ep0. 5 「真夏と昼の夢」(壊されていく理性)
抗えない。
少年の頭の中は真っ白になってブッ飛んだ。
潤んだ瞳でマコトは少年を真っ直ぐに見つめていた。
暗がりでよく見えなかったが今日のマコトはボトムスを履いていないようにも見えた。
いつものダボダボのオーバーサイズのパーカーの下にショートパンツかミニスカートを履いているのだろうか。
細くて白い脚がスラリと伸びているのが見えた。
少年の知らない、初めて目にするマコトの姿だった。
このパーカーの下にも少年がまだ知らないマコトの姿が隠されているのだ。
これが据え膳か、と少年はぼんやりと思った。
ここで少年がキチンと食わねば双方の恥となるのだ。
据え膳。食事。料理。
そして“料理は愛情”
愛情ってなんだ?
用意された食事?
その認識で合ってる?
いつの間にかオーダーしてた?
少年はマコトの頬に触れようと手を伸ばしかけた。
しかし直前で止め、首を横に振った。
「なあマコト、ごめん。俺、嘘ついてたわ」
少年は覚悟を決めた表情でマコトの目をまっすぐ見つめた。
「……嘘って?」
「俺、もうとっくの昔にお前のこと完璧に好きになってるわ」
不意打ちかつ豪速球すぎる告白にマコトは思わず赤面した。
「俺はあれからずっとお前の事ばっか考えてた。ずっと考えてた」
けど、と少年は続けた。
「どんなに考えてもお前の幸せになる未来に俺は居ないって思った」
俺はお前が好きだ。けど、お前が進んでいく先には俺は居ない。少年は静かに呟いた。
ガックン?とマコトが不安げに少年を見つめる。
「佑ニーサンに聞いたんだけどよ。ゴム付けても失敗する確率ってぇのがあるンだってよ。確か15〜18%って言ってたっけか。忘れたけど」
それでさ、俺考えたんだ、と少年は少し悲しそうな表情を浮かべた。
「もしこのまま俺たちセックスしてさ、子ども出来たらどうなるだろうなって」
「……え?」
マコトは何も言えなかった。
「もしお前が妊娠してもさ、めちゃくちゃ学校遠いだろ?俺はお前の所に行ってやれないしお前もこっちに帰って来れねぇだろ?」
新幹線で五時間、あるいはもっとかかる距離。
「仮に妊娠しても俺は何もしてやれないし」
両親からも離された寮生活。
「絶対産ませても貰えないなって」
……うん、とマコトは言葉を詰まらせる。
だってそうだろ?周りの大人がそんなことさせる筈ないし、と少年は視線を床に落とす。
「仮に生まれたとしても、多分取り上げられるよな。状況的に」
もしそうだとしたら、と少年は絞り出すように続けた。
「結果として俺たち二人の子どもを殺すか捨てるって事にならないか?」
それは少年が一番恐れていたことだった。
自分が母親にされた仕打ちを今度は自分の子どもにしようと言うのだ。
俺たちの子どもを、と少年は言いかけて泣きそうになった。
俺はずっと何年も思ってたんだ。一人で過ごす夜の心細さと寂しさ。泣きたくなるような寒い真冬の深夜。正直気が狂いそうだった。
「俺は絶対に俺たちの子どももお前も不幸にはしたくないって思った」
あの日見たシャボン玉。風に吹かれて消えて無くなるシャボン玉。消えていく子どもの正体は少年自身でもあった。今から行われる行為は埋めようのない孤独の再生産に他ならなかった。
そうだよな、と少年は呟く。
「本当にそうなんだ」
少年は窓の外から見える空を眺めた。
「俺はお前を未来の“お前を幸せにしてくれる奴“に無傷で引き渡す義務があると思う」
どういうこと、とマコトは少年に問いかける。
「“据え膳食わぬは男の恥”って諺、あるだろ?」
うん、とマコトは頷く。
「多分この据え膳は非常食並みの長期保存可能食品だと思う」
「?」
「つまり賞味期限がめちゃくちゃ長いってこった」
二十〜二十五年くらいイケるっしょ、と少年はマコトの細く白い脚を見た。
いやそれめっちゃ長くない?買い被り過ぎじゃ無い?ガックンの守備範囲広くない?とマコトは思ったが何とも口には出せなかった。
「お前にはお前を幸せにしてくれる彼氏がすぐに出来るだろうし俺じゃない奴と結婚する。だから今俺が手ェ付けるわけにはいかねぇの」
未開封のまま取っとけ、と少年は握った自分の拳に力を込めた。
マコトが泣きそうな顔をしているのに気づいた少年はつられて自分も泣きそうになった。
違う、勘違いすンな、と少年は慌てて首を振った。
「ああもう!」
少年は立ち上がり力任せに折り畳みのパイプ椅子を蹴る。その速度のままソファに座っているマコトに覆い被さるような体制に着地した。
マコトの身体に密着したままその勢いに任せて体内の感情をありったけの濃度でぶち撒ける。
「じゃあ白状してやるよ?お前がこんなに可愛いなんて思わなかった。マジで今までで一番可愛い。誰かに渡したりなんかしたくねぇし。脚なんか見せられたらもう我慢できねぇ。正直今すぐそこに押し倒して滅茶苦茶に犯してやりてぇよ」
いつもとは違う低い声の少年。
その気迫にマコトはその身体を強張らせる。
「!?」
けど、と少年はその手首に更に力を込めた。
「出来ねぇ…」
少年の右手は新品のソファカバーを掴んでいた。
「本気でお前の身体の奥の方まで気が狂うまで掻き回してやりたい」
座った静かな目で少年は嘘偽りない欲求を吐き出す。
だが。
「それやった時点で俺は死ぬと思う」
机の上のモバイルバッテリーの青い光が点滅している。
「俺の心が死ぬしそれは絶対間違ってる」
信念。矜持。
家族も所持金も持たない少年が唯一持っている物だった。
心が死ぬこと。それは肉体の死よりも少年にとっては許し難いものだった。
「俺、お前のことが大事なんだ」
多分、俺自分よりお前の方が大事で、と少年は握った右手を更に震わせる。
「俺は頭良くねぇしどんな言葉ならお前に俺の気持ちが伝わるかとか全然わかンねぇし」
マコトは胸が張り裂けそうな気持ちを抑える事が出来なかった。
「もしお前が死にそうになってたら俺、自分の命なんかブン投げてもいいンだ」
ガックン、とマコトは混じり気の無いクリアな感情で少年の名前を呼んだ。
「じゃあさ」
至近距離でマコトが少年を真っ直ぐ見据える。
「……僕の為に死んでよ」
コールド負け。