17.破滅の音はしない
開幕三連戦を終え、横浜に戻って来たドルフィンズだが、今年も例年通り連敗スタートで、三戦目で何とか勝って本拠地開幕戦を迎えることになった。
対戦相手は紳士球団である。
今年も優勝候補だ。
祖父が生きていたら、今日の試合はどちらを応援するのだろうか?
僕が入団した以上、今年からはドルフィンズのファンになってくれたのだろうか?
などと思いながら、僕は一軍に昇格して初めての試合前の練習に参加していた。
緊張しているつもりは無いのだが、多城選手が近寄ってきてボソリと言った。
「動きがロボットみたいだぞ。もっとリラックスしろ」
マジかっ? そう言われると余計に意識してしまい、キャッチボールの球を大暴投してしまった。
「今日一茂が投げて勝ったらお祝いだ。店の予約をしておくから、皆で祝杯を上げに行くぞ」
多城選手の号令で、チームの雰囲気が盛り上がった。
試合は小刻みな点の取り合いとなり、七回終了時点でドルフィンズが5対4でリードしていた。
七回裏に投手に代打が出された為、八回から投手交代だ。
「先ほど代打いたしました新発田に代わりまして、ピッチャー崎山」
とコールされると、球場のボルテージは最高潮になった。
崎山投手が登場する時の恒例となった「アキヤスジャンプ」で球場が揺れる。
「葉山監督の心意気だ!」
「本拠地開幕戦は絶対に落とさないとの覚悟が伝わる!」
「紳士球団を倒さなければ横浜の優勝は無い!」
本来なら、九回一イニングを抑える崎山投手を八回から投入した葉山采配に、多くのファンは去年までとは違う意気込みを感じている様だった。
期待に応え八回表を無失点で抑えて、崎山投手はベンチに戻って行った。
八回裏の攻撃が無得点に終わり、アナウンスが流れた。
「ドルフィンズ、選手の交代をお知らせします。九番崎山に代わりまして、ピッチャー長嶋」
その瞬間、球場の雰囲気が変わった。
「誰だ、この長嶋とかいうヤツ?」
「崎山に何かアクシデントが起きたのか?」
「葉山監督、狂ったか?」
異様な騒めきが巻き起こっている。
僕に期待している雰囲気ではなく、チームに危機が起きているのではないかと、不安を口にしている様子だ。
リリーフカーにに乗り込み、グラウンドに出ると、その空気が直接感じられるようになった。
「こらっ! 誰だお前は!」
「崎山はどうしたっ!」
「打たれたら無事に帰れると思うなよっ!」
聞こえてくる声に、僕を応援する声は無い……
まぁそれは仕方ないのか……
崎山投手はドルフィンズのクローザーというよりも、日本を代表するクローザーなのだ。
その投手に代わって、聞いたことも無い新人投手が投げるのだから、ファンだって応援どころではない。
去年までスタンドで応援していた僕自身だって、この継投には納得しないだろう。
そうは言っても、誰からも応援されていないのは辛い……
「何だよ、誰も俺の事なんて応援してないし……」
つい、口に出して言ってしまった。
「あら、私は応援してるわよ」
不意にそう言われて、隣でリリーフカーを運転している女性を見た。
「あっ! 亜希子さんっ!」
「はい。これ前に貸してもらったハンカチと私の電話番号。後で連絡してね」
多城選手の背番号がデザインされたハンドタオルとメモを渡され、僕は慌ててズボンのポケットに押し込んだ。
「それじゃぁしっかり抑えてきてね。行ってらっしゃい」
「あぁ、はい。行ってきます」
新婚夫婦の朝の出掛けのような会話をして、僕は小走りでマウンドに向かった。
ヒーローインタビューで何を喋ったのか覚えていない。
かなり舞い上がっていたようだ。
僕がグラウンドに入った時は誰も応援してくれていなかったが、ヒーローインタビューの時は称賛の嵐だった。
ファンなんて現金なもんだ。
去年までの僕もそうだったが……
何しろ三者連続三球三振という離れ業で、プロ初セーブを記録したのだから自分でも驚きだ。
その後のマスコミの取材も長かった。
早く一人になりたくて、僕はスマホを片手に慣れ親しんだ弁当屋の部屋に逃げ込んだ。
販売は七回くらいまでなので、もう片付けてしまっていて誰も残っていない。
亜希子さんに電話をして、明日の試合前にランチを一緒に食べる約束をした。
多城選手の計らいで祝勝会が開かれた。
取材が長かったので、僕が着いた頃には皆出来上がっていた。
「カズシゲサン、セカイイチノピッチャーネッ!」
呂比須が抱き着いてきた。
「おぉ! 呂比須、明日もホームランお願いね!」
アルバイト時代からのお決まりの会話だ。
「おい一茂、あのボール出せよ」
多城選手に言われて、僕は「一茂君 プロ野球選手になれるように 頑張れ」と書かれたサインボールをバッグから取り出した。
多城選手のプロ入り初ホームランをキャッチしてサインしてもらったことから、僕がドルフィンズの選手を目指したエピソードは、その場の参加者も驚きと感動を隠し切れない様子だった。
その後に多城選手もバッグからボールを取り出した。
それは僕がキャッチしたほうの、本物のプロ入り初ホームランのボールだった。
そこには「孫が入団するので宜しく頼む 長嶋哲治」と書かれていた。
えっ? 何じゃこのサイン? 一瞬戸惑ったが、僕はすぐに理解した。
「大切な記念のボールにウチの爺ちゃんが…… スミマセン!」
「アハハハッ! 何てことするんだっ、この糞ジジイ! って最初は俺も思ったけど、今となってはこのほうが記念になって良かったと思ってるよ」
流石は多城選手!
普通なら怒るよなぁ……
と感心していると、誰かが「長嶋哲治って凄い名前だなぁ」と口にした。
「おぉ! ミスタープロ野球と打撃の神様が合体した名前だっ」
こうなると大体次の流れは予想できる……
「お前が一茂なら、親父さんは茂雄かっ?」
はいはい来ましたね……
「いいえ、貞治です」
「マジかっ!」「ヤベェ!」「凄い家族っ!」一同大爆笑となった。
それにしても祖父があんなサインをしていたとは知らなかった。
あの時からドルフィンズの選手になることを目標に頑張って来た。
そして目標は達成された。
今日は最良の日だ。
でもゴールではなかった。
今日を目標にしてきたが、今日がスタートなのだ。
「巨人の星」の星飛雄馬が投げるバットを避けて通る魔球、大リーグボール三号は、その変則投法から腕の筋肉を傷めてしまい、最後は「ピシッ」と音を立てて筋肉が断裂してしまい投手生命を絶たれてしまう。
その破滅の音がいつするのか?
父の本棚の巨人の星をヒヤヒヤドキドキしながら読んでいたが、僕が投げるバットを避けて通る魔球は違う。
僕が投げるバットを避けて通る魔球は、破滅の音はしない。
お付き合いしていただき、ありがとうございました。
第一章はこれで終了です。
引き続き第二章もよろしくお願いします。