ep0. 5 「真夏と昼の夢」(生命を持て余している)
事後。
少年はふとテーブルの上に小さな箱を見つける。
煙草の箱だった。
マルメンライトボックス。
中を開けると“卒業おめでとう”と印字された小さな紙片と煙草、ライターが入っていた。
少年はその一本を咥えると吸っていいか?とマコトに確認した。
マコトが頷いたのを見届けてからライターで火を付ける。
この文字、どこかで見たな、と少年はぼんやりと切り取られた小さな紙片を眺めた。
どこだっけ。
そうだ。思い出した。
小学校の卒業式で学校から配布された紅白饅頭。
“祝 卒業”の熨斗が付けられたその引き出物を佑ニーサンに渡しに行ったんだっけ。
少年はなんとなく思い出した。
爺さんも死に、母親も不在のままの卒業式。
その卒業を祝ってくれたのは佑ニーサンとフーミンだけだった。
二人に一つづつどうぞ、って渡した気もするな、と少年はぼんやり思い出した。
それにしても物持ち良すぎない?なんでこの熨斗保管してたんだよ。
少年は煙を壁に吐き出し少し笑った。
ふと隣のマコトに目を向けた。
マコトは放心したように紅潮した頬のままソファにもたれ掛かって天井を眺めていた。
俺、ちゃんとやれただろうか。大丈夫だったか?なんか変だった?不安に襲われた少年はマコトに話しかけようとして言葉を探した。
こういう時ってなんて聞けばいいんだろう?
下手くそだったとかただ痛いだけだったとか言われたら一生立ち直れそうもないかもしれない。
マコト?と少年はその名前を呼ぶ。
ガックン、とマコトは力なく返事した。
なんか今、身体が変な感じ。とマコトは答える。
変って?
なんか、手足の先端と脳味噌の中心が痺れてるみたいな感覚。
全身の力が抜けて動けない。
麻痺してるみたいに。
イッてないのにイッたあとみたい、とマコトは呟いた。
少しの間二人は黙った。
その後ハッとして少年の顔を見る。
いや、エロ同人やエロゲじゃねぇから初回からイケる女なんかまず居ねぇって聞いてたから別にいいんだけどよ、と少年は煙草を吸う。
イッた事あるんだ?と少年はまじまじとマコトを見つめた。
もう!馬鹿!と顔を真っ赤にしたマコトが手元にあった小さなクッションを少年に投げつけた。
おいおい、と言いながら少年はそれをキャッチする。
別に今更いいだろ?お前でも一人でするんだな。と少年は少し意地悪そうに言った。
まあ俺もだけど。と少年は煙を天井に向かって吐き出した。
だって一人暮らしの男子中学生だぜ?他にやる事なくね?てか、みんなそうだろ?
少年は少し笑いながらマコトの頭をぽんぽんと撫でた。
マコトは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてパーカーのフードを被った。
じゃあガックンはどうだったの?
マコトは頬を膨らませて少年に尋ねる。
少年は黙ってまた煙草を吸った。
ゆっくりと煙を窓の方向に吐き出す。
一呼吸置いて少年が呟く。
なんか俺さ、全部何もかも魂までお前に持ってかれた感じした。
なんか腹の中が空っぽな感じするもん。
少年のガソリンタンクは文字通りに全て残量ゼロとなっていた。
お腹すいたの?と聞くマコトに少年はいや、と首を振った。
腹は減ってるわけでもないんだけどな、と少年は煙草の煙を燻らせた。
あー。もう駄目だ。と少年はビー玉やゲーセンのメダルが無造作に突っ込まれた灰皿に煙草の火を押しつけて消した。
そのままゴロリとマコトの膝の上に頭を乗せて身体を横にする。
もうなんの力も出ねぇ。
少年はそのまま目を閉じた。
ガックン。とマコトはその名前を呼び愛おしそうにその頬と髪を撫でた。
ガックンは髪下ろしたら可愛いね。似合ってるよ。
髪を下ろした表情はいつもよりあどけなく見えた。
ねえ、ガックン、とマコトは少年に呼びかける。
体力と気力を使い果たして眠ってしまったのだろうか。
僕、ガックンの事が好きだよ、と言いかけてマコトはその言葉を飲み込んだ。
この言葉は呪いだ。
僕を待ってて、と言えば少年の性格からして本気で十年待ちそうでもあった。
マコトは首を振った。
それは出来なかった。
マコトも佑ニーサンもマサムネも失った少年がその後にどんな孤独で絶望的な十年を送るのか想像すら出来なかった。
それは恐ろしい呪いに他ならなかった。
かつて語っていた少年の夢は早くに結婚して幸せな家庭を築くことではなかったのか。
野球チームができるほどの賑やかで暖かい家庭。
料理の得意な歳上の女性。
しかし、その横に居るのは自分ではないのだ。
彼は幸せでなくてはならない義務がある。
マコトの目から涙が落ち、少年の頬に落ちる。
今度生まれ変わったら僕たちやり直せるかな。
このままここで死ねたらいいのに。
キミの居ない未来なんて要らない。
キミに抱かれない身体と心なら命なんか要らない。
僕の人生は今日の為にだけあったんだ。
後の日々はもう必要ない。
涙は止めどなく流れて少年の頬に雫となって流れていく。
マコトはまだ幼さの残る少年の頭を撫でながら祈った。
「ああ神様、もう何も要りません。僕の心臓を今この場で止めてください」
きっと俺たちは生命を持て余している。




