11.出会い
夏休みは去年同様自主練習で汗を流した。
春季リーグを最後に四年生が引退したので、レギュラーになれる可能性も高くなった。
ドルフィンズの球団職員を目指す上でも、大学野球で活躍したことがプラスになるのではないか?
なんて邪心も生まれた。
何であろうと、頑張れる理由が多くあるのは良いことだ。
野球漬けだった夏休みが終わり、授業が始まったある日、遊び人の上原から声を掛けられた。
「お~い、長嶋~! 今夜合コンがあるんだけど来ないかぁ?」
合コンか…… 実は今まで野球ばかりやっていたので、女性が苦手である。
よって、合コンなどに興味は無く、すぐに断ろうと思ったのだが、上原のマシンガントークがそれを遮った。
「合コンと言ってもフリーの立食パーティーみたいな感じだから、気に入った相手と二人だけでシッポリと話しができるんだよっ」
それは困る。
何人か居れば僕は黙って飲み食いしているだけの人数合わせになれるが、一対一なんて無理だ。
「急に滝沢が来れなくなってさ、会費はもう払ってるんだけど、滝沢の驕りでいいから、誰か代わりに誘っていい。
ってことなんだよ。だからお前来いよ!」
何で僕なのだ? 他に男は大勢居るだろう。
「お前、折角いい男なのに勿体ない! もしかして女より男のほうが好きなんじゃないのか?」
まさかっ! そ~いう奴、一人知ってるけど僕は違う!
「違うなら来いよ。お前も女の子好きだろっ! 来ないならモーホー長嶋として認定するぞっ」
そう言うと、上原は僕の肩に腕を回して、半分拉致するように歩き始めた。
変な噂を立てられても困るので、強く拒否することもできずに、半強制的に合コンに連れ出されてしまった。
会場は大勢の男女が集まっていて、熱気でムンムンしていた。
欲望のオーラが渦巻いている感じだ。僕の苦手な雰囲気である……
やっぱり帰ろうかなぁ……
「いいか、長嶋。気に入った娘が居たら、ただ飲み食いして終わりじゃなく、絶対連絡先を聞き出すんだぞ。
また会って下さい。って約束しないと次は無いからなっ!」
いや、次も何も、今日も何も無いよ……
「相手が二人組だったら俺を呼べ。俺も相手が二人だったらお前を呼ぶ。いいか、頑張れよ」
そう言って上原は人込みの中に消えて行った。
何を頑張るのだ……
お前は慣れてるからいいけど、こんな所に一人で置き去りにされても、どうにもならないよ……
まだ二十歳になったばかりで、普段は酒など飲まないけれど、野球部の歓迎会などで無理やり飲まされているので、少しは行けると思う。
でも、今日は悪酔いしそうだから止めておこう。
会場の隅っこのほうで、ウーロン茶を飲みながら時間を潰すことにした。
すると、同じように隅っこで一人、オレンジジュースらしき飲み物を飲んでいる女子と目が合った。
直観的に同じ種類の仲間と感じたのか、どちらからともなく近寄って距離を縮めた。
『こんにちは。初めまして』
二人同時に同じ言葉を発して、苦笑いをした。
「あ、あの~、僕は長嶋一茂と言います」
「えっ? テレビによく出ている人と同じ名前ですね」
「あぁ、祖父ちゃんが野球が好きだったので、こんな名前になりました」
「じゃぁ、お父さんの名前は茂雄さん?」
「いいえ、貞治です」
「えぇっ! もしかして野球選手ですか?」
「いやいや、野球とは何の関係も無い仕事してますけど、って言うか、詳しいですねぇ」
「えぇ、家庭の事情で……」
「家庭の事情って、お父さんが野球選手とか?」
「いえ、うちも野球とは何の関係も無いんですけど、私の名前は星亜希子って言います」
「えっ? 星明子って巨人の星の?」
「ちょっと字は違うんですけど…… 同年代の人にそう言われることって珍しいんですけど、詳しいですねぇ」
「実家に全巻揃ってたので、ちょっと詳しいです。もしかして、弟とか居ます?」
「はい」
「じゃぁ名前は星ひ……」
「違います、飛雄馬じゃありません! 満です」
「あっ、そっちか! でも豊作じゃなくて良かった……」
「それは左門さんに失礼ですよ」
僕たちは、バイキング形式の料理を選び、空いているテーブルで話しをすることにした。
僕は野球に関連することしか話しのネタが無いので、このような場が苦手なのだが、亜希子さんとは巨人の星の話しを切り口にして盛り上がれそうだ。
僕は野球をやっていて、ピッチャーの経験があることや、星飛雄馬のような魔球が投げられたら、どんなに素晴らしいことになったか、今まで妄想していた思いを話してみた。
すると亜希子さんが
「巨人の星の魔球もいいですけど、侍ジャイアンツの番場蛮の魔球も秀逸ですよね」
と予想外の言葉を口にした。
確かにその通りだ。
と言うか、詳し過ぎる!
