ここどこですか?檻ですか?
顔を上げ、時計を見上げると、針は既に10時を超えていた。
「はぁ、疲れた。仕事辞めたい。帰りたい。」
自分以外誰も居ない部屋でポツリと愚痴る。
その日私は珍しく、夜遅くまで残業している。
理由は自業自得、3割程度は自分が悪い。6割は自然。そして1割は周りの誰か。
明日使う資料を早急に保存せずに作成していた所、停電が起こり全て消えてしまった。
昼から始めて、丁度定時で終わると思ったのに....
せめて雨が降っているのに気付いたら、せめて誰かが「保存すれば?」と言ってくれれば。
あのクソデブもよぉ。怒るなら、怒るで、せめて早く終わらせろよ、長々と一時間無駄にさせやがって。
ああ、思い出しただけでもイライラする。
まぁしょうがない、誰にも付き合わせること無く、明日に間に合うだけ、良かった。そう考えよう。
「さっ、さっさと帰ろ。ポチも待ってるし」
しっかりと保存を行い。3回程追加で上書き保存を行い。電源を落とし、電気を消し、会社を出た。
「はぁ......眠い」
ウトウトさせつつ、アスファルトの上を私は歩いていた。家に向かってである。いつもならもう少し明るいのだが、今は真っ暗だ。
ここがもっと都会なら、もう少し明るいのだろうが、残念ながら、そうはいかない。すごい田舎ってわけでも無いが、都会という程でも無い。
もしかしたら、都会でも暗い所は暗いのかも知れないけど。
そんな無駄な事を考えながら、トボトボ歩く。
私だって女だ。正直、夜道は怖い。誰が襲ってくるか分からない。もし彼氏でもいれば、メールなり電話なりするのだろうが、今は居ない。居ないものはしょうがない。
だが偶然のこのタイミングで、襲われる可能性が低いのは分かる。分かるけど、0パーセントではないの。私が今日その0.001パーセントを引く可能性だってある。そう、あの憎きカミナリのように。
そんな事を考えていると、あの奥にある、小さな明るい交差点がかなり怪しく見えてきた。
(あの角に誰か居るかも知れないわ)
不思議とそう確信した。
私はコンビニで買ったレジ袋を漁り、缶ビールを握る。
(武器になりそうなのは、これだけね)
そして一歩一歩慎重に交差点に近付く。
その交差点には街灯は付いているが、鏡は付いていない。なのであの角はこちらから死角だ。人が居ても不思議では無い。
なんなら過去に何度か、ぶつかり掛けている。
そして交差点まであと数歩の所で足を止め、ふと、我に戻った。
(もし人が居ても、それが不審者とは限らないわ)
それはそうだ。その方が遥かに高い。逆に本当に不審者だとしても、こちらから襲いかかれば、こちらが悪い。
だから方針を変える。
直感では何者かいる気がする。それが私のような一般人の可能性が高い。だが本当の不審者の可能性もゼロでは無い。
なので念の為、右手に缶ビールを装備し、平然を装いながら交差点を通り過ぎる。何も無ければそのまま通り過ぎればいい。
もし襲ってくる何かが見えたら、脳天に缶ビールを叩きつける。 よし、これで行こう。
「ふぅー、良し」
大きく息を吐き出し、気合を入れて踏み出す。自然に歩くように、しつつも、角の死角を通る際に横目でチラッと伺う。
「!!?」
来た。何か、黒い大きな何かが高速でこちらに向かって来る。その動きはただ明らか歩いているとかでは決して無い。
そこからの動きは、最早反射である。右手に持つ缶ビールで黒い何かに鉄槌を叩きつけた。
私は武術など経験は全く無い。喧嘩も中学生の時以来していない。なので加減なの分からない。だからこそ全力で右手を振るう。 そして同時に強烈な衝撃と共に私も宙に浮き上がる。
「………えっ」
ドッッッン
渾身の一撃は確かに命中した。相手にも私にも。だがその時大きな間違いをした。
なんで私はこれ程までに無謀な事をしてしまったのだろう。
