スカートで走るその先と、“優勝しなかった”物語
全国大会の会場は、体育館じゃなかった。
武道館でもドームでもない。
でも、俺にとっては、それくらいの重さがあった。
名称は、「全国高校ソフトパワー交流フェスティバル」。
略して、「ソフフェス」。
「名前ゆるいな!」
会場に着いた瞬間、思わずツッコんだ。
場所は、都内の巨大コンベンションセンター。
ガラス張りのロビーには、各校のブースやステージが並び、人、人、人。
「第3ホールが“男の娘&ジェンダーパフォーマンスステージ”だって〜」
星羅が、パンフレットを広げながら言った。
「マスラオ高校は、午後の部トリ前ね。トリ前って一番おいしいやつ」
「一番胃に悪いやつでもある」
午前中は、他校のステージを見て回った。
女装パフォーマンス特化の学校。
ミックスダンス部がジェンダーレス衣装で踊る共学校。
演劇部が“王子と王子の物語”を朗読劇で見せるところもあった。
「……レベル高」
素直にそう思った。
どの学校も、自分たちなりの「ソフトパワー」を、全力でステージに叩きつけている。
「マスラオも負けてないけどな」
隼人が、腕を組みながら言う。
今日は、応援&一部演出補助という立場でついてきてくれていた。
「午前“真・マスラオ”優勝者兼、午後“スカートで男道”センター。肩書きだけならお前が一番うるさい」
「肩書きで殴るな」
「殴ってない、竹刀も持ってない。今日は観客だ」
そう言いながらも、隼人はパンフレットのマスラオ高校の欄を、誇らしげに眺めていた。
『私立マスラオ高等学校・女装科』
演目:『マスラオ・クロスオーバー〜スカートで男道、未完成上等〜』
「サブタイトル盛りすぎでは?」
「先生がテンション上げて書いたらしい」
想像できる。
◇ ◇ ◇
控え室に戻ると、女装科メンバーがすでに準備に入っていた。
「ウィッグチェックオッケー」「メイク、ライトに負けない仕様完了」「衣装のほつれなし!」
百合ヶ咲先生が、スタッフ顔でチェックリストを片手に走り回っている。
「マコちゃーん。今日は“全国仕様”だからね〜。緊張してる?」
「してないと言えば嘘です」
「“嘘です”まで含めて声に出せてるから大丈夫」
先生は、ニヤリと笑った。
「玲央先輩は?」
「ここ」
部屋の隅で、玲央がストレッチをしていた。
いつもの制服ではなく、ステージ衣装。
白と紺のジャケットに、淡いグラデーションのスカート。
少しだけくすんだ金のラインが、彼の肌色とよく合っている。
「見てのとおり、生きてます」
「グローバル配信のほうはどうなりました?」
「当分、企画練り直しだって」
玲央は、肩をすくめる。
「“本当にやりたいと思える形にしてから出し直そう”って、父さんが。……たぶん、真のせい」
「また責任転嫁された」
「責任取ってよ?」
「何をですか?」
「僕が“本当に立ちたいステージ”を選べちゃった、その後の全部」
さらっと言う。
心臓に悪い。
「……とりあえず、今日のステージからがんばります」
「そう、それでいい」
玲央は満足そうに頷いた。
「“俺の中の一番”候補の動き、ちゃんと見てるから」
「プレッシャーのかけ方が独特ですね」
◇ ◇ ◇
出番の二つ前。
第3ホールの袖から、ステージを覗く。
今、演じているのは、関西の某有名校のチームだった。
ステージ上で繰り広げられる、ギャグとシリアスの絶妙なバランス。
笑わせて、泣かせて、また笑わせてくる。
照明演出も、映像も、歌も、完成度が高すぎた。
「やば」
正直に呟く。
「完成度で勝負したら、普通に負けるかもしれない」
横で見ていた星羅も、真顔だった。
「でも、いいよね」
「いい?」
「全部が完璧なステージの中で、“未完成上等”って言い切れるの、マスラオくらいだと思う」
それを聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
「そうだな」
俺たちは、“完成度”ではなく、“未完成度”で勝負する。
負け惜しみでも開き直りでもなく、本気でそう思えた。
◇ ◇ ◇
