第四十八話: 屋上の決断
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
「私は三浦さんという方に聞きに来たんです。いきたいかと?」
「どうなんですか三浦さん?」
「生きようとしてるからここに立ってる。そうだよね三浦さん。」
「ていうか、あんた何者なんだ?ただのおばあさんじゃないだろ?」
「私は自殺請負人、今はおばあさんの姿とでもしておきましょう。」
青年は目を見開いている。
「っは、」
「さ、三浦さんにどうしますか?」
「依頼内容、“事故に見せかけた死”。
目的は、保険金の受取ですね?」
三浦はうなずいた。
声はかすれていたが、迷いはなかった。
「どれだけ頑張っても怒鳴られて、誰も認めてくれない。
辞めたら逃げたって言われる。家族には言えない。
……生きてる意味が、もうわからないんです。」
「娘の学費を残したいんです。
もう、私が生きてる意味は……それしかない。」
「・・・でも辞めます。」
おばあさんは頷く。表情は何の感情も宿していない。
ただ、淡々と、業務をこなすように。
「そうですか。」
「下がり幅が深いほど、その分上がり幅も広いと思うんです。だから今は下がっているけど、その分この後上がるっていうことだから、それまで頑張ります。」
三浦はうなずいた。
けれど、その声は少し震えていた。
風が吹き抜け、スーツの裾が揺れる。
沈黙のあと、三浦はゆっくりと携帯を取り出した。
ロック画面には、娘が笑う写真。
――この笑顔を、もう一度見たい。
おばあさんはゆっくり目を細めた。
まるで、何百回も同じ言葉を聞いてきたように。
「分かりました。三浦さんの判断を信じましょう。」
そういうと、おばあさんは清掃道具の整理をし始めた。
「あかしさんも心配してきてくれてありがとう。もう大丈夫だから」
「じゃあ、応援してます。お元気で。」
清掃員の格好をしたおばあさん――自殺請負人が、静かに言葉を残した。
「分かりました。三浦さんの判断を信じましょう。」
その声には、何の感情も宿っていないようでいて、どこか“見送る人”の優しさがあった。
彼女はゆっくりとモップを片づけ、屋上の出入り口へと歩き出す。
青年――あかしは、その背中を無意識に目で追っていた。
彼女が立ち去った後も、心の中に奇妙なざわめきが残っていた。
(……あの人、何者なんだ?)
普通の清掃員じゃない。
ただの相談員でもない。
“死を請け負う”なんて、どういう意味だ。
ビル清掃のスタッフ名札のようだが、どこの会社名もない。
彼はそれを拾い上げ、しばらく指先でなぞった。
どこか冷たい金属の感触が、心に引っかかった。
「……なんで、あんなに落ち着いていられたんだろう。」
あの老婆の目には、“死”を前にしても揺るがない何かがあった。
まるで、生と死の境を何度も見てきた人間のような。
あかしは、三浦の姿を一度振り返った。
屋上の縁に立つ男の背中が、夜風に揺れていた。
声をかけようとして、結局何も言えなかった。
何を言っても、あの人には届かない気がした。
(……この世界には、俺の知らない“死の仕事”があるのかもしれない。)
そう思った瞬間、彼の中で何かが動いた。
あの老婆の正体を確かめたい。
自殺請負人という存在を、自分の目で見たい。
気がつくと、あかしは屋上を降り、ビルの裏口へと走っていた。
通りの向こうに、清掃員の格好をした老婆が、小さなワゴンを押して歩いている。
あかしは距離をとりながら、その後を追った。
老婆は途中で何度か振り返ったが、表情を変えずに歩き続ける。
やがて人気のない路地裏に入ると、足を止め、静かに言った。
「――ついてきたんですね。」
その声は低く、どこか見透かすようだった。
あかしは言葉を詰まらせたが、やがて正直に答えた。
「あなたのことを、知りたいと思いました。」
老婆は短くため息をつくと、ゆっくり振り返る。
「“知りたい”というのは、覚悟の言葉です。
人の“死”に関わる世界は、覗いたらもう戻れませんよ。」
「それでも構いません。……誰かが死ぬ理由を、知りたいんです。」
老婆は少しだけ目を細めた。
「ならば、私のあとをついてきなさい。
あなたがその覚悟を保てるか、試してみましょう。」
夜風が吹き抜ける路地で、二人の影が並んで歩き出した。
その先に待つのが“死”か“救い”か――青年には、まだ分からなかった。
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:10月19日 22時(社会情勢によって変動。)




