第39話 ローリングストーン。
「焼き物ってのは何を焼くにしても、大体共通している決まりがある。昔から表七割裏三割と言われるほど、表面を重点的にしっかり焼くことで、ふっくらとした焼き上がりになるんだ」
「なるほど……あんまり肉をひっくり返すのは良くないって聞きますけど、それが理由だったんですね……」
文化祭の出し物で焼鳥屋をやることになってから、俺はバイト中の空いた時間で、社長から肉を上手く焼くレクチャーを受けていた。
「炭は使えるのか?」
「はい。コンロを借りようかと思ったんですけど、社長の言う通り、やっぱり焼鳥は炭焼きの方がいいかなって……」
「それなら店で使ってる炭の業者に伝えておくから、そこで注文するといい」
「ありがとうございます!」
「よし……これ食ってみろ」
社長は焼き台から上げた串を、タレの入った壺に浸けると皿へ盛った。言われるがまま、ひと口食べる。
「めっちゃうまいです! ……でもこんなの、メニューにありましたっけ?」
「これは市販の激安冷凍串だ」
「え!? それでこんなにおいしくなるんですか?」
「焼き方と味付けだけでも、食材は化けるぞ。……人間にも同じことが言えるがな。たまにいるだろう? 化粧をとったら誰か分からなくなる女が」
「ふ、深いっすね……」
「文化祭はいつなんだ?」
「11月の終わりなんで、もう1か月きってます」
「じゃあ炭の扱い方から教えてやる。次からオープン準備で炭を熾すときは、青嶋に任せよう。そうすれば儂はもう少し遅く出勤出来るからな」
「あ、またパチンコ行く気ですね?」
「アイツには内緒だぞ?」
嬉しそうに笑うその表情を見て、妙に社長が協力的だった理由が分かった。
「しぃ、ちょっといいかしら?」
厨房と通じている小窓から後藤さんに声をかけられると、久しぶりにその名で呼ばれた気がした。
「どうしたんだ?」
「漬物石が重くて、持ち上げてもらえないかしら?」
「今行くよ」
俺が石を持ち上げると、後藤さんがバケツの中の漬物をかき混ぜる。膝をついていた彼女は手を止めてふと、俺を見上げた。
「なんだよその顔、早くしてくれよ」
「もし私がこのまま作業を終えなかったら、あなたはずっとそのままね……」
「おい、俺はのび太でもカツオでもねーぞ」
「ここは廊下ではないし、石の上にも三年って言葉があるわよね……」
「三年も過ごせと!? こんな状態で二十歳を迎えろってのか!?」
「あなた、誕生日はいつ?」
「12月だけど……」
「じゃあ、ギリギリセーフね……」
「アウトだよ! おい、そろそろ限界だ!」
「限界は超えるためにあるって、誰かが言っていたわ」
「知らねーよ、誰だそんな無責任なこと言った奴。もしそうだとしてもこれは絶対に超える必要のない限界だ!」
「私は、先人の残した言葉は大切にすべきだと思うわ」
「おい、何が望みだ……?」
「あなた……私に隠れて、姉と繋がっていたんですってね……」
ギクッという擬音が彼女に聞こえていないか心配になるほど、キョドってしまう。
「そ、それは……」
風香さん、このままじゃあなたのせいで俺が漬物石と共に風化します。
「まさかとは思うけれど、変な事、言っていないでしょうね?」
「神に誓ってそれはない!」
「あなた、神を信じていなかったわよね?」
「じゃ、じゃあ最愛の妹に誓ってそれはない!」
「いいわ、信用してあげる」
「じゃあ……早くそのバケツから手を離せ……」
俺の両腕は既にプルプルと小刻みに震えていた。
「今度、私の家で姉のバースデーパーティをすることになったの」
「そうか……それはめでたいな。その手をどけろ」
「姉さんが、あなたも連れて来いって……」
「なんで俺が……絶対お邪魔だろ。その手をどけろ……」
「姉さんが告げ口したらしくて、母も彼氏を紹介しろってうるさくて……」
「はあ? まだあの嘘バレてなかったのか? いいからその手をどけてくれ」
どういうことだ? 風香さんはとっくに俺と後藤さんが嘘の恋人だったってこと、知っている筈なのに。やっぱりあの人の考えていることは分からん。
「明後日なのだけれど、いいかしら?」
「それ、俺に拒否権ないよね? ちょっとやり方がずるくないか?」
「仕方ないじゃない。何か理由をつけないと、あなたはもう協力してくれないと思ったから……」
「……こんなことしなくても、喜んで協力するっつーの」
「え……? 本当にいいの?」
「後藤さんの彼氏役なんて光栄な大役、みんなやりたがるに決まってるだろ……」
「じゃ、じゃあ、そう伝えておくわ……」
さっきまでの高圧的な態度とは違って、今の彼女は挙動不審で落ち着きがなかった。やっと漬物石から解放された俺は、その時は腕が軽くなったように感じたが、翌日にはしっかり筋肉痛に襲われた。
その日のバイトからの帰り道、話を聞こうと風香さんに電話をかけてみる。
「もしもーし! どうした弟よ」
声色と喋り方だけで、酔っていることが丸分かりだ。
「どうしたじゃないですよ! なんで後藤さんに本当のこと言ってないんですか?」
「そんなの、そっちの方がおもしろそうらからに決まってるじゃーん」
「お母さんにも伝えたって聞きましたけど……」
「らって、母さんも姫華のこと、しんぱいしてたからねぇ~。安心させてあげようと思って~。じゃあ青嶋君も来てくれるんらね?」
「一応行きますけど、騙してるのは罪悪感があるんで、本当のこと言ってもいいですよね?」
「母さん、泣いちゃうかも……」
「風香さんのせいでしょ!?」
「じゃあさ~、ウソをホントにしちゃえばいいじゃん」
「そんなの、後藤さんの気持ちはどうなるんですか!」
「ん~? ってことは、君はまんざらでもないんら~」
「な……それは、言葉のあやです」
「君も姫華とおんなじらねぇ~。じゃあ当日、楽しみにしてるよ~」
ここで電話は一方的に切られてしまった。本当にあの人は、一体何がしたいんだ。
当日の夜、後藤さんのマンションの前へ来ると、一気に緊張が押し寄せてきた。嘘の恋人とはいえ、親御さんに挨拶をするなんて、なかなかにハードなイベントだ。インターフォンを押すと、玄関で後藤さんが出迎えてくれた。