「次のステージ準備、お願いします」
スタッフの声がかかる。
心臓が、またうるさくなってくる。
袖に並ぶ。
玲央が、隣に立つ。
「ねえ、真」
「はい」
「今日のステージ、“もし負けてもいいや”って思えてる?」
不意打ちだった。
「……わからないです」
正直に答える。
「勝ちたいとは思ってます。優勝したら、“父さんの審査”にも、“朱雀院ブランド”にも、何かといい材料になるかもしれないですし」
「だよね」
「でも、負けたら負けたで、“未完成なまま”っていう今の俺たちを、ちゃんと受け止めるべきだとも思ってます」
玲央が、少しだけ目を見開いた。
「……なんかさ」
「はい」
「ほんとずるい。君」
「なんでですか」
「そうやって、勝ちたい気持ちも負けてもいい覚悟も両方抱えてるの。ずるい」
「お互い様って言ったの玲央先輩ですよ」
「……そうだった」
玲央は、くすっと笑った。
「じゃあさ」
手を差し出してくる。
「勝っても負けても、“今日のステージが好き”って言えるようにしよ」
その言葉は、不思議とすっと胸に入ってきた。
「はい」
手を握る。
「“玲央先輩の中の一番”更新できるくらいには、がんばります」
「こっちも、“真の中の一番”狙いに行く」
そんな約束を交わしたところで、アナウンスが聞こえた。
『続いてのステージは――私立マスラオ高等学校・女装科のみなさんです!』
客席から、拍手。
ペンライトが揺れる。
さあ、行こう。
◇ ◇ ◇
ステージに出た瞬間。
眩しいライトと、観客のざわめきが、全身を包んだ。
マイクを握る。
センター位置。
左隣には、今度こそ、玲央。
「マスラオ高校・女装科です!」
俺の声が、ホールに響く。
「“スカートで男道”しに来ました!」
客席から笑いが起きた。
「一曲目、『マスラオ・クロスオーバー』!」
イントロが流れ出す。
足が、自然に動く。
午前の武道場で刻んだ足さばきが、午後のステージで生きる。
声が、勝手に乗る。
二曲目、三曲目。
曲間のMCで、マスラオ高校のこと、女装科のこと、真・マスラオコンテストのことを話した。
「男らしさって言葉、正直めんどくさいなって思うときもあります」
客席のあちこちから、「わかる」の空気が流れる。
「でも、怖いことから逃げないっていう意味なら、俺、今日めちゃくちゃ男らしいと思います」
笑いと拍手が混ざる。
「スカートはいて、こんなでかいステージで、それでも“楽しい”って言える自分でいられるから」
玲央が、横でマイクを取る。
「僕も、ずっと“ブランドの顔”としての可愛さを求められてきたけど」
声のトーンは、いつもより少しだけ低い。
「今は、“自分で選んだ可愛さ”でここに立ててます。……それを見せに来ました」
その一言に、客席から大きな拍手が起きた。
◇ ◇ ◇
そして、問題の曲。
「三曲目、『二人で全部――未完成のまま』」
イントロが流れる。
今度は、ちゃんと玲央の声から始まった。
> ずっと誰かの“顔”でいた
> 名前より先にブランドが来る
玲央の声は、やっぱり綺麗だった。
透明で、少し切なくて、でも芯が強い。
続いて、俺のパート。
> 泣かないことが正解で
> 強さだけを演じてた僕
二人で顔を見合わせる。
サビ。
> 二人で全部 持ち寄って
> 強さも弱さも 混ぜ合わせて
> 未完成のまま ステージに立つ
> それを“マスラオ”と呼んでみたい
マスラオ、の部分。
客席から、「おおっ」という声が上がる。
本番ギリギリで歌詞を変えたのだ。
“男らしい”から、“マスラオ”へ。
男か女かじゃなくて。
“らしさ”じゃなくて。
ただの固有名詞で、俺たちを呼びたいから。
「いい?」
リハのときに、玲央が聞いてきた。
「“男らしい”って言葉、嫌いじゃないけど。ここは、“マスラオ”って言いたい」
俺は、即答した。
「いいと思います。ていうか、好き」
そのやり取りごと、歌に乗せる。
ラストのフレーズ。
> 未完成のまま 笑っていたい
俺と玲央、二人でハモる。
歌い終わった瞬間。
拡散するように広がる拍手。
◇ ◇ ◇
