兼、『ジェンダー表現論』『応用ホスピタリティ演習』『推し活戦略論』を担当します――百合ヶ咲です」
「推し活戦略論!?」
教科名の最後だけ、明らかに異物混入だ。
「一応、戸籍上は男性です。が、心は常に“尊い”のほうに寄ってます」
「どういう自己紹介!?」
百合ヶ咲先生は、胸にぶら下げた教員証をひらひらさせながら続ける。
「このクラスを担当できるなんて、先生、今世で徳を積みすぎたのかもしれない……。ここ、全員男の娘予備軍ってことでしょ? この時点で尊い……」
すでに若干目が潤んでいる。大丈夫かこの人。
「まずは簡単に、この『女装科』について説明します」
先生は黒板に「女装科とは」と書き、くるりとこちらを向いた。
「世の中にはいろんな“力”があります。軍事力、経済力、政治力。そして――文化力」
チョークで書かれた「文化力」の文字を、丸で囲む。
「この国は、戦後しばらく“硬い力”――ハードパワーで出遅れた分、“柔らかい力”――ソフトパワーを一生懸命育ててきました。アニメ、漫画、音楽、食文化。そして――」
先生は、教室を見渡した。
「――男の娘」
「そこ並べる勇気すごくないですか先生」
どこからともなくツッコミが入る。
「でも事実です。十数年前、とある文化防衛庁の若手官僚が言いました。“可愛いは国境を越える。ならば、可愛い男の子も外交に出せばいいのでは?”と」
誰だよその元凶。
「そこから始まったのが、『男の娘外交パイロットプログラム』。各国の文化イベントに、“性別の枠を軽やかに飛び越えた存在”として出演した男の娘たちが、予想外の大反響を呼びました」
「へえ……」
クラス中から、感嘆とも戸惑いともつかない声が漏れる。
「もちろん賛否もありました。“そんなことで国を代表していいのか”という声もありました。でもね」
百合ヶ咲先生は、少しだけ真面目な顔つきになった。
「その子たちのおかげで救われた人も、たくさんいたんです。“自分もこうありたい”と。性別の枠に押し込められて息苦しかった人たちが、“こういう生き方もあるんだ”って知った」
先生の目が、ふっと優しくなる。
「だから、この『女装科』は単なる“コスプレ趣味科”ではありません。国家認定のソフトパワー育成機関――と書くとお堅いけど、要するに――」
黒板に大きく、こう書いた。
『自分の“かわいい”と“かっこいい”を両方育てる場所』
「ってことです」
それは、妙に胸に落ちる言い方だった。
「君たちは、これから三年間で、“見た目”だけじゃなく、“自分の生き方”もデザインしていきます。そのために必要なのが――」
先生は、パチン!と手を叩いた。
「本日のメインイベント、『素体チェック』!」
「出たー!」
「来たか……」
クラスから、悲鳴と歓声が半々くらいの割合で上がる。
(そたい……?)
小声でつぶやくと、隣の小野寺がすかさず解説してくれた。
「“素体チェック”。女装する前の、ありのままの状態を見て、どんな方向性が向いてるか評価するやつ」
「ゲームの初期キャラ設定みたいな?」
「近いね。ここで“骨格ストレート系お姉さんルート”とか“童顔地雷系ルート”とか、大まかなビルドが決まる」
「そんなルート分岐したくない」
「無理だよ。ここ、そういう学校だから」
諦めのいい笑顔を向けられた。
百合ヶ咲先生は、教室後方の扉を指さした。
「では、場所を移動します。体育館横のスタジオへ。歩き方もチェック対象だから、気を抜かないようにね〜」
◇ ◇ ◇
スタジオに入ると、まず目に飛び込んできたのは、壁一面の鏡だった。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
鏡、鏡、鏡。
床はフローリング、天井にはスポットライト。
完全にダンススタジオ、あるいはオーディション会場のそれだ。
「みんな、壁際に荷物を置いて、一列に並んでね〜」
先生の指示に従い、俺たちは横一列に並ぶ。
鏡の中には、スカートの男子がずらり。
