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ep0. 5 「真夏と昼の夢」(トゥルーエンド)

完遂版

少年はシャワーを浴びながらずっとこの夏の全てに思いを巡らせていた。

昭和九十五年のこの夏。長いようで一瞬で終わりを迎えようとしている夏。

永遠に続くかのように思われた少年とマコトの二人の世界は今夜終わるのだ。


料理。白いうなじ。据え膳。

シャンディガフ。ゼリー。蝶の模様。

調子外れのシャボン玉の童謡。血色のいい唇。黄緑色のストロー。

十四歳。妊娠。溺れた快楽。

排卵日。卵巣。子宮。

三百円の指輪。約束。破瓜。

生クリーム。苺のショートケーキ。下手くそな嘘。

暴発。リボルバー。銀色の拳銃。

背徳感。片目。眼帯。

マグナ50。性感帯。タンデム。

海。汗ばむ背中。興奮状態。

柔らかい胸の感触。体温。打ち明けられた秘密。

短い中指の爪。コバルトブルーの絵の具。片想い。

黒いパーカー。銀色の髪。熱のある吐息。

人工的な葡萄の香り。泣き声。耳元の囁き声。


「雪城マコト」


少年はその名を呼んだ。

返事はないが自分自身の身体がそれに反応していた。

いつもの事だが制御不可だった。何一つ自分の思い通りにはならなかった。

シフトレバーが硬いせいで現在地を発進すらできずにいる事に誰よりも少年自身が戸惑っていた。少しの間逡巡した後、シフトレバーのメンテナンスを済ませてから行く事にした。整備点検不足は暴走事故の原因にもなりかねない。夏の終わりの宵の時間帯は気温も心なしか控えめだった。機体がどんどん熱くなり、後に排出され冷却される。少年は排出された液体と迷いを全て洗い流した。


シャワーから上がると少年はJAのロゴ入りの使い倒してゴワゴワになったスポーツタオルで身体を拭いた。赤いTシャツと学生服のズボンを履き、靴下を履いた。麦茶を飲みながらちゃぶ台の上に置いていた爪切りで爪を切った。短くし過ぎて深爪しそうになったが概史のアドバイスを思い出した。多分これくらいだろうか。爪切りの裏側の爪やすりで切り口を丸くした。少年は緊張した面持ちで三日月状に切り離された爪を見つめた。



爪。つめ。ツメ。

少年は自分の両手をじっと見た。

俺はこの手をどうすればいいんだろう?

この指をどうすればいいんだろう?

この爪はこれでいいんだろうか?

考えても正解はまだ解らない。



いつも通りにワックスで髪をセットする。降りた前髪を立たせて後ろに持っていく。いつものヘアスタイルだった。俺は大人になるのか?鏡に映った自分自身に少年は問いかけた。鏡の奥の自分は黙っていた。覚悟を決めた表情であるようにすら思えた。

短ランを羽織るとボタンを留めずに少年は目を閉じ両頬を叩いた。

カラーボックスの上にあるフォトフレームを手に取ると行ってきます、と呟き少年は自宅を後にした。



午後八時前。約束の時間より少し早いはずだった。秘密基地のドアに手をかけた少年はその動きを止めた。

明かりもつけない暗い部屋のソファに一人マコトが座っていた。ペットボトルの紅茶に口を付け、少年の姿に気がつくとボトルの蓋を閉めてテーブルに置いた。

ガックン、と少し明るめの声でマコトが少年を見た。

少年は一瞬息を飲んだ。いつもフードを深くかぶっているマコトが今日はその銀色の髪をさらけ出していた。パーカーのフードはその背中に張り付いている。いつもこうしてたら良かったのに。なんだよ可愛いじゃねぇかちくしょう、と少年は心の中で毒付いた。

「……良かった。来てくれたんだ」

マコトは心底ホッとした様子で呟いた。

もしかして来てくれないんじゃないかと思ってた、と泣きそうな表情を浮かべた。

「何でだよ?俺はお前との約束ぜってぇ守るし」

少年は静かに答えた。

驚くほど自分自身が落ち着いているのを少年は感じた。

早めに来た筈だったのに、と少年は思った。もっと早くに家を出るべきだったとぼんやり思った。

結果としてマコトを待たせてしまった。今日で最後になるのに。

マコトの座っているソファの向かいにあるパイプ椅子。

いつもの少年の定位置の椅子だった。

ガックン?とマコトが切なそうな表情を浮かべた。

おう、どうした?と少年は改めてマコトの方に身体を向けた。

少年はまじまじとマコトの顔を見た。月明かりとモバイルバッテリーの僅かな動作ランプでダークブルーの深海のような明るさの室内。今日のマコトの顔は今までとは全く別人のようだった。ちくしょう、と少年は少し笑った。

何でこンなに可愛いんだよ、反則だろ、と少年は小さく呟いた。

え?何か言った?とマコトが聞き返す。

何でも無ぇよ気にすンな、と少年はいつも通りのように振る舞った。

少年の心臓は彼の意思と関係なく好き勝手なビートを刻んでいた。

今宵のこの時間だけが少年とマコトに与えられた最後の時間だった。

何から話せばいいか、何から伝えるべきか。少年が考えを纏めようとしても考えていた台詞と思いは心臓のスタンドプレイに引っ張られてシャッフルされる。

えっと、と少年は言葉を詰まらせた。こういう時って男がリードすンの?え?俺?

ここで少年が自分がほぼノープランだった事に気がついた。

全身に緊張が走る。どうするべきか。もうこいつと会えるのこれで最後なんだぞ?ほぼ今生の別れなんだけど?少年は神に祈るような気持ちでその心臓を抑え込む。

どうかした?とマコトが少年の顔を覗き込もうとする。

「ちょ、こっち来んなよ」

思わず少年が口走る。

え?とマコトが不思議そう表情を浮かべる。

え、いや、と少年は取り繕おうとする。

しかしどうにもならないと見るや観念してあっさりと白状した。

「駄目だって……これ以上お前が近付いて来たら完璧に好きになっちまうだろ」

ガックン何言ってるの、とマコトは少し笑った。

「……そんなの僕も同じだよ」

じゃあ益々ダメじゃねぇか、と少年は頬を赤く染めたまま呟いた。

お互い近付かないでどうすんのさ、とマコトは少年の顔を見つめた。

「……いや、駄目だ」

少年は必死で首を横に振った。

「あと二、三時間で確実に俺、お前のこと完全に好きになるわ。無理だこれ」

ふふ、それは光栄なことだね、とマコトは微笑を浮かべた。

「……そんなの僕も同じじゃないか。どうしてダメなのさ」

少年は自分の心臓を手で抑えながら答える。

「お前のこと完璧に好きになってももう最低十年は会えねぇンだろ?俺、どうやってお前の居ねぇ十年過ごせばいいンだよ」

お前は平気なンかよ、と今度は少年がマコトを見た。

……だからこそだよ、とマコトは少年の目を見て言った。




「だからこそ、僕の最初で最後のお願いを聞いて欲しい」

カウンターは入ると気分がいい。

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