第二十九話:協力医 晴沢 漱石の憂鬱な休日
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
赤林町バザー初日まで数時間前:
車を走らせていると、ちょうど赤信号に差し掛かった。日差しがフロントガラスをぼんやりと照らしている。ふと、開けていた窓から何気なく耳を澄ませると、道端で立ち話をしている二人の若い男の声が聞こえた。
「昨日テレビで都市伝説の特集やってたんだよ。自殺請負人とか口裂け女とかさ。ああいうの、実際にいたりしないのかな?」
「いやいや、ないない。ただの作り話に決まってるでしょ。俺はむしろ、どこかの孤島で権力者が人間を奴隷にしてるとか、そっちのほうが現実味ある気がする」
「それは一番ないだろ?」
くだらない会話だ。しかし、妙に耳に残る。
都市伝説。人はそういうものに惹かれる。見えないものに怯えたり、想像を膨らませたり。滑稽だが、興味を持つ気持ちは分からなくもない。
名前は晴沢玄。表向きは町の小さな医院で診療を行う内科医。
地方で開業していた診療所をそのまま引き継いだ。医学は独学で身につけた「話しやすい先生」として地域の信頼を得ている。
今日は往診の予定もなく、町内のバザーに顔をみせるつもりだった。必要とされる存在であること。人となりを認識されること。そうすることで、人は疑念を持たなくなる。
Yでサーチをしていると#自殺請負人は「天使のような存在ですね」と書かれていたこともあるが、私は悪魔に近いと感じる。代償を支払わなかったり、願いだけを叶えて生き延びようとする依頼人には、容赦しない。悪魔と取引することと同義だと考えている。
この仕事をしていると、命とは何か、死とは何かを、嫌というほど考えさせられる。希望と絶望の境界に立ち、静かに微笑む自分の顔を、鏡越しに見るのももう慣れた。
「死にたい」という声は、案外身近に潜んでいる。人は誰しも、心に闇を抱えて生きている。多くはそれを隠し、見て見ぬふりをしてやり過ごす。だがある日突然、限界を迎える。崩れた心はもう戻らない。
そんなことを考えていた、まさにその時だった。信号が青になった。
「やっとか」と私は独りごと、前方に視線をやった。
さっきまで横で都市伝説について談笑していた若者二人は、もうだいぶ先の歩道付近まで歩いていた。無防備に笑い合いながら、赤信号の横断歩道の手前で足を止めている。
私はアクセルに足をかけようとしたが——その瞬間、前の車が唐突に猛スピードで発進した。
異常な加速だった。エンジン音がけたたましく唸り、車体は左右に大きく揺れながら蛇行していた。
「……酔ってるな」
すぐに分かった。アクセルの踏み込み方が粗く、ハンドル操作も雑だ。こういう挙動は、昔何度も見たことがある。自暴自棄か、あるいはアルコールによる意識低下。
昼間から酒を入れて、ハンドルを握る人間がいなくなるほどこの国は綺麗じゃない。
前の車はふらつきながら、一つ目の交差点を無理やり突っ切る。赤信号を無視したのは明らかだった。対向車が急ブレーキをかけ、クラクションが鳴り響いたが、運転手は構う様子もない。
そして——それは、二つ目の横断歩道で起きた。
歩道手前で立ち止まっていたはずの二人の若者。あの車は赤信号のまま突っ込んでいった。
ブレーキの音はなかった。
ハンドルを切る素振りもなかった。
ただ一直線に、車は歩道を越え、路肩のガードレールにそのまま激突した。
読んでくださり、ありがとうございます。
重いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はまだ続いていきます。
彼らの心の揺れ動きや選択を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
一歩ずつ前に進む姿を一緒に感じていただければ幸いです。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
次回更新日:9月21日(日)10時、14時、18時、22時 4話更新。 (社会情勢によって変更)
次回予告:彼らの生死はどうなる? 残り話数(バザー編完結まで):12話。現在:8/20




