1週目
ここは名古屋市中村区にある小さな広告会社、アタリメ株式会社だ。名古屋駅のすぐそばなのでなにかと便利である。そんなアタリメでは最近、社員同士の仲があまりよろしくないようだ。特定の誰かという訳ではなく、全体的に社員同士がコミュニケーションを避けているように見える。
これは一大事である。会社にとって1番大切なのは人間関係だ。社員にとって最高の環境を整えることこそが社長である私の務めだろう。そう思い、私は先週から意見箱を設置している。そこに不満に思っていることを書いた紙を入れてもらい、週末の会議でそれについての話し合いをすることにした。私や上層部への不満などもあるかもしれないので、意見箱を開けるのは新入社員の仕事とした。これは隠蔽を防ぐためだ。
そして今日は金曜日。ついにやってきたのだ、意見箱初開封の日が。この会社で1番新しい太田くんに意見箱を回収してもらい、紙を読み上げてもらう。
『杉山さんの体臭に耐えるのがそろそろ限界』
いきなりキツめのが来たなぁ。無記名式にしてるとこういうことを書くやつがいるのか⋯⋯杉山くん、大丈夫かな。
「こうやって名指しで書くのはちょっとどうかと思うな」
少しだけ怒ってみた。これはさすがに杉山くんがかわいそうだから。
「いえ、私が悪いんで⋯⋯香水でもつけますね⋯⋯」
マジで誰だよこれ書いたの。見てられないだろ。どうにかして空気を変えたい。今の空気は控えめに言って最悪だ。杉山くんの目も潤んでいる。
「どんな香水つけてもらうか相談しようか」
専務の石田くんは空気が読めない。そこまですると杉山くん本当にかわいそうだよ。みんなの前でくさいって言われて、つける香水を決める会議なんてされたんじゃもうお嫁に行けないだろ。
「ぜひお願いします、やっぱり自分の臭いって自分じゃ分からなくて」
杉山くん乗り気だな。杉山くんは2年前、女子大を卒業してこの会社に入った、2番目に新しい子なのだ。そんな子にこんなことって思ってたけど、私が思ってたより本人は強かったようだ。
「やっぱり女の子らしい香りのがいいんじゃない?」
杉山くんの教育係の新田くんが言った。大人の女性としてのアドバイスだな。それにしても、女の子らしい香りってどんなのだろうか。私は香水なんて使ったことないからからっきしだ。
「ラベンダーとか?」
石田くんはラベンダーがオススメなようだ。ラベンダーってなんだろう。どんな匂いなのか想像もつかない。
「あの⋯⋯村上さんはどう思いますか?」
杉山くんが村上くんに聞いている。村上くんは今流行りの量産型イケメンロボみたいな子だ。杉山くんは村上くんが気になるのだろうか。2人が話してるところを1回も見たことがないけど、これは片想いなんだろうか。といっても村上くんはあまり喋らない人間で、自分から人に話しかけたところは見たことがないし、酷い日は1日無言と言うこともある。
「しそ」
しそ。あのしそ?
「なるほど! しそっていい匂いですもんね! ありがとうございます!」
杉山くんは喜んでいる。議題が発表された時はどうなるかと思ったけど、結果的に大成功なのではないだろうか。
「次行きますね」
太田くんが意見箱に手を入れる。
『石田さんがチョコ食べてた』
石田くんってチョコ食べちゃだめなの? 仕事中に食べてたとか? だとしてもチョコくらい良くない?
「マジすか! 石田さんチョコ食べたんすか!」
ここまで2文字しか喋っていない村上くんが声を荒らげて言った。この子の怒りポイントは本当に分からんなぁ。
「ごめん村上くん、なんで石田くんがチョコ食べちゃダメなのか教えてくれる?」
私みたいな年寄りでは分からない最近の事情があるのだろうか。
「北海道の人がチョコ食べるなんて、仙人がマック食べるようなもんですよ!」
ああそうか、そういえば石田くんは北海道出身だと言っていたな。ならダメだ。この会社のメンバーは全員北海道に行ったことがないのだ。なので神秘の地だと思っている。いや、それどころかもはや架空の島なのではないかと思っている者もいる。私はとりあえず空に浮いてるんだろうなとは思ってる。あるとしたらね。
「お前らな、北海道なんて馬が多くてめっちゃ寒いだけで、そんなみんなの思ってるようなところじゃないんだぞ」
石田くんが反論した。続けて石田くんは言った。
「そもそもさ、なんでダメって決めつけるのさ。仙人がマック食べちゃダメってどういう理由なの? 自分は食べてるのに人にはダメって、そういうの良くないよ」
だいぶ怒っているようだ。議論は2時間にも及び、結局石田くんはチョコ禁止になった。