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Azure Blue ― ライブ当日・始まりの扉

 ライブに向けて、ライブグッズやエフェクターの最終確認をはじめた。

 久しぶりに押し入れを整理していると、古びた小箱が出てきた。

 蓋を開けると、時が止まったように、あのポストカードたちが静かに重なっている。

 桜並木、海辺の夕暮れ、雪景色、そして見知らぬ街角の写真——。

 どれも一年に1.2回。なかった年もある。言葉は少なく、差出人の名前は一度も書かれていない。

 それでも、丸みのある筆跡だけで、誰からのものか分かった。

 指先でなぞると、インクのかすれ具合や、紙の端の丸まりが、当時の空気を連れ戻してくる。

 弱々しい文字を見たあの日の胸のざわめき、返事を出せなかった悔しさ、そして心のどこかで「まだ繋がっている」と信じた感覚。

 「……ずっと、待ってるよ」

 修司はカードを束ね、胸ポケットに一枚だけ差し込む。

 そのままギターケースを手に取り、これから向かうステージを思い描いた。

 過ぎた年月が、今夜ようやく繋がる気がしていた。


 朝から曇り空だった。

 だけど、雨は降らなかった。まるで誰かが“今日は大丈夫だよ”と空にお願いしてくれたように。

 午後1時。ライブハウス「Lighthouse」に会場入りする。

 修司はギターケースを抱えていた。その前に全員で昔通りにライブハウスの迎えにある中古楽器屋に集合する。そこで予備の弦やピックを買っていた。

 懐かしい匂い。タバコとアンプの熱と、少し埃っぽい床の木の匂い。

「おーい、修司ー!」

 一番奥から手を振ってくるのは、ドラムの中村カズ。

 よく考えたら大学時代のサークルで一緒にバンドをやって、4年間ずっといた仲間のひとりだ。彼がいつも修司を笑顔で励ましてくれた。

「お前、ちゃんと寝れたのか?目がちょっと、うるんでんぞ」

「うるせえよ。たぶん、花粉のせいだ」

 笑いながら、カズがドンと背中を叩く。そのあとすぐ、ベースの村上とギターの坂田ユウスケも到着した。村上も坂田も昔、修司とよく曲をアレンジしていた仲間だ。彼らなしでは今日のライブは成り立たない。

「で、今日... 彼女から連絡は?」

 ユウスケが聞く。唐突に。でも、優しく。

「さあ。連絡先もわからないし、来るかどうかは、わかんない… いや、わからないから、歌うんだよ」

 その言葉に、みんなが一瞬黙ったあと、笑い合った。

「よし!その通りだ。修司らしいな」

「悪い。遅れた!」

 1 曲ゲスト参加の小沢も合流し5 人がそろった。

 今はもう消息を知らない。けれど、あの夜の配信が―― 彼女の心に届いていたなら。


 ライブ当日、2時過ぎ。

 修司たちは楽器を抱えて、かつて何度も通った下北沢のライブハウス「Lighthouse 」の扉を開いた。

 中から漏れる音響の残響、薄暗い紫の照明、そして、変わらぬ壁の落書きやポスター。

 そのすべてが懐かしく、少しだけ胸がざわつく。

「よぉ、お前ら!ほんとに来たか!」

 フロアから手を振って現れたのは、店のオーナー・佐伯だった。

 60代半ばになっただろうか、白髪が目立ち、体も少し痩せたように見えたが、笑顔と声の張りは相変わらずだった。

「佐伯さん… !」

 修司が駆け寄って握手を交わすと、佐伯は嬉しそうにうなずいた。

「まさか“film ”の名前をまた聞けるとはなあ。なぁんだか泣けてくるよ」

「こちらこそ、場所貸していただけて感謝してます」

「何言ってんだ。あの頃、お前らが盛り上げてくれて、ここもずいぶん賑わったんだぜ」

 奥から出てきた若いスタッフがセッティングの準備に取りかかると、佐伯はふと真顔になり、言った。

「… でさ。あかりちゃんは?今日、来てんの?」

 空気が少し止まった。

 ギターのユウスケがチューニングの手を止め、ベースの村上が視線を落とす。

 修司も、思わず言葉に詰まった。

「いや… 連絡とっていないので、来るかどうか、分かりません」

「そうか… 」

 佐伯は短く頷いた後、少し寂しそうに笑った。

「お前らが初めてここでライブやったとき、20 歳くらいの頃か。あかりちゃんさ、自分の出番じゃないときもPA 席の横でずっとお前の歌を口ずさんでいたんだよな。あれ、今でも覚えているよ」

「… 」

「リハのときだって、よく俺に“修司くん、また新曲作ったみたいなんです”って嬉しそうに話してさ。“最初に聴かせてもらえるの、私なんですよ”なんて、照れながら言ってた。...... ああいうの、青春で良かったよなぁ」

 その言葉に、修司は思わず苦笑いしながら、視線を落とす。

 あかりの笑顔、部室で隣に座りながらメロディに耳を傾けてくれていた横顔が、ふとよみがえる。

 カズが冗談めかして言った。

「佐伯さん、もうやめてくださいよ。...... 空気が重くなっちゃいます」

「ははっ、悪い悪い。でもよ、あの頃のお前らの音、あかりちゃんのあの声、ここに残ってるんだよな。不思議だけど、音楽ってやっぱり、そういうもんなんだな」

 修司は深く一礼して言った。

「ありがとうございます。今日は精いっぱい頑張ります」

「おお。頼んだぞ!」

 そう佐伯は豪快に言い放った。

「・・準備終わりましたらドラムから音下さい」

 若いPA が恐縮しながらモニター席のマイクで話しかけてくる。

「はい。すみません!」

 と、カズは申し訳なさそうに笑う。

「… 今夜、ちゃんと響かせます。ここに、また」

 佐伯はニッと笑い、「おう、期待してるぜ」とだけ言って、ステージ奥のP A 卓

 へと戻っていった。

 残されたメンバーは、しばし無言のまま、思い思いに楽器をいじり始めた。

 だが、その沈黙には、言葉以上に確かな絆が流れていた。

 リハーサル開始直前、ステージの灯がふっとつき、修司はギターのボリュームを上げながら、もう一度、あかりの声がこの空間に溶け込んでいた記憶に、そっと心を重ねた。

 リハーサルが始まる。

 大学時代演奏していたオリジナル中心のレパートリーが続く。

 そして「Azure Blue 」のイントロをユウスケが弾く。修司はコードに合わせてギターを鳴らす。

 音が重なるたびに、大学の音楽室の風景が頭をよぎる。

 埃っぽくて、寒くて、それでもずっと笑っていた場所。

「… やっぱ、俺たちの音、好きだな」

 ポツリと修司が呟くと、カズがスティックでリズムを刻みながらうなずいた。

「再結成じゃねえけど、今日だけは本気でいこうぜ。昔みたいに」

「いや、昔以上にな」

 ベースの村上が静かに言った。

 ステージのモニターから返ってくる音は、確かに、あの頃よりも深く、強い。

 それは、失った時間と、それでも歩いてきた人生の重みが、音に乗った証だった。

 修司はピアスにふと触れた。

 仕事では絶対に付けないが、彼女にお揃いでもらった、小さなシルバーリングのピアス。

 それはまだ、耳にぶら下がっていた。いびつに光っている。

「今日の青は、きっと嘘じゃない」

 心の中で、そうつぶやいて、ギターを抱き直した。



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