Azure Blue (母の電話)―― 見えない糸の先
休日、午後3時。
趣味としてだけ残っているギターのメンテナンスを終えて、修司がコーヒーを淹れていたときだった。
スマホが震える。表示されたのは、「母(実家)」の文字。一瞬躊躇して、小さなため息をつきながら電話に出る。
「… もしもし、母さん久しぶり」
『あら、やっと出た。元気にしているの?』
電話の向こうで、母のやわらかい声が聞こえる。
小さな町の台所の音―― 水の音やお味噌汁を混ぜる音まで聞こえるような気がした。
「うん、まあ… ぼちぼち」
『ぼちぼちって、あんた、いつもそれね。こっちは変わりないわよ。あんた、ちゃんとご飯食べているの?』
「… まあ、適当に」
『適当はだめよ。あんた一人暮らし長いんだから。』
そんなやりとりが数分続いたあと、不意に母がぽつりと言った。
『ねえ、大学の友達とか会ってないの?ほら、カズ君とかあかりちゃんとか。あかりちゃんとは、最近どうしてるの?会ってないの?連絡くらいはしているの?』
―― 沈黙。コーヒーにミルクを注ぐ手が止まった。
鍋をかき混ぜるような、やわらかな時間の音が、やけに遠く感じられた。
「… いや、もう長いこと会ってないよ。」
『そうなの?あの子、優しくていい子だったのに。よく家にも来てくれていたじゃない。修司の曲、あの子が良く褒めてくれたでしょ。』
「… そうだね。」
母の言葉は、まるで時間を飛び越えて届く。
あかりと一緒に実家に帰った春の日のこと。
リビングでお茶を飲みながら、母と3 人で笑い合っていたこと。
「… でも、あかりは、もう... 」
それ以上の言葉が出てこない。
説明するには時間がかかるし、なにより、自分の中でも“あかり”はまだ整理のつかない存在だった。
『ふぅん… まあ、元気ならいいのよ。でもね、最近電話していても、たまに帰ってきても、修司ちょっとだけ元気なくなった気がするの。だから―― ごめんね、母親の勘よ。』
「… やめてよ、そういうの。」
照れくさくて笑って返したが、胸の奥がじんと熱くなっていた。
『ま、あんたのことだから、ちゃんと前向いて歩いているでしょ?』
「… うん。たぶん、今はね。」
『よし。それならいいの。仕事も頑張っているだろうだろうけど、ライブはしないの?今度、歌っているとこ見に行けたらいいなあ。』
「やだよ、恥ずかしい。」
『ふふ、でもいつか見に行くから。じゃあね、体に気をつけて。』
電話が切れたあと、リビングに静けさが戻る。
ミルクの膜が浮いたコーヒーは少し冷めていた。
さすがに母は、見抜いているなと感じた。
もう言葉にしなくても、彼女の存在がまだ自分の中で“終わっていない”ことを。
修司はふと、自分の右耳に残っているピアスに触れた。
そして、口の中でひとことだけ、つぶやいた。
「元気だよ、あかり」
彼女の残したやわらかいフレーズが、修司の想いと混ざり合い、新しい曲になっていく。