なかなかシュールな光景だ。
「まずは、簡単なウォーキングからいきます」
先生は床にテープで印をつけた直線を指さした。
「このラインを、一人ずつ歩いてきてください。普段どおりでいいです。頑張って歩こうとすると、だいたい変になるから」
「先生、それ経験談ですよね?」
「黙秘します」
一人目が歩き始めた。
猫背気味の男子が、おそるおそる前へ進む。
「うん、まずは姿勢からだね〜。肩が内側に入ってると、どんな服着ても“自信なさげ“に見えちゃうよ」
二人目は、やたらモデル歩きが板についているやつ。
「お、慣れてるね。どこかでダンスやってた?」
「妹のコスプレイベントの付き添いで、何回かステージ出ました」
「いいねいいね、“現場慣れ”大事」
三人目、四人目と進むにつれて、それぞれの歩き方の癖が見えてくる。
つま先が外に開きすぎているやつ。
逆に内股すぎるやつ。
腰が落ちているやつ。
「はい、次――桐島くん」
「はい」
つい、いつもの調子で返事をしてしまった。
直線のスタート地点に立つ。
鏡には、スカートをはいた自分の姿。
(……俺、だよな)
なんど見ても、まだ少し違和感がある。
でも、昨日よりは、ちょっとだけマシになっていた。
「普段どおりでいいですよ〜」
先生の声に、俺は一つ息を吐く。
(普段どおり。いつもの、武道の稽古の時みたいに)
膝をロックしないように、軽く緩める。
背筋を伸ばし、肩の力を抜く。
一歩。
床を踏む感覚に集中する。
二歩、三歩。
剣道の足さばきとは違うけれど、体幹を意識するのは同じだ。
ラインの終点まで歩き、くるっと振り返る。
鏡越しに、クラスメイトたちの視線がこちらに集まっていた。
「はい、ありがとう」
先生が、手元のタブレットに何かを書き込む。
「肩線良し。骨盤の位置も悪くない。足運びも安定してる。あとで詳細フィードバックするけど――」
ちらりとこちらを見る。
「ポテンシャル、A判定」
「え」
教室がざわっとした。
「マジで?」
「やっぱりな……昨日のスピーチの立ち姿、なんか品あったもん」
「国の息子、DNAレベルでポテンシャル盛られてんのか……」
「DNAは盛れねえよ! ていうか親父関係ねえから!」
と言いつつ、心のどこかでホッとしている自分がいた。
(……よかった。とりあえず、スタート地点には立ててるんだ)
全員のウォーキングが終わると、次は表情チェック、声のチェックと続いた。
「笑ってみてー」
カメラで一人ずつ笑顔を撮られ、スクリーンに表示される。
自分の笑顔を見るのは、なかなかの罰ゲームだ。
「はい、桐島くんの笑顔。……うん、悪くない。真面目くん感ある」
「褒めてます?」
「でも、目の奥がまだ“男らしくいなきゃ”って緊張してるかな。“かわいく見せてもいいんだよ”って自分に許可出せたら、もっとよくなる」
そんな許可、今まで出したことがなかった。
かわいく見せてもいい。
男なのに。
頭のどこかで、そんなブレーキがまだ効いている。
(……三年間で、そのブレーキ外せるかな)
ふとそんなことを思ったときだった。
「じゃ、ここからは二年生も合流します〜。上級生は一年の“素体”を見て、コメントなりアドバイスなり、推しチョイスなり好きにしていいから」
先生がスタジオの扉に向かって手を振ると、数人の上級生が入ってきた。
その先頭に――見慣れた顔がある。
「じゃじゃーん。女装科二年代表、“完成された素体”こと朱雀院玲央、参上」
「完成された素体って自分で言うんだ……」
玲央は、昨日と同じ栗色の髪を揺らしながら、すっとスタジオ中央に歩いてきた。
その歩き方だけで、「あ、レベルが違う」というのがわかる。
「今日は一年生の“素材チェックデー”って聞いたからさ。見学がてら、ちょっとだけコメント係」
玲央と目が合った。
一瞬だけ、昨日と同じ柔らかな笑み。
でもそのすぐ後に、先輩モードの表情になる。
「ふむふむ。なかなか粒ぞろいじゃない?」
玲央は、腕を組んで一年生の列を眺める。
