第四十三話:街を見下ろす父
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
真っ黒な夜の中、ひときわ目立つ白いオフィスビルがそびえている。その姿は、まるで街を見張る監視塔のようだった。窓の奥で無機質な蛍光灯が静かに瞬いている。
私の名前は――三浦誠。
手には、上司から返された資料と、「やり直し」と赤字で書かれたメモ。
頭の奥はずっと痛く、胃も焼けるように熱い。体のあちこちも張りつめている。
帰宅すれば、妻と小学生の娘が眠っている。
家のローンは三十五年。ボーナス払いもある。
妻はパートを辞め、娘の学費を貯めるのが精一杯だ。
「会社を辞めればいい」と友人に言われたこともある。
だが、辞めればすべてが崩れる。
世間の視線、家族の生活、そして“自分の居場所”。
私は気分転換にビルの屋上に立った。
「……ちょっとだけ、気分転換だ」
無意識に一歩を踏み出す。小さな段差に足をかけたまま、景色に見入っていた。
気づけば、フェンスの外――ほんの数十センチの幅に立っていた。
風がビルの隙間を抜け、服の裾を揺らす。
視界に広がる街の光が、まるで自分を押し出すようにざわめいている。
つい今までの疲れや苛立ちを忘れ、ただ景色を眺めたかっただけだった。
だが、この数秒の“好奇心”は悪い気がしなかった。
「このまま、楽になれたら……ダメだ……まだだ」
下を見ると、青年が必死な表情で何かを呼びかけている。声は聞こえない。
「……」
私は青年を見て、フェンスの中に戻った。そしてしばらくしてから降りてきた。
片手には、缶ジュースを持っている。
「さっきはありがとう」
「あ、どうも。それより、少し休んでも」
「ダメだ。娘のためにも、まだ働かないと。稼がないと」
「そうですか。今日はこの後どうするんですか?」
「会社に戻るよ。まだ、仕事が残っている。気分転換に外に出ただけだから」
俺の顔を見るなり、彼は言った。
「大丈夫です。ラストスパートだから」
「そうじゃなくて」
「あ、もう大丈夫ですよ」
そして、私は会社に戻った。
その後、街の夜道を歩いて家に向かう。時計はすでに午前三時を指していた。
静まり返った住宅街。遠くで犬の鳴き声が響く。
鍵を開け、寝静まった家に足を踏み入れる。
リビングの電気は控えめに点け、妻と娘の寝顔を確かめる。
深く息を吐き、ソファに腰を下ろすと、疲れと緊張が一気に押し寄せた。
ふとキッチンを見ると、片付けきれなかった洗い物や、明日分の弁当箱が残っている。
娘の学校のプリントも散らばり、妻が急いで家事をこなしている姿が目に浮かぶ。
手元にある缶ジュースを飲みながら、深くため息をつく。
「もう少し休めばいいのに……」
小さな声で自分に言い聞かせる。
でも、三時間後には再び起きなければならない。朝六時、まだ薄暗い中で家を出て、会社へ向かうのだ。
出勤前に娘の寝顔をもう一度確認する。
小さな手が掛け布団に隠れ、微かに口をもぐもぐ動かす。
安心と同時に胸が痛む。ほんの少しだけ、安らぎが心を満たす。
しかし、休息は長く続かない。
わずか三時間後の六時、私は再びスーツに袖を通し、出社のため家を出た。
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:10月12日 18時,22時(社会情勢によって変動。)
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