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Azure Blue (ライブ前夜)―― 眠れぬ夜に、君の音を聴く

 ー大学3年のライブを思い出していた。

 開演直前、楽屋はざわめいていた。

修司はギターの弦を何度も弾きながら落ち着かない様子で、あかりはキーボードの電源を入れては切っていた。

「おいおい、修司、そろそろ心拍数がリハ超えてんじゃねえか?まぁ…俺もだけど」

ベースの村上笑いながら肩を叩く。

「本番で弦切ったら全員土下座だからな」とドラムのカズが冗談めかしてスティックをくるくる回す。

「私、コーラス忘れたらごめんね。笑ってごまかすから!」

 サポートで入ってくれた美穂が笑い、場の空気が少し和らぐ。

 あかりがふとつぶやいた。「……ねえ、こんな緊張するのに、どうしてまたやりたいって思うんだろうね」

 修司はキョトンとし、それから照れたように笑った。

 「それ、俺もずっと思ってた」

 「答えは、たぶん、ステージの上にあるよ」

 そう言って、あかりはまた柔らかく笑ってステージ袖に立った。

 あの日、僕たちは震える指でチューニングを済ませ、がらんとした大学一年生最初の学園祭のステージに立った。

 人もまばら、音響も機材も心もとない。それでも、リハーサルで鳴らしたオリジナル曲の「シング ア ソング」のイントロが空に溶けていった瞬間、胸の奥が少しだけ熱を帯びたのを覚えている。

 「緊張しすぎて…今、コード合ってるか分からないんだけど…」

 曲の合間、あかりが僕の耳元でそう呟いた。震えた声なのに、なぜか笑っていた。

「いいよ、俺も手汗でピック滑りそうだし」

 その一言で、ふっと空気がやわらかくなった。

それは拍手も歓声もない、静かなステージ裏で交わされた、ふたりだけの音のない約束だった。

 2曲目のサビ前、僕は勢い余ってコードをミスった。キーボードも一瞬止まりかけた。でも、誰もそれを咎めたりしない。ただ、観客席の前列にいた友人たちが小さく手を振ってくれたのが見えた。

 演奏は最初からガタガタだった。

イントロで修司がコードをひとつ飛ばし、あかりのキーボードが途中で音を飛ばし、ドラムのキックがワンテンポずれた。

 でも——。 

 1番を過ぎた頃から、観客の手拍子が自然に広がった。

 それに乗せられるように、演奏に芯が戻り、音が重なり、気持ちが乗っていく。

 「この曲は、僕らが初めて一緒に作った曲です。どこまでも下手くそですが、全部本気で、全部大事にしてきたものです」

 MC中、修司の声が震えた。客席の後ろで、スタッフらしき人がうなずいていた。途中、マイクのハウリングが鳴り響き、あかりの髪がふわりと揺れた。

 やがて、最後の曲。「遠い星」の演奏が終わると、小さな拍手がパラパラと広がった。それは数としては多くなかったけれど、僕たちにとっては胸いっぱいになるほど大きな音だった。

