Azure Blue―回想―大学4年 学園祭後のミーティング
ライブの熱気がまだ残る音楽棟の一室。使い古されたソファと、空になった紙コップが散らばるミーティングルームには、微妙な沈黙が漂っていた。
学園祭のステージを終えたばかり。拍手も歓声も、少し前のことなのに、今は遠い過去のように感じられた。
「でさ……この先、どうする?」
実質リーダーのカズが言った。あえて明るい調子で切り出したその言葉に、誰もすぐには答えなかった。
「プロ、目指すんだよな、みんな……」
ユウスケがギターケースを抱きしめながら呟いた。けれど、その声にもどこか迷いがにじんでいた。
修司は黙っていた。返す言葉が見つからなかった。
──あかりがいない。あのステージに、彼女のキーボードはなかった。
音楽に情熱を注いできたこの数年、その中心には、いつも彼女の旋律があった。
「でもさ、あかりがいなくなった今、このままバンドとしてプロ目指すのって、正直……しんどいよな」
村上が静かに言った。誰も反論しなかった。むしろその一言に、誰かが言うのを待っていたかのようだった。
「親にも言われたんだ。もう就活しないとって」カズは頭を搔きながら、そう呟いた。
「俺、内定決まったよ。地方の広告会社だけど」ユウスケも続いた。
ひとつまたひとつ、現実が言葉になってテーブルに並べられていく。
修司は、目の前のマグカップに視線を落とした。冷めたコーヒーの中に、自分の顔がぼんやりと映っていた。
夢のために進む勇気と、現実を生きる覚悟。その狭間で揺れながら、言葉が口から出てきた。
「……俺も、就職する。音楽は、続けるけど──プロは、今じゃない気がする」
静かに、誰かが頷いた。誰かが目を伏せた。
その夜、正式に「バンドとしての活動は一区切りにする」ことが決まった。
何も壊れなかった。ただ、未来の形が少しだけ変わっただけだった。
だけどその変化が、妙に胸に重かった。
──あの夜、俺たちはそれぞれの道を選んだ。
夢を捨てたわけじゃない。ただ、夢を「いったん横に置いた」んだと、あのときはそう思っていた。
でも現実は、そう簡単じゃなかった。
大学卒業が近づく頃、仲間たちはそれぞれ就職し、バンドは“自然消滅”した。
誰も責めなかった。
誰も、無理に続けようとしなかった。
でも、心のどこかで誰もがあの時間を忘れられなかった。
そして今、10年以上の時を越えて―― “あの時の音”が、再び動き出そうとしている。
「平穏だけど満たされない現在」と、「かつて夢を追った日々」との対比を自分で浮かび上がらせていた。
オフィスのフロアには、キーボードの音も、拍手も、歓声もない。
あるのは、鳴りやまない電話と、終わらない数字と、焦りと、ため息の連鎖。
ふとパソコンのモニターに映る自分の姿に目を留める。目の下にはクマ、スーツの襟は少しくたびれていた。
「俺、あの頃から何か変われたのか?」
胸の中で、いつの間にか繰り返していたその問い。
気づけば、音楽のことを考える時間すら減っていた。
あれほど心が震えたステージの感覚さえも、記憶の奥底に沈みかけている。
けれど、ふとした拍子に、あの日の音が、胸のどこかで蘇る。
誰かが言っていた。「夢は消えるんじゃない。黙って待ってるだけだ」って。
コーヒーを飲み干し、画面に向き直る。
現実は甘くない。でも、あの頃の自分を、全部否定するにはまだ早い。
まだ、終わっていない──そんな気がした。
修司は自分の内面にある「過去と今のギャップ」と「それでも続くかすかな希望」をどこか感じていた。