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◇特別寄稿◇ 徳川家譜代・石川数正公出奔 異聞

作者: 水本爽涼

 徳川家の重臣、石川数正公が何故、豊臣家に出奔されたのか? その理由が歴史学者によって諸説、流布されている。私もその理由の異聞をいつやら聞かされた覚えがある。そう深く考えず、短慮に捉えれば、そりゃ、豊臣家の方が厚遇されると考えるだろう…と言う。私もそのように思っていたが、実はこの出奔の裏には隠された真実があったのだとさらに言う。そうなのか? と首を(かし)げると、さらにペラペラと語り始めた。その異聞を今日はお話ししようかと思う次第だ。

 現代、我々が暮らす大手企業には競合企業に送り込む産業スパイのような存在が密かに養成されているそうだ。それと同様に、戦国の世でもそのような情報戦は展開されていたらしい。調略と呼ばれるそうで、今でいうミッション・インポッシブルの企業版だそうである。徳川家譜代の石川数正公は徳川家康公から密かに豊臣家の内情を探るよう厳命されたのだと言う。

「と、殿…」

 石川数正公は泣きの涙で家康公の前で泣き崩れられた。そしてしばらくして、「分かり申した…。そのお役目、この数正が生涯をかけてお引き受け申しまする…」と、涙目で家康公に(すが)られたらしい。

「ぅぅぅ…数正、頼み置くぞっ!」

「ははっ!!」

 このようなやり取りがあったかどうかは別として、数正公は豊臣家へ突如、出奔されたそうなのである。豊臣家へ数正公が出奔されてからというもの、徳川家家臣団の動揺は深刻だったというのが通説だが、真実はその内情をすべての重臣だけは知っていたのだと言う。そうなのか? とさらに()くと、そうなんだ…と自信ありげに言う。私も自信ありげに言われては、そうかも知れん…と思った次第だ。

 皆さんがどうお考えかは勝手だが、私が聞かされた異聞をお伝えして参考にして頂ければ有難い。


 ※ 歴史に消えた石川家ではありますが、その後、闇の金[年金のようなもの]が密かに支給されていたとも聞いております。

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