「あの子は猫目強調系かなぁ。あっちは純情メガネ路線。そこの子は……完全に地雷系いける」
「地雷系って先輩が言うと説得力ありすぎて怖いんですけど」
「褒め言葉だよ?」
どこがだ。
「で――」
玲央の視線が、俺のところで止まった。
「マコちゃん」
その呼び名で、周りの上級生たちが「あー」「噂の」「あのスピーチの」とざわつく。
「歩き方、見てたよ」
「あ、はい」
「悪くなかった。ていうか、かなりよかった」
「え」
「軍隊式っていうか、剣道仕込みっていうか。無駄な揺れが少なくて、安定してる。ちょっと硬いけど、そこ崩せれば、“凛とした系ヒロイン”いけそう」
「ひ、ヒロイン……?」
「“主人公の幼なじみで、実は内心ずっと好きだった系ヒロイン”」
いやに具体的なキャラ付けされた。
「それ、最後に報われるやつですか?」
「そこは脚本次第かな」
玲央は、意味ありげに笑う。
「……昔、似たような立ち方する人、見たことあってさ」
「似たような?」
「うん。背筋まっすぐで、どこにいても“自分はここにいる”って感じの立ち方」
玲央は、少しだけ遠くを見るような目をした。
「その人は、最終的に“完璧なアイコン”になっちゃって、どっかに消えちゃったけど」
それが誰なのかは、もちろん今の俺にはわからない。
でも、“完璧なアイコンになって、どこか消えた人”というフレーズが、玲央の中に刺さったトゲみたいに聞こえた。
「マコちゃんは、そうならないといいね」
「え?」
「ちゃんと、“桐島真”のままで、かわいくなれるほうがいい」
軽く笑いながら言われたその言葉は、意外と重かった。
「だって、完璧なアイコンって、案外つまんないよ?」
玲央は、くるっと回って、自分もラインの上に立った。
「ほら、見本」
音楽が流れたわけでもないのに、スタジオの空気が変わった。
一歩。
玲央の足が床を踏む。
二歩、三歩。
歩くだけなのに、視線を奪われる。
骨盤の揺れ、腕の振り、顎の角度。
すべてが「見られること」を前提に設計されている。
「これが、プロの“素体の使い方”ね」
最後にポーズを決めた玲央に、スタジオから自然と拍手が起きた。
俺も、その中に混ざって手を叩きながら、心の中で呟く。
(……遠いな)
学校一の女装美男子。
昨日、勢いで宣言した目標が、今、具体的な距離を持って目の前に立っている。
遠すぎて、笑ってしまいそうになる。
(でも――)
遠いからって、諦める理由にはならない。
むしろ、その遠さにわくわくしている自分がいた。
剣道を始めたときもそうだった。
強い先輩を見て、「ああはなれない」と思うより先に、「いつか追いつきたい」と思った。
今回も、きっと同じだ。
「よし」
小さく拳を握る。
武道科の合格通知を引き出しにしまった日。
俺は一度、進路を曲げた。
でも今は、ここでまっすぐ進むと決めた。
男らしさとか、女らしさとか。
そんなものに振り回される前に。
まずは、自分で決めた“かわいくなる”って目標に向かって、全力で走ってみる。
「――マコちゃん」
名前を呼ばれて顔を上げると、玲央がすぐ目の前にいた。
「スタジオの外、風強いからさ。スカート、ちゃんと気をつけなよ」
「え、あ……うん」
「見せたくない人に見せちゃう前に、“見せたい相手”決めときな?」
「なっ」
さらっと爆弾を投げてくる。
顔が熱くなるのを感じながら、俺はそっぽを向いた。
「……もう決まってますけど」
「ん?」
「見せたい相手も、追いつきたい背中も」
自分で言っておいて、穴があったら国会議事堂くらいのサイズで入りたい。
玲央は、一瞬きょとんとした後、ふっと笑った。
「そ。じゃあ、がんばって」
それだけ言って、ひらりとスカートを翻す。
その背中を見ながら、俺は心の中で改めて宣言した。
(桐島真、いや――桐島マコ。学校一の女装美男子、目指します)
こうして俺の男道は、ますますスカートに寄り道しながら、本格的に“女装科ライフ”へ突入していくのだった。