ラストはもちろん、『スカートで男道』。
会場は、すでに「マスラオ!」「らしさー!!」コールを覚えてくれていた。
ジャンプするたびに、スカートが舞う。
汗が飛ぶ。
声が枯れそうになる。
でも、それでも楽しくて仕方なかった。
最後の最後、サビのキメで、俺たちは同時に叫んだ。
「未完成上等!!」
観客も、一緒に叫んだ。
「未完成上等!!」
その瞬間、会場全体が一つになった気がした。
ライトが落ちる。
ステージが終わる。
でも、心の中の熱は、しばらく落ちそうもなかった。
◇ ◇ ◇
結果発表は、その日の夕方だった。
第3ホールに、各校の代表が集められる。
審査員席には、文化庁だの外務省だの、やたら肩書きの長い人たちが並んでいた。
「では、“ソフトパワー・ジェンダーパフォーマンス部門”最優秀賞の発表です」
司会者が、封筒を開ける。
ドキドキする。
隣で、玲央も静かに息を詰めている。
「最優秀賞は――」
間。
「関西芸術総合学園・ジェンダーミックスパフォーマンス部のみなさんです!」
歓声。
拍手。
ステージ上で、彼らが抱き合って喜んでいる。
知っている。
あの完成度なら、文句のつけようがない。
「……負けたな」
隼人が、ぽつりと言った。
「うん」
不思議と、悔しさで潰れそうにはならなかった。
もちろん、全く悔しくないわけじゃない。
でも、それ以上に――妙な納得感があった。
「続いて、優秀賞の発表です」
司会者が、次の封筒を開ける。
「優秀賞は――私立マスラオ高等学校・女装科のみなさん!」
「お」
思わず声が漏れた。
客席から、拍手。
女装科メンバーが、「やった!」と小さく歓声を上げる。
ステージに上がると、賞状とトロフィーが渡された。
「最優秀賞ではないが、審査員からの評価は非常に高かった」と、司会者が説明する。
「“未完成上等”というメッセージが、ソフトパワーの本質をよく表しているとのことです」
会場から、笑いと拍手。
「“完成されたブランド”だけが価値ではない。未完成のまま模索することこそ、文化の力だと。――おめでとうございます」
その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。
「優秀賞、か」
控え室に戻る途中、玲央が呟いた。
「はい」
「真は、どう?」
「どう、とは?」
「“優勝じゃない”ことについて」
少し考える。
「……悔しいです」
正直に言う。
「でも、“優勝しなかった今日のステージ”も、ちゃんと好きだって言えると思います」
玲央が、目を丸くする。
「それってさ」
「はい」
「なんかもう、答え出てるじゃん」
玲央は、笑いながら俺の肩を小突いた。
「“勝っても負けても今日のステージが好きって言えるようにしよ”って言ったの、覚えてる?」
「はい」
「あれ、達成してる」
「……はい」
言われて初めて、自分の中にあったモヤモヤが、するっと形になった気がした。
「達成しましたね」
「うん。“未完成のまま”だけどね」
玲央は、くすっと笑う。
「でもそこが、僕たちらしい」
◇ ◇ ◇
その日の夜。
フェスティバルの打ち上げ会場は、コンベンションセンター横の大きなホールだった。
各校の生徒が、軽食をつまみながら、ステージの映像ダイジェストを見ている。
俺は、少し人の少ないテラスに出て、夜風に当たっていた。
スカートの裾が、ふわりと揺れる。
遠くに、街の灯り。
「真」
背後から、聞き慣れた声がした。
「ここにいたんだ」
「玲央先輩」
隣に並ぶ。
しばらく、無言で夜景を眺めた。
「……なんというか」
口を開く。
「優勝トロフィーなくても、十分重い一日だったなって思います」
「うん」
「父さんも会長さんも、評価してくれて。全国のいろんな学校のステージも見て。優秀賞もらって」
「うん」
「でも、一番重かったのは」
スカートの裾を、軽く摘む。
「“ここに立ってよかった”って、自分で思えてることかなって」
玲央が、少しだけ微笑む。
「それ、すごく大事」
「玲央先輩は?」
「うん?」
「今日、自分で選んだステージに立ってみて。どうでした?」
