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Azure Blue ― ライブ本番開幕

 ライブハウスの小さな楽屋。壁には古いバンドのポスター、机にはペットボトルと開いたままの楽譜が散らばっている。

 さっきまで、メンバーたちの笑い声で満ちていた。カズがドラムスティックで机を叩いてリズムを刻み、ユウスケが「緊張して手が震えるわ」と言いながらお菓子を食べ、様子を見にきた仲間達が「もう、子どもみたいだな」と笑っていた。

 やがて、全員がステージ袖の確認に出ていき、楽屋に残ったのは修司ひとり。

 静寂が訪れると、心臓の音がやけに大きく響く。

 目の前の鏡に映る自分に、思わず問いかけていた。

 ―俺は、何をやってるんだろう。

 音楽を遠ざけ、仕事にしがみついて、気づけば十年。

 でも、こうしてまたギターを手にしている。

 頭に浮かぶのは、笑うあかりの横顔、学生時代の仲間たち、そして残業続きのオフィスの夜景。

 仕事も人生も中途半端で、自分には何も残っていないんじゃないか――そう思っていた日々。

 けれど、再びギターを始め、仲間と音を重ねて、ようやく気づいた。

 「……俺、やっぱり音楽が好きなんだな」

 声に出すと、不思議なほど胸の奥に光が灯った気がした。

 それは未来の答えそのものではない。けれど、確かに進む道を照らす光だった。

 ドアの外から、スタッフの声が響く。

「そろそろ転換でーす!」

 修司は立ち上がり、肩にギターをかける。

 鏡の中の自分に小さく頷き、ステージへの扉を開けた。

 眩しいライトと、期待に満ちたざわめきが一気に押し寄せる。

 ――さあ、俺たちの音を取り戻しに行こう。

「次、転換終わったらすぐ行きます!照明OK です!」

 会場の小さなライブハウス。

 キャパ50人ほどの空間に、少しずつお客さんが入り始めていた。

 3バンドの対バン形式で他の2バンドは大学時代の自分たちを重ねるような若いバンドだった。

 佐伯の計らいでありがたいことにトリを任された。数年ぶりに“音楽”の名前で集まった仲間たちは、ステージ袖で息を整えていた。

 修司は手のひらの汗をズボンに擦りつけるようにして拭き、そっとギターのストラップをかけた。

 楽屋で合わせた最終リハでは、音がうまくまとまった。

 でも、それでも心の奥がざわつくのは、彼女―― あかりがまだ現れていないからだった。   

 あかりが来るような気がしている自分がどこかにいた。

 懐かしいステージに立った。

 目の前には懐かしい顔も、まったく知らない客も混ざっている。

 ステージの照明が落ち、歓声と拍手が上がった。

 スクリーンにバンド名が映る。

 “film ”

 かつて大学時代につけた名前を、そのまま掲げた。

「こんばんは。久しぶりのステージです」

 マイクの前に立った修司は、少しだけ声を震わせたが、ギターを鳴らした瞬間、それは音に溶けた。彼女の姿を探しながら、修司は舞台に立つ。そして、仲間たちが見守る中、思いを込めた歌が鳴り響く。

 1曲目は、大学時代の代表曲『circle change』。最初はリズムも不安定で、ややぎこちなかったが、久しぶりの喜びをかみしめながら、全員が今の思いをぶつけ演奏した。

 2曲目は、メンバーそれぞれが思い出のあるthe pillowsの「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」をカバー。ここで小沢もゲストとして加わりダブルボーカルで会場を沸かせた。(それ以上に小沢はMCで盛り上げていた)

 そして、3曲目の『遠い星』でギターのユウスケがアドリブのギターソロを入れると、客席から「おぉっ」とどよめきが起きた。この頃にはメンバー全員昔の感覚を取り戻していた。暗転したスポットの中、狭いライブハウスを見まわせるくらいの余裕は生まれた。

 その中に、黒田の姿が見えた。

 職場の同僚であり、ずっと音楽をやっていたことを尊敬しても応援してくれていた後輩だ。

「やるじゃん、修司!みんな!」

 彼が親指を立てたその向こうには、大学時代のサークルのメンバー、哲也と美穂の姿もあった。

 ふたりは結婚して今は子どももいる。それでも、こうして今日のために駆けつけてくれた。

 バンド活動には熱心じゃなかったけど、サークルの飲み会には欠かさずやってきてムードメーカー的にみんなを盛り上げてくれた吉田も一緒についてきてくれている。昔のように曲を口ずさみながら。

 修司は歌いながら、客席の隅々まで視線を送る。

 彼女の姿を、探しながら。

 でも、あかりの面影はどこにも見えない。

 似た髪型の女性に目をとめるたびに、胸がざわつき、そして沈む。

 ライブは青と赤の照明のように静寂と熱狂を繰り返し、そしてクライマックスの本番へと続いていった。

 彼女は会場に来ているのか?