私が攻撃したのは、車だった。
(あっ、私死んだ…)
宙に浮く瞬間に見えたのは、何故かヘッドライトが点いていない黒色の大きな車。車両はよく分からない、多分結構お高めの車。そして真新しい初心者マークと、目と口を大きく開いた男の表情。
無造作に背中からの着地をした後に、全身の痛みに逆らい。最後の力を振り絞り、曲がり角を見る。だがそこには誰もいなかった。人の気配も全く無い
(結局、勘違いか)
は何でこんな事に、今日の行い全てが間違いだった。
…もしカミナリが近くで落ちていなければ。
…もしあと時、保存していれば。
…もし説教があれ程長く無ければ。
…もし彼氏がいれば。
…もし交差点に不審を感じなければ。
…もしカンビールを買わなければ。
…もしあの時足を止めなければ。
…もし襲い掛からなければ。
…もし相手がヘッドライトを付けていれば。
…もし…………
今日の悪手を思い出しただけでも、切が無い。
「だっ、大丈.....」
少年のような声が耳に入り、そこで意識がプツリと途絶えた。
「グオ」
(ん、………眩しい…………)
眩しい日差しにより、目が覚めると、見たことが無い景色だ。
周りは壁に囲まれている。そして地面は石で出来ている。一言で言い表すなら、不自然な自然という所か。
そして光の方向に顔を向けると、そこには格子があった。
よくドラマとかで出てきそうな、悪い人が捕まる、牢獄のような所だ。
(もしかして、捕まったの?)
だが変だ。格子の向こう側は、明らか外である。
何なら人も通っている。カップル達や子供連れた家族達。
気味が悪い程自然に通り過ぎている。まるでこの明らかおかしな状況が普通なように。もしかして私に気付いていない。
(あの、すいません)
立ち上がり、格子の向こう側にいる人に話しかようとすると。
「グォォー、グゥガガグン」
こちらを見て、カップルは怖がるように、逃げてしまった。
な、何で?
「寝てたと思ったら、いきなり襲い掛かるって、怖すぎだろ熊谷さん。しかも立ちあがって」
後ろを振り返ると、そこには動物園の飼育員さんのような格好をした背の低い男性が、バケツの水を撒き散らし、ブラシを持って立っていた。
(誰この人。しかも熊谷さんって誰なの?)
続けてその男は不思議そうな顔をして。
「いつもは割と大人しい性格なのに珍しいな。もしかして発情期なのか?」
ムカ(# ゜Д゜)
何だこのクソが付く程、失礼極まりない男は。死ねば良いのに。
叩いてやろうと思い、手を振り上げた瞬間、その男性はブラシを離し、表情が半笑いから、真剣な表情へと変化した。
そして格子側から吹く風によって、ふと気が付く、
(アレ?私今もしかして裸?)
視線を下に下げると、そこには、ほぼ肌が見えない程の毛むくじゃらな下半身が見える。
(えっ、どういう事?)
「おい、俺にその拳を振り上げる意味は分かるよな?熊だからって調子に乗るなよ」
その飼育員の格好した小さな男は、指をポキポキ鳴らしながら、こちらに近付く、凄く睨みながら。
(何、意味不明な事を言ってるのよ、悪いのは明らか貴方でしょ)
「グォグォググラググオォォ」
「何言ってんのか、全くわからねぇが、この俺に対していい度胸だ。体に直接教えてやるよ」
その男(多分熊谷さん)は拳を構え、地面を蹴り、一瞬にして距離を詰める。
(速い!!)
「グアァ」
私は、それに合わせて咄嗟に右手を振り下ろした。
「遅い」
男は潜り込むように、私の攻撃を躱して、握った拳を私の毛だらけの腹に叩き込む。
(いっったっい)
「グォォウ」
私は強烈な痛みも共に石で出来た地面に倒れ込み。何かを思い出した。
(アレ?前にも同じような事が…………あっ、確か私はあの時轢かれて……えっっクマ)
私が目を開くと、バケツから溢れた水に、反射した自分の姿があった。
そこには凶暴な茶色のヒグマが映っていた。
(は?クマ?)