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Azure Blue ― 仕事帰りの飲み会

 週末の金曜。定時を過ぎてもオフィスの空気はどこか張り詰めていた。

 会議が長引き、雑務が積み重なった一日。修司はようやくPC を閉じると、深く息を吐いた。

 それを見ていた部下の黒田が気を利かせて声をかける。

「修司さん、お疲れ様です。たまには飲みに行きましょうよ、皆で」

「お、珍しいな。金曜だもんな。...... 行くか」

 数人の若手社員とともに向かったのは、駅近くの気取らない居酒屋だった。

 ジョッキを交わし、枝豆や焼き鳥をつつきながら、黒田がにこやかに話す。

「でも修司さんって、俺らから見たら理想の人生っすよ。会社では頼られていて、趣味でギターもやっていて。俺なんか、毎日こなすだけで精一杯で」

「… 理想ねぇ」

 修司は笑ったが、その奥に引っかかる何かを感じた。

 誰かの“理想”である自分に、自分自身が納得できていない。

「そういえば最近、またギター始めたんですって?」

 別の社員が話題を振る。

「うん… 久々にね。大学時代の仲間と、またセッションすることになって」

「すげえ!ライブはしないんですか?何人くらい来るんです?」

「いや、そんな大きいもんじゃないけど… 」

 若手たちは盛り上がっていたが、修司の頭の片隅には、ふとした静寂があった。

 《これでいいのか?》

 という、昔から繰り返してきた問い。

 たしかに仕事は順調だ。年相応に役職もつき、家賃も払え、部下にも頼られている。週末はギターを弾く時間もある。

 だけど―― 帰りの電車、窓に映る自分の顔にふと違和感を覚えた。

 いつからこんなに、安定と不安を同じ重さで抱えてきたのだろう。

 降りる駅が近づくと、黒田が言った。

「修司さん、本当にライブはしないんですか?今度のライブあったら、よかったら俺たちも見に行っていいですか?」

「...... ああ。あったらな。来てくれると、嬉しいよ」

 修司は小さく笑って答えた。

 黒田のようにまっすぐで、まだ夢を夢として見られる年齢が少し羨ましいと思った。

 けれど、羨望だけじゃなかった。

 修司の中にほんの少し、あの頃の“ときめき”が灯っている。

 たとえ遅すぎたとしても、夢の欠片を、もう一度拾ってもいいのじゃないか ―― そんな夜だった。


 あれは大学3年の夏。

 ライブの帰り道、終電を逃してふたりきりで歩く夜道。

 あかりは少し酔っていて、主人公の肩にもたれながら「楽しかったね」と笑う。

 ふと立ち止まったあかりが、主人公の目をじっと見つめて言う。

「... なんか、今なら言えそうな気がする。私、ずっと好きだったよ」

「どうしたの?急に」

 修司ははぐらかしながら笑ったけど内心ドキドキしていた。好きな気持ちはずっと持っていた。付き合っている二人だったけど、つかず離れずの関係だった。

 優しい風が吹き抜ける。抱きしめたい感情にかられ修司はあかりの頬に手を添え、そっと唇を重ねた。

 彼女の唇は少し冷たくて、でもすぐにあたたかくなった。

 それは、何かが始まる予感というよりも、ずっと知っていた何かに戻るような、懐かしくて静かなキスだった。

「へへ・・」

 キスが終わったあと、あかりは照れたように笑った。二人は少し離れて、でもすぐにまた寄り添って、手をつなぎながら月明かりの中を歩いて行って。見上げた星空がきれいで、ずっとこのまま二人が一緒にいられたら良いなと祈るような思いで眺めながら。あの頃は夢にも恋にも純粋な思いでぶつかっていた。


 飲み会のあと、彼は帰り道で口ずさみながら歩いていた。

 昔使っていた愛用の赤いストラトキャスター。

 バンドを辞めてからは弾かない時期も長かった。かれこれ10 年になるが、捨てられなかった。何かに目覚めたように、最近は再び引っ張り出してきている。

 その晩、自宅に戻った修司は、ふと衝動的にギターを取り出す。

 錆びた弦を張り替え、手を動かすと、不思議と指が覚えていた。

 優しいコードを鳴らす。

 手癖のフレーズを繰り返すうちに、あの曲のメロディが自然と浮かび上がってくる。

「明日はアジュール、アジュールブルー」

 あかりが最後に残した歌。

 未完成のまま、音源にもならなかった曲。

 サビの歌詞しか存在せず、他のフレーズも彼女のノートにしか記されていなかった。

 それでも、あの夕焼けの色、彼女の声、心の震えが、彼の中で形になっていく。

 この曲を完成させたい―― 今になって、心からそう思えた。もう一度始めてみよう。修司は壁にもたれて、懐かしいフォトフレームに写っているあの頃の自分たちを見つめた。



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