 驚くほど息が合っていた。あかりのキーボードと修司のアコギが溶け合い、観客から自然と手拍子が湧く。思いがけない一体感に包まれ、演奏後は汗と涙と笑いが交錯した。

 最後のサビを終えた時、バンド全員が思わず顔を見合わせた。——やりきった、と。

 ステージを降りた直後、あかりが僕に向かって小さく笑いかけた。

「修司、私…今、ちゃんと、自分の音で誰かとつながれた気がした」

「俺も…多分、もう一度ちゃんと夢を見てみたくなった」

ステージ裏に戻った後、

「お前ら、全員へたくそか!いや、かっこよかったけど」

小沢が叫んだ瞬間、全員が笑い声をあげた。

「でも……楽しかったよな」

美穂のその言葉に、誰もがうなずいた。

「……ねえ、修司」

あかりがそっと言った。

「うん?」

「うまくいかなくても、こうやって、バカみたいに笑って、歌って、それで……生きてるって感じられるのって、すごいよね」

「そうだな……。また、一緒にやろう。もっともっと、たくさん」

 そのときだった。

控え室の隅で、あかりがそっと修司の袖を引いた。

「ねえ……キスしていい?」

 修司は、息をのんだ。ステージライトの余韻をまとったまま、彼女の顔がほんの少し近づいて――

 あの瞬間の柔らかさと温度は、今も修司の記憶に焼き付いている。

 あかりは微笑んでうなずき、そのまま修司の顔をじっと見つめ——もう一度みんながいなくなったタイミングで、そのまま自然に顔を寄せ合い、ふたりの唇がそっと触れた。

 誰もいない楽屋の片隅、夕暮れに染まる窓越しに、僕たちの影がひとつになった。

 場所はとあるビルの屋上。昼休憩、職場の喧騒を離れて、空を仰いでいた修司は、ふとスマホのメモアプリに保存された昔のライブ映像を開いた。

――「下手くそだなあ、俺ら……」

 そう笑いながら見ているうちに、自然と肩の力が抜けていた。

 「でも、音だけは真っ直ぐだったな」

 空の青さに、ギターを構えたあの頃の自分たちが重なる。がむしゃらに音を鳴らし、仲間とぶつかりながらも音楽を信じていた時代。そのエネルギーが、今の自分にも確かに流れている気がした。

 スマホをポケットにしまい、深呼吸を一つ。

修司はまた、歩き出す。


 その日の12時。夜の帳が、ゆっくりと街を包む。

 来週はライブ本番―― 10年ぶりの、音楽のステージ。

 仲間との再会と再起動。

 けれど、修司の胸は不思議な静けさとざわめきに満ちていた。

「… 眠れねぇな」

 小さくつぶやきながら、部屋の灯りを落とす。

 カーテンを開けて、月の光を頼りに窓辺へ向かった。

 ギターを手に取り、椅子に腰かける。

 コードをひとつ、ふたつ、何気なく鳴らしてみる。

 その音に重なるように―― 記憶が、ゆっくりと流れはじめた。 ―― 大学時代、あの部室の片隅で。

「修司、これどう思う?」

 あかりが差し出したのは、手のひらほどの小さな箱。

 開けると、中には小さなピアスがふたつ。

 ひとつは彼女用のシルバーの雫、もうひとつは男性用に少しだけ太めのリング。

「… え、これ俺にも?」

「うん。片耳だけでもいいから。この曲が形になった記念に、って思ってさ」

 “Azure Blue ”の原型ができた日だった。

 あかりが歌詞を書き、修司がメロディをのせ、仲間たちが編曲を加えて、ようやくひとつの“命”になったその曲。

 あのとき彼女が言ったことを、今も鮮明に覚えている。

「まだ完成していないけど、この曲、誰かの時間を少しだけ止められるようなものにしたいの。ふとした瞬間に、心を引っかくような… そんな色にしたい」

 アジュールブルー。

 透き通るようで、でもどこか冷たさを孕む、深くやさしい青。

 修司はそっと、机の引き出しを開けた。

 奥の小さな缶。開けると、彼女と一緒に買ったあのピアスが、今も眠っている。

 左耳に、そっとそれを着けてみる。

 鏡の中の自分が、少しだけ昔に戻ったように見えた。

 ギターを構え、弦を鳴らす。

 空に映るオレンジの色が踊れば…

 声は小さく、抑えたように震えていた。

 “君がいないまま歌うこの曲に、どんな意味がある?”

 そう問いかける声と、

 “君がいないからこそ、歌う意味がある”というもう一人の自分が、胸の中でぶつかり合う。

 窓の外に、月が浮かんでいた。

 雲の伱間からのぞくその光が、まるで彼女の瞳のように優しく見えた。

「あかり、ちゃんと歌うよ」

「… 君の歌を、俺の歌を」

 ギターの音が、夜を溶かすように広がっていった。

 そしていつのまにか、修司は眠りについていた。

 ピアスをつけたまま―― 少年のままの夢を見ながら。

 眠れぬ夜、修司がふと手に取った“彼女との記憶”。

 そして、ふとギターを弾きながら浮かび上がってくる、若き日のときめきと痛み。お揃いのピアスも、不安定な心も揺らしながら。


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