第四十四話:朝と缶ジュースの冷たさ
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
朝の空気はまだ冷たく、街の通りには新聞配達のバイクの音が響いていた。
眠気と倦怠を引きずりながら、私はいつもの道を歩いて会社へ向かう。
足元のアスファルトには、昨夜の雨の名残が薄く光っている。
信号待ちの間、ふと空を見上げる。灰色の雲の隙間から光がのぞく。
昔はこういう景色に、少しだけ救われる気がした。
今は違う。何を見ても、心は動かない。
体が自動で動いているだけだ。誰かの期待、会社の都合、家庭のため――
それが自分を形づくるすべてになっていた。
「今日も無事に終わればいい」――そんな希望すら、すぐにかき消される。
会社では、上司の指示や同僚の雑談に耳を傾けるが、頭には何も残らない。
机に積まれた資料、画面の数字、終わりの見えない仕事の繰り返し。
その重さに、体も心も押しつぶされそうになる。
指先に軽く力を入れ、握った缶ジュースの冷たさを感じる。
それでも、胸の奥の鈍い痛みが消えることはない。
時折、こんな毎日から逃げ出したい、もう消えてしまいたいという思いが、ほんの一瞬、頭をよぎる。
だが、考えるだけで自分の無力さがさらに胸を締め付ける。
途中、缶ジュースを握った右手に微かな痛みを感じる。
昨夜、あの屋上で感じた風と青年の顔が、ふと脳裏をよぎった。
何を言っていたのか正確には聞こえなかった。
けれど――あの表情は、「まだ終わってない」と訴えているように見えた。
会社のビルが見えてくる。
無機質な外壁が朝日に照らされ、白く輝いている。
いつもなら重く感じるその姿が、今日は少しだけ違って見えた。
まだ仕事は山ほどある。上司の顔を思い出すだけで胃がきしむ。
それでも、ほんの少しだけ息がしやすい気がした。
自動ドアをくぐると、早出の同僚が振り返った。
「おはようございます、三浦さん。昨日、遅くまで残ってたんですか?」
「まあ……ちょっとね。」
そう答えて、自席に向かう。
机の上には、昨夜修正した資料の束。
赤ペンの「やり直し」は、まだ目に残っている。
それでも、指先が少しだけ軽く感じられた。
昼休み、外の自販機の前で立ち止まる。
同じ銘柄の缶ジュースが並んでいた。
無意識に100円玉を入れ、ボタンを押す。
プシュッと音を立てて出てきた缶を手に取ると、ほんの少し温かい気がした。
けれど、それを感じる自分の指先が、どこか遠くのもののように思える。
その日の夜も、会社を出たのは日付が変わる少し前だった。
「あ、貴方はあの時の青年」
「どうも、俺あかしと言います。順調そうですね。安心しました。今日はテッペンの前に帰れて」
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:10月12日 22時(社会情勢によって変動。)




