ep0. 「真夏の夜の爪」 ㊳懲罰と確定された懲役刑
俺のせいだ……
少年は狼狽した。
「俺がお前を殴ンなきゃこんな事には…」
ううん、とマコトは首を振った。
「……僕の担任ね、いい人なんだよ。僕が学校に戻れるようにいっぱい考えてくれて……ガックンの先生もいい人だったけどさ。僕の事を真剣に考えてくれてたいい先生に恵まれたのに……」
でもダメなんだ、とマコトは静かに言った。
「……校長や教頭とか、学年主任の先生とかうちの親もみんなで集まってずっと話し合いしてたんだ。みんな僕の今後の事、ずっと考えてくれたんだよ……」
少年はこれが既に決定された揺るがない現実である事を思い知らされた。
「……変なネットの大人に〝僕っていう人間がこの学校に在籍している〟って知られてること自体がもうマズいし危ないみたいでさ……身柄の安全を確保するっていう意味も……あるんだろうけど……」
それで姉妹校に転校する事になった、とマコトは夜空を眺めながら呟いた。
保護や安全確保の意味合いもあるのだろう。しかし。
その決定にはどこか懲罰的な意味合いも含まれているようにも二人には思えた。
卒業するまでの懲役刑。
その後の進路も隣県にある全寮制の高校へと既に決められていた。
付属の大学への内部進学も視野に入れての確定された未来。
少年は横に座り、泣き続けるマコトの肩を抱くことしか出来なかった。
もし何も起こらなくても県外の大学付属高校への進学は決定されていた事項だった。
潤んだ瞳でマコトが少年の名前を呼んで縋る。
「……ガックン……」
少年は二日前のマコトの様子を思い出していた。
あの時既にこの話は浮上していたのか。
泣きじゃくる親友に一体どんな言葉を掛けるべきか少年は考えを巡らせた。
僕は、僕は、とマコトが更に言葉を絞り出す。
「……僕、今まで言ってなかったけど……僕の父親は開業医なんだ……」
少年はただマコトの手を黙って握った。
マコトが言葉を詰まらせながら震えていたのが少年にも伝わった。
「……僕が進学しろって言われてる全寮制の高校…医大付属で……内部進学率九割越えって言われてて……」
マコトは少年の手を握り返す。
「……僕、一人っ子なんだ……だから小さい頃から父親は何でも自由にさせてくれた……けど……進路だけは二択だって五歳の頃から言い聞かされてて……」
少年は祈るような気持ちでマコトの手を更に強く握った。
「……医学部に進んで自分が医者になるか……親の決めた医者と結婚するか……」
マコトは少年の手の温もりにどこか安堵しながら涙をさらに零した。
「……医学部に進んだら最低でも六年かかる……もう僕には二十四歳になるまで一切の自由はないんだ……」
懲役十年。
子猫を撃った罪に対する罰としてはそれは余りにも重い刑だった。
失ったものの大きさにマコトは震えていた。
金銭や品物や時間では絶対に埋められないかけがえのないものをマコト自身の手で壊してしまったのだ。
「……その全寮制の高校、学費が高い事で有名でさ……三年間で千五百万掛かるんだって……」
今日も昼の引っ越し屋補助のバイトを終えて帰って来た少年はその額の大きさに眩暈がした。
彼の今日の一日の稼ぎは四五〇〇円、しかもそれでも中学生には充分過ぎる金額だった。
「……うちは裕福な家なのかもしれない……僕は幸せなのかもしれない……」
でも、とマコトは少年に縋りついた。
「……貧乏でも、お金が無くても、中卒でも、肉体労働のバイトしても、それでも僕はガックン達と一緒にずっと居たい…」
マコトの華奢で柔らかな身体が少年の身体に重なる。
いつものマコトの人工的な葡萄の香りが強く感じられた。
マコトってこんなに細かったっけ。
少年にはマコトが今にも消えてしまいそうな儚い存在に思えた。
「……喧嘩ばっかりしてたけど……パパやママや……ガックンや概史やマサムネと離れたくないよ……誰も知らない場所へ一人で行くなんて怖いよ……!」
少年はただマコトの頭を撫でた。
慰めの言葉を少年は持たなかった。
少年の短ランの下の赤いTシャツはマコトの涙でびしょ濡れになっていた。
いつの間にか少年も一緒に泣いていた。
暫くの間、二人はずっと静かに泣いていた。
俺らにとって十年は永遠と同義だ。




