第57話 助けて。
「おにぃこれつけて」
美波が「本日の主役」と書かれたタスキと、パーティハットを俺に渡そうとしてくる。
「どうしてもつけなきゃダメか……?」
安ぽっい羞恥心から身を守ろうとする俺の反応に怒った愛里那が、横槍を入れた。
「ちょっと将、それ美波ちゃんの手作りだよ!? アンタの為に頑張って作ってたんだから!」
美波が涙目になっているのを見てしまった俺は、我も忘れて妹の手からそれらを掻っ攫う。
「い、いや〜よく見ると超オシャレじゃん、喜んでつけさせてもらうよ……どうだ似合うか? いいなぁこれ、この格好でお出かけしたいくらいだな〜」
「おにぃ、わざとらしい……けど許す」
豪華な昼食の後に、みんなでケーキを食べた。誕生日には珍しい気がする茶色のチョコレートケーキを見て、きっと小浦が選んでくれたのだろうと、勝手に想像していた。
ついつい食べ過ぎてしまいソファで横になって休んでいると、美波が俺の顔を上から覗き込む。
「みんなでゲームしよう?」
「美波も知ってるだろ? 俺、ゲーム苦手なんだよ……」
「大丈夫、おにぃでも出来るアナログなやつ」
美波は一度自室へ行き大きな箱を抱えて戻ってくると、リビングのテーブルに、すごろく形式のボードゲームを広げた。小さい頃、よく家族で遊んでいた記憶がある。
「これ、懐かしいな。まだ残ってたのか……」
このゲームの名前は、「選択ゲーム」。人生を模した様々なイベントが書かれたマスを、ルーレットで出た目の分だけ持ち駒を進めていき、ゴール時に獲得していたポイントの最も高い人が勝者となる単純なゲーム。勝敗を分ける要因になるのが、要所に配置された選択マス。ここで最適なルートを選べるかどうかで、その後の運命が大きく変わる。
ゲームが始まると、さっそく俺は最初の選択マスに止まった。そこには「人生の転機! あなたの職場へ気になる異性が入社してくる。だが、その人物は別れた恋人の親友だった。構わずアプローチするならAのルートへ、見て見ぬふりをするならBのルートへ進む」と、書かれていた。なんだこれ……他人事とは思えない。
どうするか悩んでいると、小浦の方から無言の圧力を感じる。顔は怖くて見られなかった。
「とりあえず、今はBかな……」
ゲームは進んで行き、小浦が大物歌手になっていたり、愛里那は2度目の結婚をしていた。美波は、いつまで経っても就職出来ず、中盤になっても未だフリーターだった。そして俺は、2度目の選択ルートに辿り付く。
「やっぱり、同僚のことが気になる……そんな時、別れた恋人からヨリを戻したいと告白される。だって? 青嶋くんモテモテだね~?」
なぜか声に出して読み上げた小浦の目は、笑っていなかった。
「……ここもBだな……まだ様子を見てゆっくり考えないと……」
ゲームは終盤、小浦と俺は同じ選択マスに並んだ。
「大切な人がピンチ! 助けに行くならA、信じて待つならBへ。……ってなにこれ、そんなの助けるに決まってるじゃん。ねぇ青嶋くん?」
「そうだな。じゃあ小浦もAでいいか?」
俺は自分の駒を進めるついでに、小浦の駒も一緒に動かそうとした――その時、テーブルに置いてあった俺のスマホが震え出す。みんながそれに注目すると、電話画面には「後藤さん」と、表示されていた。
「なんだろ……ちょっとごめん」
――手に取って通話ボタンを押す。
「もしもし、後藤さん? どうしたんだ?」
「………………」
電話をかけてきたのは彼女なのに、応答がない。更に何度か声をかけると、電話の向こうから、すすり泣く声だけが聞こえた。
「後藤さん、どうしたんだ? 何があった!?」
「…………青嶋君……」
やっと声を聞けたが、震えている。説明を求めたが、彼女は詳しい事情を何も言わずに、たったひと言だけを告げた。
「…………助けて」
――その声を聞いた時には、既に俺は立ち上がっていた。
「ごめんみんな……俺、ちょっと行ってくる」
慌ててリビングを出ようとする俺を、呼び止める小浦。
「青嶋くん、姫に何があったの!?」
「分からない。でも、助けてって言ってた……」
小浦は、悩んでいる様子だった。僅かの間を置き、再度口を開く。
「そっか……青嶋くん、行ってらっしゃい。姫を頼んだよ?」
そう告げた小浦の表情が、作り笑顔だってことに、俺でも気付いてしまった。
「任せてくれ……」
――家を飛び出していった将の背中を、涙を呑んで見送った舞は、静かに自分の持ち駒をBのルートへと進めた。
市内へ向かう電車の中で妙に視線を感じると思っていたら、俺は美波のパーティグッズを身に着けたまま乗車していることにハッとする。そんなに取り乱していたのかとタスキを外すと、少しだけ冷静になることが出来た。
いつもの通学の際であれば、もう少しゆっくり走ってくれとも思っていた10分の電車の時間が、ひどく長く感じる。俺は貧乏ゆすりなのか、それとも寒さからくるものなのか分からない震えを、出来る限り体を縮こまらせて耐え忍んでいた。
駅に到着すると、電車は降りる人が優先されるという当たり前の一般常識に、初めて感謝をする。そこからは、夢中で走った。自転車を駐輪場へ取りに行く時間すら惜しかったから、真っ直ぐ後藤さんの家へと向かう。改札も、やけに多い車も、信号すらも、今日だけは憎かった。




