あなたの『番』は埋葬されました。
人によってはセンシティブな内容が含まれるかと思います。
「待ってくれっ!?」
道を歩いていたら、いきなり見知らぬ男にぐいっと強く腕を掴まれました。
「なんです? いきなり人の腕を強く掴んで引き留めるなど失礼ではありませんか? 痛いのですが? 放して頂けませんか?」
男は、どこかうっとりした様子でわたしのことを見詰めています。
「すまない、だが……ああ、漸く見付けた。愛しい俺の番」
なにやら、どこぞの物語のようなことを宣っています。正気で言っているのでしょうか?
「はあ? 勘違いではありませんか? 気のせいとか」
そうでなければ――――
「違うっ!? 俺が番を間違うワケがない! 君から漂って来るいい匂いがその証拠だっ!」
男は、わたしの言葉を強く否定します。
「匂い、ですか……それこそ、勘違いでは? ほら、誰かからの移り香という可能性もあります」
なんでしたっけ? 過去に、番だと思った人にプロポーズをしたら、その人が直前に会っていた人や、その人の兄弟姉妹が番だったという話を聞いたことがあります。
そして、『番』だと思われた人が責められたのだとか。なんとも言えない話です。
「そんなはずないだろっ!? 君は、番である俺と出逢ったというのになにも感じないというのかっ!? 俺は、こんなにも君のことを愛おしいと、全身が訴えているというのに!」
声を荒げる男。益々、腕を掴む手に力が入ります。
「そうですね……なにも感じませんね。というワケで、あなたの勘違いなのではありませんか? それと、いい加減手を放してください。痛いと言っているではありませんか」
ギリギリと、獣人の力で握られて腕が痛い。後で痣になったり、捻挫したりしなければいいのですが。
「す、すまない、君を傷付けるつもりはないんだ。だが、君に触れていたい……」
謝りながらも、腕を掴む手は力が弱くなっただけで放されません。
「嫌です。放してください。それとも、道端でいきなり暴行を受けたと訴えても宜しいでしょうか?」
番がどうのと喚く獣人には、話が通じないと聞いたことがあります。成る程、こういうことなのですね。
「ぼ、暴行っ!? そんなつもりはないんだ。すまない、怪我はないだろうか? ああ、いや、怪我をしていては大変だ。今すぐ、病院へ行って診てもらおう!」
おろおろとして、けれど自分の要求を通そうとする男に苛立ちます。
「結構です。というか、最近はこのようにして、健康診断がてらに獣人の経営する病院へ入院させ、そのまま番だと名乗る獣人の家へと監禁されるという事件が多発しておりますので。知ってます? 本人の同意無く拉致監禁した場合は犯罪となるのですが」
昔から、この手の誘拐騒ぎは多いのです。獣人以外……『番』を強く求めるという特性の無い種族は、獣人に同族が無理矢理攫われて至極迷惑を掛けられて大変な思いをするということがあるので。
「っ!? なぜだっ!? 君は俺のことを好きじゃないというのかっ!? ……いや、待て。もしかして君は、人間か?」
「ええ。獣人ではありませんね」
まあ、正直……番どうこうどころか、わたしには恋愛感情すら理解できないので。愛情は理解できますが、恋情というものがわかりません。
なぜ、好きと思っている相手を、好ましいと思っている相手を、自分の欲望だけで傷付けてまで手に入れようとするのか、さっぱりわかりません。
「そうか、だから……番という素晴らしい存在を感知できない憐れな種族。しかし、俺の番となったからには、そのような憐れさとは無縁だ。これから、たっぷり愛し合おう」
悲しげに、憐れなものを見るように、段々と高揚した顔がギラギラとわたしを見詰めますが……
「お断りします」
この男の愛など、わたしは必要としていません。
「なぜだっ!?」
なぜ理解しない、という風に男が責めるように問います。
「なぜ? なぜ、と聞きますか? 知っています? 昔から、獣人族は少しでも自身の性欲の対象になりそうな他種族のヒトを『番』だと称して攫い、性欲を発散させ、飽きたら『番ではなかった。勘違いだった』と言って身一つで放り出す。そのような犯罪を繰り返していることを。なので、他種族から見れば、『愛しい番』だと擦り寄って来る獣人は警戒対象。まず詐欺や誘拐、人身売買などの犯罪を疑えと教育されています」
ええ。力が強いという身体的特徴に加え、『番』という習性を悪用する獣人がいたのです。そんな獣人達に抵抗できず、不幸になった先人達が沢山いるのです。
「それは……その獣人達が悪いのであって、俺は本物だっ!? 本物の君の番なんだっ!? なぜ君は俺のことを信じてくれないんだっ!?」
『番』だからと、相思相愛になるのは同じ価値観を共有している場合。もしくは、お互いに熱烈な一目惚れをしたカップルの場合だけではないでしょうか?
『番』が他種族だった場合、いきなり相思相愛になるのはかなり難しいとされています。まあ、強硬手段を取らず、根気強く他種族の『番』を口説き落としたという獣人の方もいらっしゃるようです。とは言え、そういう理性的で紳士的な獣人は少ないようです。だからこそ、語り草になるようですが。
「ですから、それは獣人族の過去の行いのせいですね。信用が全くありません。大体、獣人族と仮にもヒト族を称しているなら、もっと理性を働かせては如何でしょう? では、わたしはこれで失礼します」
本当に、これに尽きます。もっと理性的であれば、『番』に関する数多ある悲劇、惨劇が免れたと思うのですが。
「待ってくれっ!! 君は俺の番だろっ!? 俺を放ってどこへ行くというんだっ!?」
悲痛な声を無視し、腕を外して歩きます。
「ですから、わたしはなにも感じないと言っているではありませんか。あなたの勘違いか、詐欺。または、別の犯罪を疑っています」
と、『番』を自称する男と別れましたが――――
「いつまで付いて来るつもりですか」
見知らぬ男にすぐ後ろから追い回されるというのは、非常にストレスとなりますね。勉強になりました。このようなストレスは、もう要りません。
「君はどこに住んでいるんだ? まさか、既に結婚などしてはいないだろうな? 結婚していたり、俺の他に男がいるなら、すぐにでも別れてもらうぞ!」
なにやら、彼の頭の中で勝手に話が進められているようですね。はぁ……獣人から『番』認定されてしまった他種族の先人達の苦労が忍ばれます。
「警邏を呼んでください。ええ、獣人の所属していない部隊を。『番』案件だと言えばすぐに来てくれる筈です。では、宜しくお願いします」
と、彼が喚いている間に職場の守衛さんへ警邏への通報をお願いします。
「なっ!? なにをする! 放せ! 俺の番がそこにいるんだっ!? 邪魔するなっ!?」
警備員さん達が複数名で、わたしの後ろへ付いて来ていた彼を取り押さえます。
「君からもなにか言ってくれっ!! 俺達の間は誰にも引き裂かせはしないとっ!?」
なにやら寝言が聞こえてきますね。
「ここがどこなのか、わかりませんか? わたしの職場、国立の研究所なのですが。無論、機密情報の取り扱いもあるので、普通に関係者以外立ち入り禁止です」
「なんだってっ!? これからは俺が君を守るから、もう君が働く必要は無いんだ。俺が君の世話を全てする。だから、今すぐ辞表を出しておいで」
はぁ……本当に、『番』だと認識したモノを前にした獣人は話が全く通じませんね。
「というワケで、全くお話になりませんのでさっさとどこかへ連れて行ってください」
「ハッ! お疲れ様です!」
と、警備員さんに丸投げすることにしました。
「なぁに~? なんの騒ぎなの? ウルサいんだけど~?」
そこへ、不機嫌そうな中性的な声が響きました。
「所長」
「あら、あなたが騒ぎを起こすのは珍しいわね」
「いえ、わたしというか……よくわかりませんが」
「俺の番と気軽に話すなっ!?」
「ぁ~……成る程ね~。そういうこと」
ほ~ん、と所長の麗しいお顔が冷たく喚く男を見やります。
「そこの、『ツガイガー、ツガイダー』とか鳴き喚いてる動物をさっさと外に摘み出して」
「ハッ! ただ今!」
「誰が動物だっ!? 俺は、俺の番を連れ帰ろうとしているだけだっ!?」
「はいはい、誘拐、監禁未遂の現行犯ってことも込みで通報しといてちょうだい」
不機嫌な所長が、彼への推定罪状をさらっと付け足します。
「さ、行きましょ」
「はい」
ぽんと所長の手が背中を押して促します。
「彼女に触るなっ!? 俺の番だぞっ!? 君も、勝手にどこへ行くっ!!」
「はいはい、あんな鳴き声は聞かない聞かない」
と、所長の手がわたしの両耳を塞ぎました。まあ、別にいいのですが……背後の気配が一段と騒がしくなったような気がします。
「で、あなたはどうするの?」
研究所へ入ると、にっこりと麗しいお顔に微笑みを浮かべた所長が質問しました。
「どう、と言われましても……」
まあ、至極迷惑ですねとしか思いません。
「・・・ま、まさか、あなたあの獣人と番うつもりっ!?」
なぜか所長の顔がさっと青褪めました。
「アタシ、余計なことしたかしらっ? で、でも、ほら! 他種族が獣人に番認定されても、迷惑というか誘拐とか監禁とか犯罪チックな展開になることが多いじゃないっ!? アタシ、あなたにはそんなつらい思いをしてほしくなくてついっ!?」
「ああ、いえ。どうやってあのヒトを帰らせようかと困っていたので助かりました」
「そ、そう? なら、よかった……のよね?」
「はい。ありがとうございます、所長」
「いえ、アタシの可愛いあなたが困っているならなにを置いても助けるのは当然だもの」
ほっと落ちる溜め息。
「とりあえず……そうですね。試したい実験ができました。なので、一月程お休みをください先生」
「え? 実験って、なにをするつもり?」
「『番関係』の破棄はできるのか、と思いまして」
「……その実験の為に、一月の時間が必要なの?」
「ええ。一月もあれば……多分」
「わかったわ。でも、どんな実験をするのか教えてちょうだい」
心配そうな顔がわたしを見下ろします。先程、あの獣人の彼を冷ややかに見ていた顔とは思えない程の変わりようです。
「……」
「あ、違うのよ? あなたの研究を横取りしようとか、そういうことは考えてないの。ただ、あなたのことが心配なだけなの」
あわあわと表情を変え、わたしを伺う所長。
「ほら、『ツガイダーツガイダー』って五月蠅いさっきのあの獣があなたを連れ去ろうとするかもしれないし……だから、ね? アタシにはなにをするのか教えてほしいなぁ、って。ダメ?」
悲しそうにわたしを見詰め、こてんと首が傾げられます。
全く、先生は……なぜかわたしに甘いのですよね。まあ、種族特性と言えばそうかもしれませんが……先生は、ちょっとやそっとじゃ他人には興味を持たない種族です。
それがなぜか、わたしのことをとても気に入ってくれて……わたしが子供の頃から甘やかしてくれるんですよね。まあ、わたしが研究職に進もうとしたら、先に就職して所長になって……呼び寄せられたときには驚きましたが。先生は……長命種で豊富な知識を有しているので、こうしてわたしを可愛がってくれるのもある種の娯楽の一環なのかもしれませんけど。
「『番』とはなにを以て『番』たらしめているのか、という確認をしたいと思っています」
「んもう、つれない返事ね……」
つんと、色の薄い艶やかな唇が尖ります。
「でも、いいわ。それじゃあ、これだけは約束してちょうだい。危なくなったら、アタシを呼んで。どこにいても、絶対に駆け付けるから」
「はい」
「あ、危なくなくても全然気軽に呼んでくれていいわよ? あなたに呼ばれるのは大歓迎だもの。寂しいとか、ちょっとお喋りしたいときとかでもいいの。ね?」
「ありがとうございます。もう一つ、お願いしてもいいでしょうか?」
「いいわよ。なぁに?」
にこりと優しげに微笑む先生。
「先程の彼とは、実験中は顔を合わせたくないのです」
「ふふっ、大丈夫よ。あなたにお願いされなくても、あの獣のことはこちらで対応するつもりだったもの」
「そうですか。では、宜しくお願いします」
「でも……本当に一月でいいの? 一生顔を見なくて済むようにした方がよくない?」
「はい。実験結果を知りたいので」
「……わかったわ。でも、次にあの獣と顔を合わせる場には、アタシも立ち会うから。これは譲れないわ。『ツガイガー、ツガイガー』って鳴き喚く獣人は危険なんだから」
「わかりました。ご迷惑をお掛けします」
「ううん、迷惑なんかじゃないわ。それじゃあ、行ってらっしゃい」
「はい。行って来ます」
と、わたしは実験を行うことにした。
それから一月後。
「ああ、やっと来た! もう、全然アタシのこと呼んでくれないし、心配したの……って、なんだか窶れてないっ!? どうしたのっ!? 実験に明け暮れてまた不摂生したのっ!?」
研究所に戻ったわたしを見て、おろおろとする先生。
「いえ、不摂生ではないのですが……」
ある意味、人体実験になりますかね。わたし自身の身で。
「では、所長。あの彼を呼び出して頂けますか?」
「そんな顔して、あの五月蠅い獣と会うつもりなのっ!? 無理しないで休んでなさいよ!」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫じゃないわよ! あの獣、番と引き離されたって、相当荒れてるらしいのよ? そんな状態の獣にあなたを引き合わせたらどうなるかわからないじゃないっ!?」
「先生。わたしは、自分の実験結果が知りたいのです。彼の誤認や詐欺ではなかったと仮定して。わたしが彼の『番』であったとして。わたしは彼の『番』を外れられたのか」
「……ああもう、わかったわよ! それじゃあ、武装した警備員も同席させること! そして、相手の態度如何によっては武力行使も問わないこと! これが最低条件よ!」
「ありがとうございます。無理を言ってすみません」
「いいわ。番から外れることができるなら、きっとどんなことをしても番をやめたいであろう人は沢山いると思うから。そういう人達の一助になるかもしれないものね」
こうして、わたしは獣人の彼と再び会うことになった。
厳重警戒の中、わたしを見た彼は――――
「あ、れ? 一体、どういうことなんだっ!?」
不可解という顔をし、次いで怒りを乗せて怒声を上げました。
「貴様っ、俺の番であることを偽っていたのかっ!?」
どうやら、彼はわたしを『番』ではないと認識したようです。
ということは、実験は成功したようですね。喜ばしいことです。
「いえ、始めに言ったと思います。あなたがわたしを『番』だと認識したのは勘違いではありませんか? と。もしくは、わたしに移った誰かの残り香だったのでしょう」
「それは誰だっ!? 俺の番はどこにいるっ!? 言えっ!?」
怖い顔をして詰め寄ろうとする彼を、警備員さん達が押し留めます。
「残念ながら……あなたの『番』は埋葬されました」
「え……? は? な、なにを言っているっ!? 俺の番が死んだというのかっ!?」
「残念ながら。あの日より数日後に、あなたの『番』は埋葬されました」
「どこだっ!? どこの墓地にっ!?」
「申し訳ありませんが、プライベートなことなのでお教えでき兼ねます。現状、『番』だと主張しているのはあなた一人ですし」
「た、頼むっ!? この通りだ、教えてくれっ!? せめて、会うことすら叶わなかった番の墓参りをさせてほしいっ!? お願いだっ!?」
ガバっと、いきなり彼が額着いて頼みました。
「埋葬場所を教えることはできませんが……これをどうぞ。あなたの『番』の灰です」
と、わたしは彼に灰の入った小瓶を差し出しました。
「あ、ああ……すまない、ありがとう……ありがとう」
そうして彼は、涙を流しながらとても大事そうに小瓶を抱えて帰って行きました。
「・・・で、どういうことなの?」
彼が意気消沈と帰った後、即行で先生のお部屋へ拉致されたわたしは、ソファーでガッチリホールドされながら先生に詰め寄られています。
相変わらず、先生はお綺麗です。ええ、大層不機嫌なお顔をされていても、艶やかな黒髪と黒に見える程に深い蒼の瞳はすこぶる麗しい。
「そうですね。実験は成功。『番関係』の解消は可能だということですね」
「……あなたが、こんなに窶れていることも無関係ではないわよね? 言いなさい。番関係を解消する、相応の代償を」
険しいお顔が、嘘は赦さないと言外にわたしを見据えます。
まあ、別に嘘を吐くつもりは毛頭ないのですが。でも、きっと怒られてしまう……のでしょうね。先生は、昔からわたしに対して過保護ですし。
「まず、『番』とはなにを目的とした習性なのかを考えました」
「繁殖目的なんじゃないの? ほら、短命種がより良い子孫を残すってやつ?」
「はい。わたしもそう思ったので、では片方が繁殖ができない状態になれば、相手へ対する『番』だという認識が失われるのでは? と、考えました」
「成る程ね……って、ちょっと待ってっ!? 繁殖ができない状態ってなにっ!? あなた、自分の身体に一体なにをしたのっ!?」
バッと、先生の手がわたしの両頬を掴み、顔を覗き込みます。
「ちょっと子宮摘出手術を受けてみました」
『番関係』解消実験だと説明したら、快く引き受けてくれた外科医がいたのです。
「はああああああっ!? ちょっ、本当になにしてるのよっ!? あなた別に病気でもなんでもなかったじゃないっ!? そりゃ、ちょっとばかり不摂生して、あんまり健康優良児とは言えなかったかもしれないけどっ! でも、だからって、普通に子供を産むのに支障ない身体だったわよねっ!? なんでそんなことしたのっ!! っていうか、待って。もしかして、具合悪そうというか、窶れてるのも手術したからっ? まだ傷口治ってないっ!?」
「一応、歩けるくらいには回復しました」
まだ傷口が痛みますが。
「ヤだっ!! それって歩けないくらい弱ってたってことじゃないのっ!? ああ、大きな声で怒鳴ってごめんなさい……ど、どうしましょう! 寝るっ!?」
怒ったり、心配したりおろおろと目まぐるしく変わる先生の表情。
「どこか痛いところは? 薬はあるのかしら? ちゃんと飲んでる?」
「今は大丈夫なので落ち着いてください。あと二時間程したら、服薬時間になりますが」
「わかったわ……でも、番がそんなに嫌だったら言ってくれればよかったのに。あなたが自分の身体を痛め付けてでも番を解消するくらいなら、あの獣の方をどうにかしたのに」
しょんぼりと、泣きそうな顔で先生が言いました。
「いえ、自分で自分を痛め付けた……という解釈もある意味間違ってはいませんが。これは実験の一環です。『番』を自称する相手が本物であることなど、珍しいことなので。『番関係』の解消実験を自分でできるなど、なかなか無いことなので。やってみようかな? と思いまして。まあ、一応わたしも生物学上は女なので、子を産む機能は備わっていましたが。使用……というか、妊娠・出産をする予定はしておりませんでしたから。この機会に、試してみようかと思った次第です」
「ちょっと待って? というか色々待ってっ!? 短命種の女の子って、好きな人と結婚して、相手の子供を産む……的なことに憧れるものじゃないのっ!?」
「先生。それはかなり偏見が入っていると思います。別に子供が欲しくない女性もいると思いますよ? わたしは、結婚自体をするつもりもありませんし。ましてや、子供を産むなど考えたこともありません」
「……どうして、って聞いてもいいのかしら?」
躊躇いがちな質問。
「ええ。単純に、こんなわたしの子供として生まれて来る子が可哀想だから、です。わたしは、恋愛感情というものが理解できません。というより、わたしは……おそらくは、女としての自意識よりも研究者なのだと思います」
今回、『番』を自称する獣人男性が現れ……第一に思ったのが、「ああ、長年考えていた実験ができる」だったのですから。
「さすがに、『番関係』解消の実験の為に子宮摘出を快諾してくれる女性はあまりいないでしょうから。『番』だと自称する獣人男性に、あのまま拉致監禁されるのも嫌でしたし。自分が丁度いい検体になると思ったのです」
「……はぁ、あなたって子は全くもう……」
額を押さえて深い溜め息を落とす先生。まあ、わたしも自分が……所謂マッドサイエンティストの類だという自覚はあります。
「それに、この実験が成功すれば、『番関係』に悩んでいる方々の一助になるかとも思いまして。獣人の執着にうんざりしている、だとか。監禁されて精神を病んでしまった方などもいますし」
割と深刻なんですよね。『番』に関する悲劇は。
「まあ、獣共から逃れられるなら生殖器官なんて差し出しても構わないという、なりふり構わないヒトはそれなりにいるでしょうねぇ……」
「というワケです」
「経緯は、理解したわ。まあ、全っ然納得はしてないけどね! ひとまず、あなたの体調が思わしくなさそうだから、今お説教するのは勘弁してあげる」
どうやら、体調が戻るとお説教は免れないらしい。先生のお説教は長いんですよね。まあ、少々無茶をしたという自覚があるので甘んじて受けます。
「ねぇ、埋葬っていうのは? 嘘?」
「いえ、実際にお墓を作って埋めました」
摘出した子宮を燃やして、その灰を管理の厳しい……人族が運営する、獣人族の立ち入りが制限されている墓地へ埋めました。
管理者側に獣人がいると、下手をすると遺体ですら連れ去られてしまうと言いますからね。ご遺体を身近に置きたがるなら、まだマシな方。最悪、「一つになろう」と言って、番の遺体を食べてしまう獣人もいるのだとか……恐ろしい話です。
『番関係』解消実験のことを話すと、墓地の管理者は快諾してくれました。やはり、墓泥棒と言いますか……亡くなられた番のご遺体を掘り返して持って行こうとする獣人はいるようです。
「……あの小瓶の中身は?」
「適当にゴミを燃やした灰です」
以前にわたしが着ていた服の灰を詰めて渡しました。
「ふぅん……ゴミを後生大事に抱えて帰ったってワケ」
「はい。避妊薬で、生殖器官摘出の代わりになるかどうかも研究したいですね」
おそらく、一番『番』の認識から外れることができるのが生殖器官の摘出です。無くしたものは戻りませんし。まあ、部位欠損を治せるくらいの治癒魔術を扱えるヒトがいれば別ですが。手足や内臓の一部欠損なら兎も角。一臓器とは言え、丸ごとの損失は治すのが非常に難しいそうなので、あまり現実的ではないでしょう。
そもそも、『番』という認識は、現状で一番自身の子供が優れて生まれる確率が高い相手を本能で嗅ぎ分けて、『番』とする習性なのではないか? と思っています。
故に、『番』だと思って求婚し、子供まで生ませた後に、別の『番』が現れたというのも、ある程度説明が付きます。女性は妊娠、出産を経ると体質や体臭が変わりますし。匂いが『番』を識別する大きな要素であるならば、体質や体臭が変われば、『番』ではなくなることもあり得ます。
それを踏まえた上で、現状でのパートナーよりも、『新しい番』の方が優良な遺伝子を残せると本能が確信し、『番』が別のヒトへ変わることがある……というのが、わたしの推察です。
まあ、浮気性や心変わりで、『番』詐欺をしない、誠実だった獣人に『新しい番』が現れたという前提での、仮定ではありますが。
そんなことを考えていると、
「そう……あなた今、すっごく疲れた顔してるわよ。少し寝なさい」
先生がそっとわたしを抱き締めました。
「アタシが付いてるから、ね?」
ぽんぽんと、あやすように背中でリズムを刻む優しい手。ああ、子供の頃を思い出しますね。
「……怒って、いますか?」
「そうね。あなたの、ある意味自傷行為に少しだけ」
「……わたしを、嫌いになりましたか?」
「いいえ? 生殖器の一つや二つ減ったところで、身体欠損したところで、あなたがアタシの愛しい子なのは変わらないわ。おやすみなさい」
愛おしそうな優しい声と共に、柔らかい唇が額に落ちて――――
とろりとした眠気に負けました。
起きると……昔のように、また先生に世話を焼かれて、なぜか一緒に暮らすことが決定されていました。
「研究所を辞めて、また魔女の家で暮らす?」
と、冗談っぽく聞かれましたが……わたしが頷けば、きっと昔のように深い森の奥でわたしと一緒に暮らしてくれそうですね。
「いえ、まだ研究を続けたいです」
「わかったわ。それじゃあ、研究に飽きたときの楽しみにしましょう♪」
先生は、にんまりと麗しい笑顔を見せました。
❅❆❅❆❅❆❅❆❅❆❅❆❅❆❅
そう、あなたはアタシの愛し子。
最初は小さな幼子が、屋根裏の月明りで本を読んでいるのが気になった。
春の花冷えの夜も。夏の短い夜も。秋の肌寒い夜も。冬の雪の日には、さすがに凍死しちゃうじゃないのっ!? って、思わずエルフを模した姿を象って声を掛けちゃったのよねー。「あ、なた……は誰、です……か?」って掠れた小さな声で質問されて、「魔女よ」って答えたんだっけ。
な~んか、よくある感じに母親が死んだあとに入った後妻と連れ子に邪険にされて。父親も全然庇ってくれないとかで家庭環境が悪くて、屋根裏に追いやられて……死なない程度の食事は与えられるけど、それ以外は放置。けれど、全く泣く様子もなく、屋根裏に仕舞われていた本をひたすら読んでいたという。
アタシが見付けたときにはもう、こういう子だった。元々こういう気質だったのか、放置され続けた諦念がこういう気質に育んだのかは不明ね。
あまりにも誰とも話してなくて、出難くなっていた掠れ声でぽつぽつと事情を聞いて――――よし、要らないなら攫っちゃいましょう! と、誘拐を決行した。「アタシは悪~い魔女だから、気に入った子供を攫って弟子にするの」な~んて適当なことを言って、別の国の魔女の住み家だった空き家を拝借。気に入った子供とアタシが言ったときに、泣きそうな笑顔を見せられて、思わずぎゅっとしちゃったわ。
それから、「弟子……なら、ししょーって呼ぶ? それともせんせ?」なんて聞かれて、好きに呼びなさいって答えたら「じゃあ、せんせにする」って、先生って呼ばれることになった。可愛いから善し!
あの子の実家? 全く興味無いわね。まあ、探されるのも面倒だから何度か見に行ったけど……探されてる様子は無かったから、もう知らないわ。
一応、アタシも子離れ、って言うの? してみようとは思ったのよ? それで、人間の幼体が通う学校に通わせてみたの。そしたら、この子ってばかなり優秀で……ちょっと目を離した隙に、いいように国に囲われて使われそうだったから。思わず口出しというか……ぶっちゃけ、隷属とかされそうだったからブチ切れて研究所乗っ取っちゃた♪洗脳とも言うわね。ちなみにアタシは名ばかり所長。本当は副所長が責任者よ。
というか、アタシが職員洗脳して乗っ取った方が職場環境が良くなるって、ヒト族の研究者ってヤバくない? なんで、短命種ってこんなに欲深いのかしら?
なんかもう、ホントこの子って放っとけない子なのよね。
鈍感で、いろんなことに無頓着で、恋愛感情を理解しないところも。狂気を孕んだ、その研究者気質ですらも……全てが愛おしい。
生殖器の一つや二つ無くしたところで、両手足が無くなったところで、寝たきりになろうとも、アタシが惹かれているのはあなたの魂だから――――
どこぞの獣のように生殖できないからってだけで、あんなに簡単に諦めてあなたの傍を離れないわよ。
うふふっ……アタシの種族は基本的には、他種族に無関心だけど。愛し子は別。ちょっと目を離すことはあるけど、完全に手を放すことはない。
生殖を必要としない精霊の執着の方が、『番』なんかよりよっぽど深くて強いと思うの。だって、性行為しなくてもず~っと好きでいられる。子孫なんていなくても全っ然気にしない。互いを結び付けたり、縛り付けるものなんて、アタシには必要無い。
ある意味では、愛し子からの気持ちも要らない。
無論、愛し子から好意を返してもらえれば嬉しいわ。まあ、中には愛し子が愛し返してくれないから見限るって短気な奴もいるけど。
でもアタシは、気持ちを返してもらえなくても気にせず、愛し続けられる。あなたという存在があれば、それでいいの。
ある意味、酷く一方的な愛情ね。
あなたが、あなたで在る限り。アタシはきっとあなたを愛し続けるわ♡
――おしまい――
読んでくださり、ありがとうございました。
番ものを書いたらこんなんなりました。不快に思った方がいたらすみません。
ある意味、番からは逃げ切りエンド。まあ、先生に囲い込まれてますが。(*`艸´)
主人公ちゃん……生物学上は女性ではあるけど、その前に研究者。子供要らんし、女って面倒だわー。と、これを機に子宮摘出。自分の身体で人体実験をする程度にはマッドなやべぇ人間。多分、あんまり親になっちゃいけないタイプ。先生に拾われなかったら早死にしてるか、歴史に残る悪のマッドサイエンティストになってた可能性あり。
エルフの魔女を装っているオネェっぽい先生……実は夜の上位精霊。ヒト族にモテてもしょうもないわー。と、現状は性別無し。本当は部位欠損なんぞ簡単に治せるけど、主人公ちゃんが望まないっぽいから治さない。世話焼きおかん気質。精霊なので、偶に時間の感覚がおかしい。
自称番の獣人君……主人公ちゃんを番だと認識してしまったのが運の尽き。傲慢で横柄な性格だったのが、見る影もなく意気消沈。多分犬系の獣人。
おまけ1。
先生「魔術に錬金術、呪術……他にも色々と、身体を傷付けないで番解消する方法はあるのに。よりにもよって、なんでこんな方法選んだのよ……」(ノω・`|||)
主人公「魔術や呪術が永続的に続くとは限りませんし、錬金術に関しても、貴重な触媒や素材が必要不可欠だと思いましたので。特別な才能や神秘的事象に頼らず、普通の人でも努力如何で身に付けられる医術でどうにかならないか? と、思ったのです」( ・`д・´)
「なので、あまり悲しまないでください。先生」(´・д・`)
先生「ああんもうっ、この子ったら!」♡(*>ω<)’ᵕ’*c)ギュ~ッ♡
おまけ2。
先生「まあ、下手に治してもまた『ツガイダーツガイダー』鳴き喚く獣が寄って来ても嫌じゃない? 勿論、あの子が望むなら全力で治すつもりだけど♪」ꉂ(ˊᗜˋ*)
主人公「先生、どうかしましたか?」(੭ ᐕ))?
先生「ん~ん、なんでもないわ。それより、生殖機能を失った獣人の検体って要るかしら?」( ◜◡◝ )
主人公「そのような方が被検体になってくれるのですか?」o(*゜∀゜*)o
先生「うふっ、ええ。番を亡くして意気消沈して、後追い自殺をしようとしている獣人のご家族に許可を頂けないかしら? って思って」(*`艸´)
主人公「成る程。さすが先生ですね」(*^▽^*)
先生「それじゃあ、ちょっとタマ……じゃなくて、許可を取りに行って来るわね。いい子で待ってるのよ♡」(*´∇`*)
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