巨人の星や侍ジャイアンツのことを知らないのが当たり前の世代、しかも女子なのに!
詳しく聞いてみると、ウチと同じように星家の本棚にも往年の野球マンガが数多く揃っているらしかった。
僕は嬉しくなって、影響を受けた野球マンガの話しや、実際に自分でもチャレンジした魔球の話しなどをした。
どれも人間離れしているので、投げられるようになった魔球は一つも無かったのだが……
こんな話しを聞いてくれる女子は、今まで居なかったのだが、亜希子さんは楽しそうに聞いてくれた。
そうしているうちに、僕はある異変に気が付いた。
胸がドキドキして息が苦しいのだ。
亜希子さんが楽しそうに相槌してくれるだけで、天にも昇りそうな気持ちになっていた。
もしや、これが人を好きになる。
ということなのか?
今まで野球一筋で、女性に興味が無かったので、誰かに告白したり、告白されたことなど無かったのだが……
いや、一度だけ告白されたことがあったっけ……
高校卒業間際に、オネエ三木から告白されたことがあったのだが、それはノーカウントだろう。
変に舞い上がって汗が出てきた。
亜希子さんに悟られないように、僕は何かを食べようとして、割り箸に手を伸ばした。
その瞬間、割り箸は僕の手に反発して宙に舞った。
それを掴もうとして、手を伸ばした時、僕はテーブルの上にあったグラスを倒してしまい、亜希子さんのスカートを汚してしまった。
「あっ! ゴメン! これ、使って下さい!」
僕は多城選手の背番号がデザインされたハンドタオルを亜希子さんに渡した。
「急用を思い出した。帰らなきゃ! 今日はありがとう。スカート汚しちゃってゴメンねっ」
そう言って僕は会場を後にした。
その時、あの現象が起きる原因を閃いたのだ。
一刻も早く確かめたくて、猛ダッシュで店を飛び出した。
怪しい合コンの会場は、港南区で一番栄えている上大笹という町にあった。
そこから上茶谷までは地下鉄なら二駅、路線バスなら複数の系統が選択できたが、電車とバスは使わずに走って帰ることにした。
横浜は関東平野にあるので、坂道なんて無いものと思っていたが、それは勘違いだった。
横浜は丘陵地帯で平らな場所のほうが少ないのだ。
こんな斜面によく家を建てるよなぁ……
と思うような場所に、ギッシリと隙間なく住宅が立ち並んでいるのだ。
そんな坂道を駆け上がり部屋に辿り着くと、汗がダラダラ流れて息が上がっていた。
僕はすぐに部屋に上がらずに、玄関先で床のフローリングに触れようとした。
予想通り反発されて、床に触ることができなかった。
ただ汗を掻くだけではこうならないが、もう一つの原因が分かったのだ。
それは「ドキドキ」していることだ。
最初から思い返してみる。
悪夢から覚めた時。
グラウンドを走った後。
その時の汗を含んだ靴下。
追試で緊張してきた時。
チャンスで代打に起用された時。
そして今日、亜希子さんを好きになった時。
必ずドキドキして汗を掻いている。
ある心拍数を超えた状態の汗が木材と反発する。
これは凄いことになった。
明日の練習が楽しみだ!
翌日グラウンドを何周か走って、汗がダラダラ流れている状態で実験することにした。
「先輩、トスバッティング手伝いますよ。僕がトスするから打って下さい」
「おぉ。悪いな。ありがとう」
いいえ、実験台に使ってスミマセン。
そう思いながら、汗を擦り込んだボールを何球か用意してトスを上げた。
予想通り、先輩のバットは空を切った。
「どうしたんスかっ? ちゃんと球見て打って下さい!」
などと言いながら、次の球もその次の球も同じようにトスして、同じように空振りになった。
あまり続けると怪しまれるし、先輩の打撃の調子を悪くしてしまうのも気の毒なので、普通のボールをトスするようにした。
トスしながら、僕の顔はニヤニヤしていたに違いない!
これは大発見だ! このボールをマウンドから投げれば、誰も僕の球は打てないだろう。
球団職員ではなく、投手としてドルフィンズに入団できるかもしれない。