3.コンバート
高校に入学して、すぐに野球部に入部した。
以前同じチームでやっていた先輩や、対戦相手だった先輩が何人かいた。
その頃は自分が一番上手いと思っていたし、実際そうだったかもしれない。
ところが、先輩たちは身体が一回りも二回りも大きくなっていて、すっかり大人になっていた。
パワーもスピードも全く別の次元で、この人たちを押しのけてレギュラーになるなんて絶対に無理だろう。
と思った。
無名の地元公立高校の野球部でそんな風に思っている自分が、プロを目指しているなんて、他人に知られたら馬鹿にされるだろうなぁ……
多城選手のホームランボールを捕球したあの日から、本気でプロ野球選手を目指していたけれど、高校野球の世界に入ってすぐに、そんなの夢のまた夢でしかないよなぁ……
と感じていた。
これまでは、ちょっとだけ自信を失うことはあったけれど、この時ばかりは現実問題として、大きく心に圧し掛かってきた。
希望に満ちて入部したはずなのに、暫くの間は気分が落ち込んでいた。
しかし、何日か練習に参加しているうちに、先輩達の体格が良いことの理由が分かってきた。
この野球部は、野球の練習時間よりも、筋トレの時間のほうが圧倒的に長いのだ。
そりゃぁ体格は良くなるだろう。
どうやら監督の方針でパワーアップしているらしい。
染川高校の監督は堀内監督と言って、近隣では名物監督として知られていた。
強豪私立高校では実績のあるプロの監督を雇うことが多いが、公立高校では赴任している先生が監督になるケースが一般的だ。
堀内監督は先生ではないのだが、学校の職員として勤務している傍ら、監督をやっているらしい。
簡単に説明すると、本職は用務員のおじさんだ。
学校内の整備や点検を行っているが、空き時間に妙なトレーニング器機を自作して、筋トレで使っているらしく、そのせいで先輩達の体格が立派になっているようだ。
監督の考えとして、野球の才能がある生徒は私立に集まってしまうので、普通に野球の練習をしていても勝ち目は無い。
それならば野球は下手くそでも、間違ってバットに当たった時はホームランにしてしまうようなパワーを身に着けよう。
という発想らしい。
なるほど入部した直後は、パワーとスピードに圧倒されたが、よ~く観察していると、先輩達の野球の技術は大したことはなかった。
そうと分かれば僕だってパワーアップしたい気持ちは強い。
精力的に先輩達と同じメニューを実行することにした。
ところがある日、監督から直々に指示が出たのだ。
「長嶋、お前はそれ以上筋トレしなくて良い。必要以上に筋肉を付けるとスピードが落ちる。筋トレよりも毎日20メートルダッシュを50本がノルマだ」
はぁ? 僕だって先輩達のようにムキムキの身体になって、ホームランを打ちたいのに、何言ってんだよ、このおっさん……
「ここに集まる選手は、技術では私立の選手には勝てないから、パワーで対抗しようとしているが、お前には技術がある。
最大の武器はスピードだよ。それを生かせれば一年生から試合に出れる能力があるぞ」
なるほど、そう言われて悪い気はしない。
その日から筋トレはそこそこにして、20メートルダッシュを50本やるようにした。
って、これは筋トレのほうが楽じゃないかっ!
騙されたっ!
染川高校は市街地の北側にある。
市民の山として親しまれている太郎山の麓の坂道の途中だ。
家のある塩田平から、千曲川に向かって基本的には下り坂だが、市街地と塩田平の中間にある東山を巻くように県道が通っているので、アップダウンがあって辛い道だ。
千曲川を過ぎたところが一番標高が低く、そこから高校まではずっと上り坂だ。
片道7キロはある。
そこを毎日自転車通学して、20メートルダッシュを50本やるのだから、足腰の鍛錬には事欠かない。
僕の脚力は自分でも意識しないうちに、かなり鍛え上げられていった。
元々先輩達と比べても、バットに当てる技術と走塁のスピートは秀でていた。
春の大会はスタンドで応援していたが、夏の大会はベンチ入りすることができた。
最初は代走。
次は代打。
高校野球デビューして、結果も出して、本気で勝ち進めるとは思っていなかったものの、甲子園を目指す緊張感を味わいながら、最初の夏は三回戦で敗退した。
新チームになって、僕は中学時代と同じレフトのレギュラーになった。
県大会を勝ち抜き、北信越大会で結果を残せば、春の選抜甲子園に選出される可能性がある秋の大会が始まった。
しかし、運の悪いことに、一回戦で強豪佐久穂大付属と当たってしまったのだ。
相手の先発投手は、同じ一年生の控え投手だったが、140キロを超える速球を投げる投手だった。
僕たちはバットに当てるのが精一杯で、コールド負けで敗退した。
あの投手が控えだなんて、ウチのチームなら絶対にエースなのに……
あの投手を打ち込んだとしても、エースが控えているのだから、ウチのような無名の公立校が勝てるような相手ではない。
一年生投手、しかも控え投手が打てずに負けたことで、あまり目立たなかったのだが、実は敗因はそれだけではなく、僕にも大きな責任があると感じていた。
ランナー二塁の場面で、レフト前に来た打球が五回あった、必死にホームに返球したのだが、一度もアウトにすることができなかったのだ。
地肩が強くないことには気付いていたのだが、この結果は重く受け止めなければならない。
もっと強いチームなら守備力も考慮してレギュラーを決めるはずだ。
今のチームのレベルだからレギュラーになっただけなのだ。
このままでは高校三年生の時点で、プロから声が掛かるはずもない。
大学に進学して野球を続けるにしても、外野手としては通用しないだろう。
コールド負けしたことよりも、自分の外野手としての能力の低さに気付いてしまったことのほうがショックだった。
この先のレベルに対応する為には何をすれば良いのか?
悩みに悩んだ末に僕が出した答えは、セカンドへの転向だった。
サードとショートは肩の強さが要求されるが、セカンドならばファーストまでの距離は近い。
ファーストは守備力よりも打撃力のある選手を起用する傾向が強いので、僕のような小技を売りにするタイプでは競争に勝てる確率が下がるだろう。
セカンドこそが、僕のようなタイプが適任だろう。
野球は頭も良くないとできないと思っているが、小学生の頃から慣れ親しんでいる僕の野球IQは高いと思う。
ランナーがいる場面やアウトカウントにより、セカンドは複雑なフォーメーションに対応できる能力が求められる。
何故もっと早く気付かなかったのか……
新チームのセカンドのレギュラーは、先輩で、しかもキャプテンだった。
セカンド転向を希望すれば、この人に勝たなくてはレギュラーにはなれない。
でも長い目で見れば、見込みのないレフトでレギュラーより、セカンドとして技術を身に付けるほうが自分にとって大切だと思った。
今年はベンチでも、来年のレギュラーを目指すことを決断した。
秋の大会が終わり、春まで公式戦は無い。それでも冬の間のトレーニングが大事なのだ。
無名の公立校なのだが、想像していたよりも意識は高く、部員全員が春の大会を目指し黙々とトレーニングを続ける毎日だった。
僕は慣れない内野守備の練習に必死に取り組んでいた。