第六十二話: 誰も見なかった日
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
その笑顔を遠目で見た時、俺の気持ちは余計に分からなくなった。
痛みや孤独、絶望さえ消えて、静かに微笑む姿。
その笑顔を前にして、俺は何を思えばいいのか、どう反応すればいいのか、わからなくなった。
ただ、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚だけが残った。
放心状態のまま、俺は車に乗り込み、ピエロの館へ戻った。
請負人が何かを話していたのだろう、館の前で指をさして言葉を発していた。
だが俺には耳に入らず、視界の端で揺れる影のようにしか捉えられなかった。
その日は、一日中、何もしたくなかった。
朝の光も、昼の騒音も、夕暮れの街路も、すべて遠くに感じられた。
食欲も湧かず、水だけで過ぎていく時間をやり過ごした。
夜になっても眠気はなかった。布団に横になっても、意識だけが宙を漂うようで、身体は冷たく、重く、動かす気力がなかった。
しかし、時間は進んでいく。体は空腹を訴えた。だから、スマホでとりあえず、味噌汁を作る事にした。
あれから何日たったのだろう。未だに傷は癒えない。
数日後、請負人は現れた。
請負人は淡々と口を開いた。
「菜穂の件、ニュースにはなりませんでした」
その一言が、俺の心に妙な虚しさを残す。
“よくある転落事故”として処理されたのだという。
未成年の自殺は、報道されることがほとんどない。
学校でも家庭でも、誰もが目を背け、行政が淡々と処理するだけの“事件”として扱われる。
彼女の存在も、悩みも、痛みも——消えた。
残ったのは、俺の胸の中の、取り返しのつかない静けさだけだった。
「そして、空き巣は海外の極貧層の犯行グループだったそうです」
請負人は続ける。
「逮捕され、犯行の全貌も明らかになりました」
その一つ一つが、現実の悲惨さを無言で物語っていた。
さらに続けて、三浦さん一家のご遺体の扱いについても言及された。
「自治体で保管されることになりました。身寄りがいない場合、火葬も納骨も行政が行います」
簡素な手続きで、祭壇も通夜もなく、誰にも見送られず、合同の納骨堂に安置される。
俺の頭の中で、菜穂の微笑みと、誰にも見送られない静かな火葬の映像が交錯した。
その差異に、胸が苦しく締め付けられる。
しばらく無言のまま沈んでいた俺に、請負人が声をかける。
「行きますよ、次の依頼人のもとへと」
その声は冷静だが、どこか揺るがない決意を感じさせた。
「は、あんたいつの間に…」
俺は思わず口を挟む。
請負人は、既に俺より一歩先に動いているように見えた。
手元のスマートデバイスをちらりと示し、静かに言う。
「昨日Yから例のサイトにアクセスした人物がいたのでね。私であれば、情報収集くらい一日あればお釣りが来ます。」
その言葉を聞くと、俺の心は少しだけざわついた。
俺はまだ、菜穂の死を受け止めきれていないのに、もう次の依頼に目を向ける請負人の存在が、理解も共感もできない一線として胸に迫る。
車の窓の外を見ても、街は何も変わらず流れている。
人々は笑い、走り、日常を送っている。
だが、その日常と俺たちの世界には、深く隔たった溝があるように思えた。
誰も知らない悲劇を背負い、誰も気づかない痛みを抱えている——その現実を、請負人は冷静に見据えている。
そして俺は、その冷たさに心を揺さぶられながら、ただ助手席に座り続けるしかなかった。
次の依頼。
その言葉が、遠くで鐘のように鳴る。
胸の奥で、菜穂の笑顔がまだ揺れている。
俺は、あの日の彼女を思いながら、車のエンジンをかける。
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:11月16日 14時,18時,22時(社会情勢によって変動。)
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