春
昼下がり。快晴。コーヒーの匂い。
ペンを握ったまま、書斎で微睡んでいた。
まだ執筆の途中だが、このまま寝入ってしまえば
さぞ、面白い夢が見れるだろう。
よしよし。誘惑に身を委ねてみよう。
瞼よ、ゆっくりと閉じ・・・
「コツン」
ようとした矢先、窓に何かが当たった。
控えめだが、鮮明な音色に思わず、瞼は開いてしまう。
もう少しだったのに、とため息を吐きながら、ぼんやりと考える。
ここは2階。蜂が家探しにでも来たものか。
音の正体を探るため、椅子を傾け、横目で窓を見る。
どうだろう。蜂では無かった。
窓いっぱいに和らげな陽を押し付けながら
春光がじーっと、覗き込んでいる。
驚きで頬杖にしていた左手が机からずり落ち、ついでに眼鏡もずれる。
「僕より寝坊助とは、恐れ入るよ」
1年ぶりの再会。挨拶もなく、窓越しに煽ってきた。
変わらない軽口。脳まで届いた瞬間、
俄然回るまわる。
お前が来たから眠たくなったのさ。
朗らかな日差しというものは、
万人の最高の寝具となり得るからね。
会心のレスバ。1秒未満の返し。
心地よいテンポだ。懐かしくもある。
挨拶がわりのラリーを2、3往復する。
ふふっ、思わず笑みが溢れる。お前もだろう?
あぁ、もうそんな季節か。ならば準備をしないと。
「見てごらん。街はすっかり、他所行きの格好さ」
促され、思わず窓を開ける。
目の前をモンシロチョウがふわふわ、と横切り、
桜の花弁に着地する。
同時に春疾風が吹き、木々が体をくねらせる。
ザワワ、と歯が擦れ合い、舞い、ひらりひらり。
アスファルトの上に降り立つ。
あぁ、これは夢より面白いかもしれない。
行こうか。出会いを探しに。
小説より奇な事に期待して。
ベットに無造作に放ったコートを羽織り、
お気に入りのパーラーハットを被って。
とことこ階段を降る。
おっと。コーヒーを忘れちゃ、台無しだ。
コンコン。先に降りていたらしい春光が扉を叩く。
コンコンコンコン。忙しないな。待ちきれないみたいだ。
ふふっ。
革靴を履く。全身鏡を覗く。
まぁまぁ、恥ずかしくはないファッションだ。
よし。
玄関を開ける。息を目一杯吸い込む。
春の匂いが、始まりの合図を告げる。