ep5. 『死と処女(おとめ)』 義務教育の敗北
怖い。
「一つ、勘違いしないで貰いたいんだが」
小泉は何かを思い出しているかのような表情をを浮かべながら続けた。
「流産……特に初期流産は染色体異常が原因であることが殆どだ。母体が過度な運動をしたとか、何かの食べ物が悪かったとかは全く関係ない」
難しい話は俺にはよくわからない。
だけど、受精したとしても確実に出産できるって訳じゃないことは理解出来た。
「そうなんだな……受精したら100%、赤ん坊が産まれるもんだとばっかり思ってた」
だけど、小泉は担当科目が美術なのにやたら詳しいな?
限界オタクの陰キャで彼氏ナシ、当然のように処女の小泉がこんなことを詳しく知ってるのがなんだか腑に落ちないんだが。
「私には歳の離れた従姉妹が居てな。姉妹同然に育ったし、大切な存在なんだが─────」
結婚後に妊活を始めてから上手く行かず、すっかり憔悴してしまって……従姉妹の支えになりたくて自分でも色々と調べてみたんだ、と小泉はため息をついた。
「あれこれ本を読んだり勉強したりして、初めて知る事実に驚きもしたよ─────」
どうして義務教育でこれを教えてないんだろうって、と小泉は視線を落とし暫く黙った。
「今の学習指導要領では……避妊どころか“どうやって妊娠するか”すら教えることが出来ないんだからな」(※1)
アフターピルの存在すら知らされず、結果的に苦しむのは当事者の女子じゃないのか、と小泉は声を震わせた。
確かに。
俺は佑ニーサンや小泉から色んな話を聞いてるからいいけど、他の奴らはこういうの全く知らないって事だよな?
「大人でもさ、こういうの全然知らねぇとか全然わかってねぇって場合もあるのか?」
あるとも、大有りだ、と小泉は頷いた。
「成人した男性でも『生理があるから非処女』だと思っていたり、『生理の血は気合いで止めることも出来る』と信じ込んでいたりするケースをよく耳にするな」
は?なんじゃそりゃ。
いくらなんでも雑すぎるだろう。
この辺は流石に保健の授業で習ったじゃねぇか。ちゃんと授業を聞いてなかったのか?
そんな奴居るのか、と言いかけた俺はふと水森の父親の話を思い出した。
確か、生理用品をいやらしいものだと思い込んでいて買って貰えなかったって言ってたよな─────
じゃあ、やっぱり世の中の大人がみんな正しい知識を持ってるって訳じゃ無いんだな。
けどさ、この辺の知識って無いと詰むんじゃねぇか?
ミスったら妊娠したり、場合によっては人生を大きく変える事になるだろう。
そこまで考えて、俺は途端にまた怖くなった。
夢野くるみ。
そうだ、大変な決断を迫られてるのは夢野なんだ。
「なぁ、センセェ。夢野はこの先、どうなっちまうんだ─────?」
俺は小泉の顔を見た。
小泉は険しい表情で俯く。
「恐らくは……どう転んでも辛い結果になると思う」
辛い結果。
それが何を意味するのかは俺だって解っているはずなのに。
「教員や学校としても、出来る事は殆ど無いだろう。決断するのは夢野の保護者だろうしな」
決断。
産むにせよ、降ろすにせよ─────
もう俺たちが夢野にしてやれる事は何も無いのか?
(※1)
文部科学省(中学校学習指導要領等)における扱い
○ 中学校学習指導要領 保健体育(平成20年3月 文部科学省)
・受精・妊娠を取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする。