第二話:落ち着かない夜
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
「……」
その場には静寂が流れていた。誰もが息を潜めているかのように。
「一つだけ、念を押しておきます」
そいつの声は落ち着いていて、どこか冷静な響きを帯びていた。
「一度契約したら、キャンセルはできません。
しかし、一度でも断れば、二度とあなたの前に姿を現すことはないでしょう。
こちらも面倒ごとには極力関わりたくないのです。さあ、どうしますか?」
俺はしばらく黙り込んだ。頭の中は混乱し、言葉がまとまらなかった。
やがて小さな声で口を開く。
「勿論、契約する。俺はもう、ずっと限界だった。
でも、決して生きたいわけじゃないんだ。
死ねなかっただけだ。テレビや新聞で、自殺した人のことを見ると、悲しみよりもその“勇気”に凄さを感じていた。
俺のことを羨ましいと思っている人がいることも分かっている。
だけど、自分の限界は、結局は自分にしか分からないんだ」
そいつは淡々と頷いた。
「では、あなたにはエンディングノートの作成と、どのような死因が望ましいかを考えてもらいます。
それと、願いを一つだけ決めておいてください。
三日後、同じ場所で金14万円を用意してお待ちしています」
俺はその言葉を聞きながら、小さく息を吐いた。
「分かりました」
そいつは無言で頷き、静かに言った。
「では、三日後に」
その言葉を最後に、俺の意識は闇に飲み込まれた。
気が付くと、自室の布団の上だった。
携帯電話のアラームが鳴り響き、眠気を振り払う。
時間は朝の6時。今日の撮影は朝8時から始まる。
俺はゆっくりと体を起こし、窓の外に目をやる。
まだ空は薄暗く、静かな街並みが広がっていた。
その日、撮影の合間を縫って、俺はエンディングノートに向き合い、自分の願いについて考え続けた。
文字に起こす作業は、どこか現実感を薄れさせ、頭の中を整理する助けとなった。
撮影の合間、俺は無心にエンディングノートのページを埋めていた。
ペンを走らせる手がふと止まる。視線の先には、ただ淡く揺れる蛍光灯の明かり。
その静寂のなかで、自然と頭に浮かんだのは清の顔だった。
幼い頃、二人で駆け回ったあの夏の日の公園。
虫かごを手にした清は、いつも俺の後ろをちょこちょこと付いてきて、はしゃいだ笑い声を響かせていた。
「兄ちゃん、今日テレビで見たよ!」
無垢な瞳でそう言った清の言葉が、今も胸の奥に突き刺さる。
当時の俺は、地方の小さな町からただ必死に這い上がろうとしていただけだった。
それでも清にとっては、憧れの“兄ちゃん”であったことが、せめてもの救いだった。
今の俺はもう、清に胸を張って見せられる存在じゃない。
だけどどこかで、何があっても守りたいと思う自分がいる。
ペンを握る手が微かに震えた。
エンディングノートに書き込む言葉が重く、そして切なく響いた。
三日後。約束の時間、同じ屋上のテラスに足を運ぶ。
あの日と変わらず、そいつはピエロの姿でそこに立っていた。
「小波さん、考えは固まりましたか?」
そいつの声はいつものように静かだが、どこか優しさが混じっていた。
俺は頷きながら答えた。
「はい。ですが、ここで話すのはどうも落ち着かない。
もしよければ、部屋で話しませんか?」
そいつは一瞬迷ったように目を細めたが、すぐに頷いた。
「もちろんです。あなたの都合に合わせましょう」
俺はそいつを部屋へ案内した。
扉を閉め、カーテンを引いて外の視線を遮る。
ここなら、誰にも邪魔されずに話ができる。
俺の胸の中には、今までにない覚悟と不安が交錯していた。
これから何が起こるのか、まだわからない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
もう後戻りはできない。
読んでくださり、ありがとうございます。
重いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はまだ続いていきます。
彼らの心の揺れ動きや選択を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
一歩ずつ前に進む姿を一緒に感じていただければ幸いです。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。