 そして「Azure Blue 」が始まった瞬間、何が起きるのか― 歌いながらもそんなことを考えていた。

 ステージの上。スポットライトが滲んで見えるほどの熱気の中、最後の曲の前に修司はマイクを握った。

「…えっと、今日は、ほんとにありがとう」

 客席のあちこちから拍手と歓声が返ってくる。修司は一瞬、何を話すべきか迷い、それから口を開いた。

「今日はオーナーの佐伯さん初め、スタッフ、対バン、観客のみなさん、最後まで本当に感謝しています」

 修司は一度、深呼吸をした。

「……俺たちは、大学の軽音サークルで出会って。夢中で音楽やって……でも、就職とか、別れとか、いろんなことがあって、気づいたら10年、ステージに立っていませんでした」

 フロアが静まり返る。修司は言葉を探しながら、遠くを見つめるように続けた。

「20歳の頃、『30過ぎたら自分はこうなっている』って勝手に想像してた。もっとかっこよくて、余裕があって、ちゃんと夢に近づいている大人になってるはずだって」

 少し笑って、修司は首を振る。

「でも、現実はそんなに甘くなくて。忙しくて、うまくいかなくて、自信なくして……。あの頃憧れた大人とは、ほど遠い自分がいた」

 客席の前の方で頷く大学時代の仲間の姿が目に入る。修司は、もう一度深く息を吸った。

「でも……今こうして、また仲間と音を出せて。たとえプロじゃなくても、これが俺の音楽だって胸を張れる。そう思えるようになったんです」

「――だから、今この瞬間だけは、20歳の俺にも、30過ぎた俺にも、そして今の俺にも、嘘つかない音を届けたいと思います」

 客席から拍手が湧き上がる。その中で修司はギターを構え、振り返ってメンバーたちと目を合わせる。

 (進もう。“その先”へ)

 次の瞬間、ディレイのかかったギターの音が会場を切り裂いた。

 イントロが鳴り響くのは、大学時代に完成する予定だった「Azure Blue」。心の奥にこびりついたままの未練や希望、そのすべてが音に変わってステージを満たす。

 修司はギターをかき鳴らしながら、胸の奥で何かがはじけるのを感じていた。

 あの頃に戻ったわけじゃない。けれど、確かに“今の自分”で、もう一度夢と向き合えている。

 照明が走り、音が重なり、歓声が波のように押し寄せる。ステージの上で、修司は笑っていた。十年前の自分にも、過去の仲間にも、今この瞬間の仲間たちにも、そして何よりあかりにも胸を張れるように。

 鳴り響いた音の中で、修司はふと気づいた。

 客席の奥―― 灯りの影の中に、どこか見覚えのある輪郭があった。

 ... まさか。

 その人影がほんのわずかに微笑んだように見えた瞬間、修司の胸の中に光が差し込んだ。

 オレンジの夕日が終わり、藍色が夜を包む―― でもその先には、Azure Blue が待っている。

 夢を諦めない大人たちの、新しい朝が。

「… この曲は、大学時代、音楽を続けようと必死だった僕たちと、夢の途中で出会った、ある人のことを思って書きました。みんなにも、届いたらうれしいです」

 静かに始まったイントロ。

 EM7 からF ♯M7 、D ♯m7 、G ♯m へと移るコードが、彼の指先から流れるように響く。

 空に映るオレンジの色が踊れば

 街は夜に包まれ君を誘うよ

 光がステージを包み、音の海が会場を満たす。

 明日はアジュールアジュールブルー

 そう願っている

 サビが終わるたびに、修司の視線は客席を泳ぐ。

 いない。

 いや、もしかしたら―― 見えないだけかもしれない。

 “どこかで見ていてくれたらそれでいい”

 そう思いながらも、心のどこかで、「来てほしい」と願っている自分を押し隠すように、歌い続けた。

 最後のコードが静かに鳴り止んだとき、会場から大きな拍手が起きた。

「ありがとう!」

 声を張り上げて修司は笑った。笑いながら、ほんの少し涙ぐんだ。ここにいなくても、遠くでも、この思いが届いてくれたらそれでいい。

 一度ステージ袖に引き上げると、メンバーたちが肩を叩いてくれた。

「最高だったな、修司」

「本番、強いなあ、お前」

 でも彼は、小さく首を振った。

「まだ、終わってないよ。...... もう一曲いこう。アンコールがある」



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