玲央は、少しだけ考えるように目を閉じた。
「……すごく、怖かった」
「怖かった?」
「うん。“朱雀院ブランドの顔”じゃなくて、“ただの高校生の玲央”として見られるの」
夜風が、玲央の前髪を揺らした。
「でも、その怖さが、ちょっとだけ気持ちよかった」
「わかります」
「真も?」
「はい。怖いけど楽しい、って顔してたって、隼人にも言われました」
「ふふ。じゃあ、同じ顔だったのかもね、僕たち」
玲央は、真面目な顔で続けた。
「今日さ。ステージの途中で、ちょっとだけ“あ、この人とだったら、どこまででもいけるかも”って思った」
心臓が、軽く飛び跳ねた。
「どこまでって」
「まだわかんない」
玲央は、肩をすくめる。
「全国の先かもしれないし。海外かもしれないし。もっと違うステージかもしれないし」
「うわ、スケール大きく出た」
「でもその前に」
玲央は、スカートの裾を軽く揺らした。
「まずは、“マスラオ高校・女装科の一年分”をちゃんと走り切りたい。真と一緒に」
胸の奥が、また熱くなる。
「……じゃあ」
「うん」
「俺も、ちゃんとここから、玲央と“付き合う前の二年間”を走る覚悟します」
「付き合う前の二年間」
「なんか、今もうほぼそうなってますけど」
自分で言って、ちょっと照れる。
「“玲央先輩の中の一番”条件、早く達成できるように」
玲央が、少しだけ目を丸くした。
「……ねえ真」
「はい」
「ほんとはさ」
玲央は、夜景から目を逸らして、まっすぐに俺を見る。
「今日のステージで、半分くらい達成してた」
「え」
「“僕の中の一番”」
呼吸が、止まりそうになる。
「でも、残り半分は」
玲央は、いたずらっぽく笑った。
「これからの二年で埋めてよ」
「……なるほど」
「条件は、まだ条件のまま」
「でも、“ほぼ合格ライン”ってことですか?」
「そうかも」
そんなふうに笑いながら、玲央はふと真顔になった。
「ねえ、真」
「はい」
「恋人になってからも、きっと迷うと思うんだよ。仕事とか、家のこととか、自分の“らしさ”とか」
その言い方が、やけに自然で。
俺の中で何かが、さらっと確信に変わっていく。
「でも、そのときもさ」
玲央は、少しだけ照れたように笑う。
「“未完成上等”って言いながら、一緒に迷ってくれる?」
「……もちろんです」
即答だった。
「たぶん、俺のほうが迷う回数多いと思いますけど」
「それはそれで、面白そう」
二人で笑う。
◇ ◇ ◇
夜風が、少し冷たくなってきた。
スカートの裾を押さえる。
俺は、ふと空を見上げた。
この世界のどこかで、政治家たちが国の未来を語っている。
この世界のどこかで、ブランド会議が次のコレクションを決めている。
そのどれもが、俺の人生と、少しずつ繋がっている。
でも。
ここでスカートをひるがえしているこの瞬間は、俺だけのものだ。
「真」
「はい」
「そろそろ戻ろっか。打ち上げ、デザートビュッフェあるらしいよ」
「行きます」
食べ物の話になると、即答してしまうのは、昔から変わらない。
「真のそういうとこも、好き」
「どこまで“好きポイント”に加算されるんですか、それ」
「全部」
「全部は盛りすぎですよ」
笑いながら、テラスを後にする。
ガラスの向こうでは、各校の生徒が、スクリーンに映る自分たちの姿を見て笑っていた。
俺たちも、その中の一つだ。
優勝はしなかった。
でも、負けたとも思っていない。
――だって、まだ終わっていないから。
マスラオ高校で過ごす時間は、ここから二年分も残っている。
俺の男道も、玲央との距離も、父さんとのやりとりも、きっとまだまだ面倒くさくて楽しい。
未完成上等。
スカートで男道。
らしさは、これから何度でも更新していけばいい。
そう思いながら、俺はもう一度だけテラスを振り返った。
夜景に向かって、小さく拳を握る。
「――よし」
次のカーブが、どんな形をしていようと。
俺は、きっとまたスカートで走り出す。
それが、きっと。
俺なりの、“マスラオ高等学校・女装科”の男道だから。
(完)




