第31話 修学旅行2日目。(後編)
――結論から言えば、後藤さんの財布はすぐに見つかった。俺が電話をかけた時点で、心優しいご夫婦が寺院関係者に届けてくれていたのだ。あんなに綺麗な景色に囲まれた場所には、心の綺麗な人しかいないのかもしれない。盗まれる心配をしていた自分が恥ずかしいとすら思えてくる。
本日四度目の道は、ゆっくりと歩いた。
「すぐに見つかって良かったな」
「ありがとう。でも私のせいで、あなたまで遅刻になってしまったわね……」
「俺は慣れてるから平気だよ。それよりも後藤さん、先生に怒られた事とかあるの?」
「ないわ……」
「ってことは初めてかぁ……お説教を聞き流すコツは心を無にすること。俺はたまに耳栓つけたりするけど、バレたら余計に怒られるんだよなぁ。でも後藤さんなら髪で隠れるからいいんじゃないか? 貸そうか?」
「……アルバイトの時もそうだったけれど、私が困っていると、青嶋君はいつも助けてくれるわね」
「なんだよそれ。困ってる人がいたら普通は助けるだろ。それが友達なら尚更だ」
「ずっと不思議だったのだけど……あなたって、なぜ彼女が出来ないの?」
「おい……俺を褒めたように見せかけてトドメ刺そうとしてないか?」
「ネガティブな意味ではなくて、むしろその逆よ……」
「そんなこと、俺が聞きたいよ」
「あなたの良いところを見てくれている人が、きっといるわよ。ただそれに気付いていないだけなんじゃないかしら……」
「どういう意味だよ……」
「そのままの意味よ。あなたは自分が思っているよりもずっと、頼りになるし素敵な人だと思うわ。私が保証する」
「え、もしかして告ってる?」
「バカなの? 友達としてあなたの恋を応援すると言っているの」
「はい、すみません。ありがとうございます」
交差点に差し掛かったところで後藤さんは振り返ると、俺に指を向けながら怪訝な顔を浮かべる。「いい?」と、話し始める彼女の死角から原付バイクが恐らく法定速度を無視して向かってくるのが見えた。
「あなたはもう少し周りに目を向けるべき――」
「――後藤さん危ない!」
俺は咄嗟に彼女の腕を掴んで引き寄せた。間一髪で接触はなかったが、何事もなかったかのように運転手はそのまま走り去ってしまった。
「ったく、あぶねぇ運転だなぁ……後藤さんこそ周り気を付けろよな」
「あの……青嶋君……」
「なに? 怪我とかしなかったか?」
俺はずっと去っていく運転手を目で追っていたから、この状況に何も違和感を抱いてはいなかったが、この後の彼女の言葉でそれに気付く。
「私が悪かったから……そろそろ離してくれないかしら……」
俺は交差点のド真ん中で、後藤さんをかなり強めに抱きしめていた。小浦家での一件を思い出した俺はすぐに手を離すと右の頬を両手で守る。
「ごめん、これは不可抗力だから! 断じて悪意はない!」
俺の恐れていた反応とは違い、彼女は顔を反らしながら小さな声で返した。
「分かっているわ……また助けてくれて、ありがとう」
――この時、姫華は焦っていた。それは轢かれそうになったことが原因ではない。いや、吊り橋効果のようにそれも少しは関係していたのかもしれない。だが彼女にとって、命の危険よりも初めて男性から強く抱きしめられた出来事の方が、彼女の心臓をより強く激しく叩いていたのだ。その感じたことのない脈の速さを、動悸だと勘違いしてしまうほどに、姫華は動揺していた――
「ホントに大丈夫かよ、顔赤いぞ? もしかして熱あるんじゃ……」
俺が差し出した手を、後藤さんは言葉で弾き返す。
「触らないで!」
「ご、ごめん……」
「ち、違うの……これは少し、驚いただけだから……」
それから宿舎に帰るまでの45分間、俺たちは一度も言葉を交わさなかった。
先生からのお説教はそれほど長くなく、どちらかというと、ただ心配してくれているだけにも見えた。そんなことよりも、俺は後藤さんに嫌われたのだと、そう考えると飯も喉を通らない。風呂にでも入って気分転換をしようと大浴場へ向かっていると、昨日とは逆のシチュエーションになる。
「青嶋くん、話しがあるんだけど……」
「小浦……」
昨日と同じ場所にやってくると、なんとなく今日はベンチに座った。月が綺麗だった。
「姫と、なんかあった?」
「俺……嫌われたかもしれない……」
「はぁ……」
小浦は立ち上がると、向かい合うように俺の前へと移動した。いつもはあんなに小さく見えるのに、今は自分よりも大きく見える。
「姫は嫌いな人とは一緒に行動なんてしません。ちゃんと二人一緒に帰ってきたじゃん」
「でも、向かう先が同じだし仕方なかったんじゃ……」
「姫なら先生に怒られるのも承知で電車の時間ずらしてでも別々に帰ってくるよ」
「でも……」
「あーもう、うるさいなぁ! 姫のことは青嶋くんよりあたしの方がよく知ってるの!」
「ご、ごめん……」
「とにかく! 2人がそんな感じなのは、あたしが嫌なの! 何があったのかは知らないけど、早く仲直りしてよ……」
「でもなんて話しかけていいのか分かんねーし……」
「……じゃあ、明日の遊園地も、自由行動の班で一緒に回ろうよ」
「……他の友達はいいのか? 約束とかしてるんじゃ?」
「もともと姫と2人でいるつもりだったし大丈夫だよ。あたしもアシストするから、絶対明日中に仲直りして!」
「わ、分かった……」
少し強引なくらいの小浦に負けて、俺はその提案を了承した。結局この修学旅行中に俺がぐっすり眠れることはなかった。
――将と別れた舞は、明日の遊園地を一緒に行動するはずだった友人たちに頭を下げて回った。舞は自身が嫌いなはずの『優しい嘘』を、無意識の内についてしまったことに、まだ気付いてはいない。
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