第四十九話: 終わりと始まり
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
私はうつむき、深く息を吸った。
リビングの窓の外では、朝刊配達のバイクの音が遠くで響いていた。
時計の針は、午前四時を指している。
もうすぐ朝が来る。
それでも――少しだけ目を閉じていよう。
痺れで目が覚めた。
「全身がしびれている。息を吸う事もできないくらいに、なんだ金縛りか?」
漢方茶のカラのペットボトルを机に置き、私は静かに再びまぶたを下ろした。
今日も自分の頑張りで何かが変わるように。そして家族の笑顔のため働こう。
翌朝:
「じゃあ行ってきます。今日ペットボトルのごみの日だよね。ついでに出してくるから。車借りるね。」
私は車の後部座席にペットボルのごみ袋を入れ会社へと向かった。
会社に向かう途中、
「車の振動で眠気が・・・は」
居眠り運転でガードレールに衝突した。
車は横転し、三浦は意識不明の重体に。
だが、その事故は“労災”ではなく、“本人の不注意による交通事故”として処理された。
会社は、「彼は仕事を終えて帰宅中だった」「勤務時間外だ」と言い張り、責任を逃れる。
だが三浦の同僚・木下は知っていた。あの夜、三浦は上司に「納期が間に合わない」と詰められ、徹夜で資料を直していたことを。
救急車のサイレンが町に響き渡る。
「騒がしいな。一体なんなんだ。」
「事故を起こしたらしいですよ。あかしさん」
手のひらに残る缶コーヒーの冷たさが、まだ残っている気がした。
あの夜も同じ冷たさだった――三浦が自販機の前で、最後に感じていた“生の温度”。
青年の足元で、空き缶が転がった。
背後から、静かな声がした。
「三浦さんは、すでに限界でした。
“下がり幅が深い”ということは、“上がり幅に登るまでに相当な時間を要する”ということです。」
青年は振り返った。
そこにいたのは、あの夜と同じ清掃員の姿をした“おばあさん”。
「……何で言わなかったんだ? あの人が死ぬかもしれないって、分かってたんだろ。」
「私はただ、お客様の気持ちに寄り添っただけのことです。」
「寄り添うって、それで死んだら意味ないだろ!」
青年の声が震えた。
青年は黙ってうなずいた。
窓の外では、夜が明け始めていた。
灰色の空に差し込む光が、彼の頬を照らす。
そして、彼の新しい日が静かに始まった。
――あの時、何か言えたはずだった。
「無理するな」とか、「少し休んでから帰れ」と。
けれど、あのときの三浦の顔を思い出すと、何も言えなかった。
疲れ切って、もう何も届かないような目をしていたから。
(……あれが、限界の顔だったんだ。)
青年は拳を握った。
事故を止めることはできなかった。そんなの誰にも無理だ。
それでも、心のどこかで“防げたかもしれない”という思いが離れなかった。
――自分が、見て見ぬふりをしなければ。
――自分が、あのときもう一歩踏み出していたら。
三浦の死を悼むよりも前に、そんな“もしも”ばかりが脳裏をよぎる。
彼は、死ぬほど孤独だった。
そして、自分もまた、同じ孤独の中にいた。
「……なあ、請負人。」
青年は夜の街を見上げ、呟いた。
「人は、死にたい時に、誰かに止めてほしいって思うもんなんだな。」
おばあさん――自殺請負人は、少しの間だけ目を閉じた。
「止めることと、寄り添うことは違いますよ。彼は、寄り添ってほしかったんです。」
青年は答えなかった。
ただ、夜風の中で、三浦の最後の笑顔を思い出していた。
あの笑顔が、どこか“安堵”に見えたのは、自分の気のせいだろうか。
おばあさんは首を横に振る。
「あなたはまだ“生”しか見ていない。
でも、私の仕事は“死”を引き受けることです。
その境界に立つと、人間の本音が見えるんですよ。」
青年は拳を握りしめた。
「……俺は知りたい。
どうして人は死にたがるのか。
どうして、誰も止められないのか。
そして――どうして、あんなにも穏やかな顔で逝けるのか。」
おばあさんは、しばらく沈黙した後、目を細めた。
「あなた、面白い子ですね。
“止めたい”と言いながら、“理解したい”とも言っている。
その矛盾を抱えたまま生きられる人は、そう多くありません。」
「……俺、自分の記憶が曖昧なんです。
何も思い出せない。だからこそ――知りたいんです。命の重さを。」
おばあさんは、ゆっくりと微笑んだ。
「いいでしょう。
あなたが“命を理解する”覚悟を持つなら――今日から私の弟子にしてあげます。」
青年は息を呑んだ。
その瞬間、空気が張りつめる。
「……弟子、ですか?」
「ええ。あなたの目で見て、あなたの手で感じなさい。
“人の死”という現実を。
――それが、あなたの記憶を取り戻す鍵になるはずです。」
風が吹く。おばあさんの帽子が揺れた。
「……いいでしょう。今日から、あなたは弟子です。」
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:10月26日 10時,14時,18時,22時(社会情勢によって変動。)




