7.死闘
準々決勝の試合前、監督が言った言葉に耳を疑った。
「長嶋、今日もお前が先発だ」
はぁ? 遂に頭が狂ったか、このおっさん!
と思ったのだが、どうやら本気らしかった。
「佐久穂打線に松村のストレートでは通用しない。
ストレートを見せ球にして、フォークで勝負する配球でしか抑えられる気がしない。
でもなぁ初回からフォークを多投すれば最後まで持つはずないし、それなら三回戦までと同じ戦い方で、長嶋が行けるところまで行って、中盤で松村に継投だよ」
言ってることは分かる。
でもこの試合は攻撃に専念しようと思っていたので、三日間全く投球練習していない……
「それにな、松村のストレートは通用しないが、長嶋のストレートは案外通用するんじゃないかと思っている。
佐久穂の打者は普段から130キロくらいの球で練習しているはずだから、長嶋の球は遅すぎて打ちにくいと思うんだよ」
何だよ、遅すぎるって、失礼なっ!
「そうは言ってもストレートは見せ球で、ストライク取りに行く球は全部ナックルにしろ。
佐久穂の打線もナックルやフォークなんてなかなか練習してないだろうから、
抑えるとしたらこれしかないと思う」
だから、三日間投球練習してないんだって!
心の準備もできてない。
負けたら野球辞める覚悟でここまで来たのに、自分が投げて自分で試合壊して負けることになるのか……
最低の終わり方になりそうだなぁ……
と、下を向いていたのだが、意外にもチームの皆は監督の意見に賛成のようだった。
水野は元気だった。
自分を不合格にした佐久穂相手に、自分の実力を見せつけてやろうと燃えているようだった。
「長嶋さん、監督の言う通りですよ。
僕は松村さんの球より、長嶋さんの球のほうが打ちにくいと思ってましたよ」
「遅すぎるからだろ」
チームは大爆笑に包まれた。
こうなったら開き直って投げるしかない。
僕の集大成の試合が始まる。
色々な意見はあるだろうが、僕は野球は後攻のほうが好きだ。
大きな力の差があるならば先攻で初回から相手を圧倒するのも作戦の一つだと思うが、最小得点で僅差の勝利を狙うならば、後攻のほうが精神的に有利だと思っている。
今日はそれに該当する試合だ。
僕たちが勝てるとしたら小差の接戦に持ち込むしかない。
後攻を取りたい!
しかしキャプテンの菅沼がジャンケンで負けて後攻を取られてしまった。
相手の心理を読むのが得意な菅沼はジャンケンも強いのだが、この時はチョキを出そうと思っていたのに、緊張して力んでグーを出してしまい負けた。
と間抜けな言い訳をしていた。
佐久穂の先発は青木だ。
エースを温存することなく先発に起用してくるあたり、甲子園の常連校は隙がない。
先頭の水野が打席に向かう。
事前に打ち合わせした通り、追い込まれるまではバットを振らない。
そこから脅威の粘りで、どんな球もどんなコースもファールした結果、水野一人で12球を放らせた。
青木の調子が悪い訳ではなさそうだ。
150キロ前後の速球を何球も投げているのに、次に何を投げてくるのか分かっているかのように、平然とファールする能力。
こいつを不合格にしたことを後悔させてやりたいなぁ……
なんて呑気に考えている余裕は無い。
僕も必死で粘らなければ!
今日負けたら終わりなのだっ!
一回表の攻撃は三人で終わったものの、水野と僕の粘りもあり、青木の球数は25球をカウントした。
こちらの作戦通りのスタートだろう。
ただ当初の予定と違うのは、僕が投げるということだ。
何の準備もしていなかったので、組み立ては全て菅沼に任せることにした。
ところが、緊張している自覚は無いものの、菅沼が構えているコースに球が行かない。
頼りのナックルも投げた瞬間にボールと分かるコースに外れてしまい、先頭打者を四球で歩かせてしまった。
二番打者はバントの構えだ。
それはそうだろう、青木という絶対的エースが投げているのだ、大量得点は必要無い。
初球からバントをしてきた。
三塁方向に打球を殺して上手く転がされた。
そう思った瞬間、キャッチャーの菅沼が猛ダッシュでボールを掴み、二塁へ矢のような送球、ベースカバーのオネエ三木から、今日は一塁手の松村へ転送されて見事な併殺が完成した。
三年間共に励まし合った仲間がピンチを救ってくれた。
僕は変な緊張から解放され、その後は本来のナックルを中心とした投球を取り戻した。
試合は六回表まで、両チーム無得点の緊迫した投手戦になった。
迎えた六回裏、僕の役割はこの回までで、七回から松村に継投する予定だった。
簡単にツーアウトを取って油断した訳ではなかった。
しかし、これで最後だと思う焦りみたいなものがあったのか?
迎えた打者の初球の見せ球のストレートが、少し手元が狂い死球を当ててしまった。
それで意識したつもりは無いのだが、次の打者にも当ててはいけないと思ったのだろう、ボールにするつもりで投げたストレートが少し甘く入ってしまった。
次の瞬間、打球はレフトスタンドに弾んでいた。
痛恨の二失点。
青木から一点取るのも大変なところ、この二点は余りにも重い。
しかも攻撃はあと三回しか残っていないのだ……
今の一球は僕の人生を決める一球になったのだろう……
悔いが残る一球だ。僕はマウンドでしゃがみ込んだまま立ち上がれなくなっていた。
「こら~っ。カズよっ立ち上がれっ! まだ勝負はこれからじゃぞっ!」
スタンドを見ると、祖父が大声で叫んでいた。
やれやれ、あんまり叫ぶと血圧上がるぜ爺ちゃん……
ベンチから伝令が来て内野手がマウンドに集まった。
交代を打診されたが、松村は一塁を守っていて準備していないし、僕が続投することになった。
最後の打者は全てナックルで勝負して、なんとか抑えることができた。
青木には六回まで120球近く投げさせていたので、後半は必ず球威が落ちるはずだが、ここまで僕たちは水野と僕が四球を一つずつと、菅沼のポテンヒット一本に抑えられていた。
七回表は四番菅沼からの打順だったが三者凡退、七回裏から登板した松村もフォークを決め球にして三者凡退に抑える。
八回表は打順が下位打線だったこともあり三者凡退、八回裏も松村の力投で三者凡退。
いよいよ最後の攻撃だ、この回は一番の水野からの好打順、なんとか二点取って追い付きたい!
青木の球数は140を超えた。
もう四球狙いで粘る必要は無い。
いい球が来たら初球から積極的に打って行こう!
円陣を組み、皆で気合を入れた直後の初球、水野がセンター前に弾き返した。本日初めてのクリーンヒットだ。
僕が繋げは望みはある。
進塁打ではダメだ。
どんな形でもいいから僕も出塁する必要がある。
この打席が人生最後の公式戦の打席になるかもしれない。
様々な思いが巡る中、青木の投球を待つ。
狙いはストレート、疲れているとは言え、普通の高校生が投げる球より数段速い。
振り負けててはいけない。
踏み込むんだ!
次の瞬間、青木の手を離れたボールは、僕の顔面に向かって来た。
打ち気満々で踏み込んでいた僕に、避ける余裕は無かった。