ep0. 「真夏の夜の爪」 ㉚丁寧な暮らしを送る不良
別に丁寧な暮らしを心がけてる訳じゃねぇんだけどな。
「……ガックン、僕だよ」
小声でマコトが合図すると中から少年が現れた。
おう、入れよ、と少年がマコトを招き入れる。
築40年以上は経って居るだろうかと思われる絶妙な老朽具合の平屋。
少年の自宅である。
にゃあ、と小さな鳴き声を上げる子猫を抱いた少年にマコトはレジ袋を渡す。
「……はい、これ」
サンキュな、と呟きながら少年は子猫をマコトに渡す。
片目の潰れた子猫は「マサムネ」と少年によって名付けられ、一時的に少年が預かる事になっていた。
まあ座ってな、と少年はマコトに座布団を差し出し座るように促す。
使い込まれた傷だらけのちゃぶ台。
黒電話。花柄のレトロなポット。カセットテープの付いたCDラジカセ。時間が止まった農協の日めくりカレンダー。振り子の時計。町内会の文字入りの色褪せた手拭い。
80年代で時間が止まったような古い家屋と調度品の数々。
それが少年の住処だった。
これしか無ぇンだけど、と少年は花柄のグラスに入った麦茶をちゃぶ台に置く。
マコトはマサムネを抱いたまま麦茶を見る。
「……ガックンいつも麦茶沸かしてるの?」
え?何か言ったか?と台所で少年の声がする。
マサムネがマコトの肩によじ登ろうとしてパーカーに爪を立てる。
パーカーの布地を貫通して小さな爪がマコトの素肌に刺さる。
痛いよマサムネ、とマコトは小さく悲鳴を上げる。
まだ赤ちゃんだから甘えたいンだよ、とフライパンを手にした少年が台所から顔を覗かせる。
「晩飯、食ってくか?」
え、作ってくれるの、と驚いた表情でマコトは少年を見つめる。
大したモンは作れねぇけどいいか?と少年は苦笑いしながら冷蔵庫を開ける。
コトコトと音を立てて少年が何か作っている背中をマコトはマサムネを抱きながらぼんやりと眺めた。
ガックン、朝も昼も晩もいつも自分でご飯作ってるんだ、とマコトは両親不在の少年の生活を想像した。
一昨日夜に母親が晩飯を食えとあまりにしつこいので口論になり、ハンバーグと野菜のソテーを床に叩き落とした事を思い出したマコトは急に湧き上がった自己嫌悪で胸が一杯になった。
ガスの火を止めフライパンを傾けて皿に盛り箸をトレイに置く一連の音をマコトは静かに聞いていた。
「ええと、出来たンだが?」
どこか気恥ずかしそうな素振りを見せながら暖簾を潜り、少年がトレイをちゃぶ台の上に置く。
使い古された皿に盛られた何も特色のない炒飯。
まあ、口に合うかわかんねぇから無理にとは言わねぇけど、と少年が恐る恐る呟く。
そんな事ない、いただきます、とマコトはぶんぶんと首を横に振った。
箸を手に取り食べようとしたマコトの目に両手を合わせていただきます、と言う少年の姿が飛び込む。
マコトの視線に気付いた少年はハッとした様子でいやこれはつい癖で、と慌てて言い訳する。
「いつもそうやって食べてるの?」
マコトの質問に少年は気まずそうに答える。
「いや、俺さ、ほぼ爺さんに育てられたからさ。躾けられたっていうか……その時の癖で……なんつぅかよ……」
「……ガックンてさ、不良っぽく振る舞ってるけど所々で育ちの良さが出てるよね」
ふふ、とマコトは少し笑った。
なんだよ、と少年は少し不貞腐れてみせる。
ガックンのそういうとこ好きだけどなあ、とマコトは手を合わせていただきますと呟く。
炒飯を一口食べたマコトを少年が黙って凝視する。
「……どう?」
一瞬動きを止めたマコトは何も言わず少年を見つめた。
「……おいしい……」
理由は解らないがマコトは何故か涙が出そうになるのを堪えるので必死だった。
少年は心底ホッとした様子で胸を撫で下ろした。
「良かった。人に飯食わせるのなんて初めてだからよ……」
どこから見ても普通、あるいは普通以下の炒飯である。
市販の炒飯の素と卵だけしか使っていない。
しかし彼らにとってはこれは特別な食事だった。
「油の代わりにマヨネーズを使うのが最大のポイントなンだよな」
どこか得意気な少年の横顔の中に計り知れない孤独があるようにマコトには思えた。
へへ、今日は奮発して卵入れたし、と少年は炒飯を頬張りながら独り言のように呟いた。
……それじゃ普段はどうしてるの、と思わずマコトは聞き返す。
んー、白米は一回で七合炊いてタッパに入れて冷凍庫に入れて使う時に解凍してるなぁ、あとは卵は特売の日に買って1日一個って決めてて、朝はインスタントの味噌汁と納豆、昼は卵かけご飯、夜はもやしとか野菜炒め的なモンとかかな、と少年は事も無げに答える。
「……じゃあその貴重な食材を僕の為に使ってくれたの?」
だってよ、この家に客なんて滅多に来ねぇし、と言いながら少年は炒飯をかき込む。
暫く黙って炒飯を食べ終わった二人は両手を合わせてご馳走さま、と言うとお互い見つめ合った。
あの、と言いかけたマコトより早くに少年が口を開いた。
「マサムネの事とか、概史には何も言ってねぇから」
マコトは一瞬言葉を飲んだ。
そうじゃなくて、といつもの癖でパーカーのフードを深く被ろうとして途中でハッとして動作を止めた。
結果的にそうなっただけで。




