第二十三話:執着
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
私は痴漢の汚名を着せられ、すべてを失った。
職も名誉も、そして長年築き上げてきた信頼も、一瞬で崩れ去った。
誰からも信じられず、罵声を浴びせられ、ただ腐り落ちていくだけの存在に成り果てた。
居場所をなくした私は、家を出て路上をさまよううちに、いつしかホームレスになっていた。
最初の数日は、奇妙な解放感すらあった。
制服も階級もなく、肩書きに縛られず、ただ一人で風に吹かれる自由。
朝は好きな時間に目を覚まし、誰からも命令されることはない。
その不自由さえ自由に思えた。
だが日が経つにつれ、それは自由ではなく、果てしない虚無へと変わっていった。
年が改まるたびに、かつて共に笑い合った仲間や家族の顔を思い出す。
正月に囲んだ鍋の湯気、酒に酔って肩を組んだ仲間の笑い声。
もう戻らない時間を思い出すたびに、胸の奥に冷たい穴が広がっていった。
その日を生き延びればいい。食べ物を見つければ腹は満ちる。
少しの小銭を稼ぎ、寒さに震えながら、時には段ボールの下で夜を越す。
それでも、「まだ生きている」と実感できる瞬間は確かにあった。
けれど気づけば、いつも数年前の思い出に縋っていた。
辛くもあり、誇らしくもあった自衛隊での日々を――。
そして今の私は、路上で凍え、空腹に耐えるしかない敗北者だ。
任務の中で、私は何度も「死の瀬戸際」に立たされた人々を見た。
瓦礫の下で身動きの取れない兵士が、血に濡れた口で「殺してくれ」と懇願する姿。
内臓を押さえながら、それでも子どもの名を呼び続ける父親。
嵐の海で漂流し、意識を失いかけながら救命胴衣にしがみつく漁師。
焦げたパンの欠片を分け合い、泣きじゃくる子を抱きながら夜を越える母親。
全てを失い、血にまみれてもなお、わずかな水を求めて這う人々。
津波で家を失いながらも、「生き残っただけで幸運だ」と震える声で語った老人。
彼らの瞳には、絶望と同時に、確かな「生への執着」が宿っていた。
命が細い糸一本で繋がれているような状況であっても、彼らはその糸を決して手放そうとはしなかった。
――生きたい者は生きようともがき、死にたい者は死に追われてもなお、生に囚われ続ける。
その矛盾が、今の私を苛み続けている。
路上で空腹に震えるたび、あの光景がまざまざと蘇り、問いかけてくる。
――俺はなぜ、まだ生きているのだろう。
死を見つめ、死と隣り合わせで働き、死者に祈りを捧げてきたこの私が――何のために生きているのか。
答えは、どこにもなかった。
――もう、これ以上は耐えられない。
そして、バザーが始まる数か月前の冬。
私は決意した。自ら命を絶つことを。
月明かりの下、草むらを踏みしめながら、最後の場所を探す。
凍える空気を吸い込むたびに肺が痛み、吐く息は白く夜に溶けていく。
ロープを手に、人目のない小さな河川敷へ向かう。
静寂の中で、自分の心臓の鼓動だけが耳に響いていた。
遠くで犬の吠える声や、風に揺れる枯れ枝の音すら、やけに鮮明に聞こえる。
――ようやく、すべてを終わらせられる。
その瞬間を思うだけで、不思議と心が安らいでいくのを感じた。
読んでくださり、ありがとうございます。
重いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はまだ続いていきます。
彼らの心の揺れ動きや選択を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
一歩ずつ前に進む姿を一緒に感じていただければ幸いです。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
次回更新日:9月7日(日)18時 (社会情勢によって変更)
次回予告:急展開




