Azure Blue (再始動)音が重なる瞬間
翌日。
休日のスタジオ。OB 会は毎年居酒屋で行われてていたそうだが、修司が来ることになって初めてスタジオセッションとなった。修司はみんなより早く到着して一人練習をしていた。
埃の匂い。チューニングの音。
あの頃とは違う、少しゆっくりで、少しだけ優しいリズム。
もう全力で走れはしないかもしれない。
でも―― 今の自分たちだからこそ出せる音があると、修司は確かに思っていた。
部屋の隅には、空の譜面ノート。
その表紙に、修司は静かにタイトルを書いた。
『Azure Blue 』―― あの青を、もう一度。
それは、あかりがまだ在籍していた頃、そしてその後少しずつ夢がほつれていく過程、友情と喪失の狭間に揺れる若者たちの記憶。
「もう一度、やってみよう」
修司は自分に言い聞かせるように、そっとギターをストロークさせた。
修司は数年ぶりに、かつてのバンド仲間と再会した。
都内の小さなライブバーの2階、貸し切られた空間に、懐かしい顔が並ぶ。
「おい修司、変わってねぇな。昔のままだ」
「いやいや、ユウスケ、お前の方こそ。髪が減っただけだろ」
笑い声が飛び交う。
みんなそれぞれに年齢を重ね、会社員になった者、教師になった者、家庭を持つ者―― かつて「プロを目指そう」と誓い合った面々は、今や音楽を趣味に変え、現実の中でそれぞれの場所を見つけていた。
その中で、ひときわ口数の少ない修司は、皆の会話に耳を傾けながら、ただひとつのことを考えていた。
あかりのことだった。
キーボードとコーラスを担当して、時折ボーカルも務めていた彼女は、誰よりも音楽に誠実で、誰よりも夢を信じていた。
なのに、突然姿を消し、二度と戻らなかった。
「あとはあかりがいればな... なぁ、あかりのこと、誰か連絡取っているか?」
誰かがふと口にしたその言葉に、一瞬、場の空気が揺れた。
「いや... 俺はわからないな」
「最後に連絡来たの、もうかなり前だ」
「元気にしているといいけどな... 」
それぞれが言葉少なに口にし、沈黙の後、それぞれが再び話題を変えようとする中、修司だけが取り残されたような感覚に陥っていた。
彼女のいない“再会”は、やはりどこか空虚だった。
それでも、リハーサルスタジオの扉を閉め切った瞬間、少し埃っぽい空気とともに、懐かしい感覚が胸に込み上げた。
10年ぶりに再集結したバンドメンバー。それぞれ年を重ね、少しずつ風貌も変わったけれど、楽器を構えた姿には、あの頃と変わらぬ熱を帯びている感じがあった。
「……最初は軽く、肩慣らしでもするか」
村上がベースの変わらないカールコードのジャックを差しながらぼそりとつぶやき、カズがスティックを回して頷く。
修司も、少し緊張気味にストラトの弦を指で弾いた。チューニングを終えると、ふと、ある曲が頭をよぎった。
「なあ、久々に……あれ、やってみないか。the pillowsの『Funny Bunny』」
一瞬、皆の表情がはじけた。
「うわ、懐かしい!」「2年の学祭でやったなあ」「まだ指が覚えているかどうか…」
カズが軽くカウントを刻む。
──ワン・ツー・スリー・フォー。
ユウスケが弾くイントロのギターリフが、少しぎこちなく、しかし確かに空間を震わせる。
自然に体が動き、音が重なり始める。ベースが唸り、ドラムが走り、ボーカルを取る修司の声がマイクを通して響く。
歌詞のように、君の夢が、今も誰かにとっての夢でありますように 。そう祈りながら。
たどたどしさの中にも、あの頃の「熱」が確かにあった。
10年という歳月を飛び越えて、音はまるで昨日の続きを奏でるように鳴り続けた。
途中、誰かが間違えて、全員が笑った。それさえも心地よかった。
曲のラストが鳴り終わると、スタジオには静けさが戻る。
誰も何も言わなかった。ただ、みんなの顔には、自然な笑みが浮かんでいた。
「……やっぱ、スタジオで音出すっていいな」
カズの言葉に、誰もが無言で頷いた。
再会のセッションは、こうして静かに、しかし確かな手応えとともに幕を開けた。
青春の記憶を蘇らせながら、年齢や時間の壁を超えて再び音楽にのめり込んでいく瞬間だった。
「次はもうちょい攻めていこうぜ。今のセッション、ちょっと気持ちよかったしな」
ユウスケがそう言って、譜面台に昔使っていたコピー譜を広げる。黄ばんだ紙に、手書きで書かれたコードと歌詞。
「……おお、『Ride on shooting star』あるじゃん」
カズが笑う。「あの頃、あれのドラムがどうしても走っちゃってさ。めっちゃ怒られた覚えある」
「……言ってたね、『リズムは焦るな、音に任せろ』って、あかりが」
一瞬だけ、静寂が降りた。けれど、すぐに修司がギターを構え、開放弦を軽く鳴らす。
「やってみるか。あの頃の続き」
その日、彼らは次々と大学時代のレパートリーを掘り起こした。
『Ride on shooting star』に続いて、『ハイブリッドレインボウ』、『ストレンジカメレオン』──。
どれもが、教室や学祭、放課後のスタジオを思い起こさせた。
沢山の懐かしい思いが交錯し、全員あの頃の笑顔に戻った頃だった。
修司がおもむろにセッティングし直しているのを見て,カズが口を開いた。
「じゃあそろそろ…オリジナルやりますか」
「ああ…まず『circle change』からかな。そして『遠い星』、『the way home』あたりを」
村上が修司の方をチラッと見て、聞いてくる。
「そうしよう」
修司が呟いて、また熱量の高いセッションが始まった。
オリジナル楽曲のセッション練習は時に真剣で、時に笑いに包まれた。ミスをしては肩をすくめ、音が揃えば自然と拳を突き上げる。
年齢も、職業も、立場も関係ない。ただ音だけが、彼らを繋ぎ続けた。
「……しかし、よく覚えてるよな、こんなに前の曲」
「指が、勝手に動くもんだな」
「体は覚えてても、心が追いつかないときもあるけどな」
ユウスケのその言葉に、皆が深く頷いた。
練習が終わり、機材を片付けながら、カズがふと口にした。
「修司、やっぱあれだな、あかりがいた頃のあのライブ……もう一度、越えてぇな」
修司は少しだけ笑って、ゆっくりとストラップを外す。
「……越えよう。もう一回、本気で音出そうよ」
スタジオの壁に掛けられたミラーには、昔より少し年を重ねた、けれど確かに「今」の音楽を生きようとしている自分達の姿が映っていた。
その姿は青春の記憶を蘇らせながら、年齢や時間の壁を超えて、再び音楽にのめり込んでいく大人になった様子を丁寧に綴っていた。