Azure Blue ~青の旋律プロローグ
⸻Azure Blue
あのオレンジの夕暮れを見るたびに、僕は思い出す。
街の喧騒が静まり、灯りがひとつ、またひとつと灯る頃。空がオレンジから群青に変わり、やがて深い藍に包まれるその時間―― あの頃の記憶が、波のように胸をさらっていく。
田口修司、32歳。
都内の出版社で地道に編集の仕事を続ける自分は、今、退勤後の帰り道、川沿いの遊歩道にひとり佇んでいた。
足元には秋の落葉がいくつも転がり、空にはゆっくりと藍の幕が降りてくる。そんな中、僕の目にはもうこの景色は映っていない。記憶の中の景色、彼女の姿がはっきりと浮かんでいた。
大学時代、音楽サークルで出会った仲間たちと過ごした日々。
特にその中心にいた、鈴村あかり― 修司にとっての「君」は、ひときわ鮮やかに、記憶のフィルムを照らしていた。
「修司くんって、いつも変わらないよね」
笑いながらそう言っていたあかりの声が耳に残っている。
明るく自由奔放で、どこか影がありながらも誰よりも強く、何かを信じていた彼女。サークルの演奏会ではいつも真ん中でキーボードを弾きながら、青いシャツを風になびかせていた。 ―― 藍色の幕が降りて悲しみ飲めば ―― 誰も知らない色を描くよ
モラトリアムな季節を過ぎて、将来を漠然と模索していたある日、突然彼女は消えた。
理由も言わず、仲間にも何も告げず。
思い返せば、修司だけが知っていた。別れの夜、彼女が言った最後の言葉。
「修司はさ、絶対ここに残る人だよね。きっと、ここを明るくする側の人間だと思うよ。... 私は、まだ、探しているの。」
その時は何も言えなかった。
ただ頷き、彼女の背を見送った。
月日は流れ、いつの間にか30代。
周囲の同僚たちは仕事に追われ、家族を持ち、子育てに忙しそうだ。
自分はというと、言葉を仕事にしたくて就職した編集の仕事は好きだったし、今は一人も気楽で悪くなかった。
それでも、こうして空を見上げると、あの頃の空気が胸を締め付ける。
「… なぁ、あかり。あの頃の僕は、君にちゃんと答えを返せていたのかな。」
空に浮かぶ残光が、淡く彼の問いに応える。
そんなとき、ポケットの中のスマホが震えた。
古い大学時代の友人からのメッセージだった。
「久しぶり。今週末、あの頃のメンバーで集まるよ。来れるか?」
修司は一瞬戸惑ったが、すぐに文字を打ち始める。
「いや、忙しくて今回はパス。ごめんな。」
素っ気なくメッセージを送って修司は少し笑った。
このところずっと避けていた再会。
過去に戻れないことは知っている。
けれど、それでも― 明日はアジュール。アジュールブルー。そう願っている。
かつて、彼女が最後に書き残した歌詞。
その言葉が、今ようやく彼の中で意味を持ち始めていた。
修司は顔を上げ、深く藍色に染まった空を見上げた。
そして、ゆっくりと歩き出した。
過去に触れながら、拒んでいた未来を描くために。
彼女との出会いを思い出しながら。
それは、大学1年の春―― 彼女と初めて出会った日、音楽と心が重なった始まりのエピソード。